「先生(教師)」というコワ~イ職業・・・
広辞苑によると、「先生」とは「①先に生れた人。②学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。③学校の教師。・・・・」とある。
一週間遅れで、通勤電車の中で聞いているNHKラジオ深夜便。先週の「ミッドナイトトーク」は、「忘れられない出会い」というテーマ。今朝は、脚本家・田渕久美子さんの話を聞いた。(これ)
先に聞いた阿木燿子さん、山本一力さんでも「忘れられない出会い」で必ず先生が出てくる。それほど、子供の頃の学校の先生の影響は大きいということ。
田渕さんも、島根の高校の先生のことを語っていた。田渕さんは何としても東京に出たかった。しかし母親は「女の子だから大阪・京都まで」と制限し、話が進まない。それを3者面談の時に、先生が「娘さんはそんな事では収まりませんよ。やりたいことをやらせてあげて・・」と頼んだとか。意外な言い方に、母親も本人もビックリ。それで母親の態度が変わって、自分の思った東京の大学に進めた、と言っていた。これがその後の大脚本家を生む素地に・・。
先生の両親へのアドバイス(直訴)が人生の転機になった、という話は良く聞く。子供のそれぞれの適性は、クラスの様々な子供たちとの比較の中で、教師が一番分かるのだろう。家族の中では、適性はなかなか見えない。比較対象も無いので・・・。そして、子供の才能を見抜くことが出来た教師は、直訴(?)という一線を越えてでも、その子供の才能を花開かせようと動く。そしてその事が、親が知らなかった子供の隠れた才能に気付かせ、その道で世の中で認められる人に成長するケースは良くある。
もう一つ話していたのが、先生の融通。田渕さんは完璧な文系で数学が全くダメ。あるとき、先生に呼ばれて「こんな問題は解けないか」と、多分易しい問題を出されたが、やっぱりダメ。それで先生も「もういい」と諦めたとか。これら先生の色々な融通には助けられたという。でも息子の学校を考えると、女の先生の方が融通が利き、男の先生はダメと言っていたが、こればかりは意外・・。女性はどんな場面でも型通りで融通が利かないと思っていたのだが・・・・
ご多分に漏れず、自分も子供の頃の先生は良く覚えている。顔も直ぐに思い出す。しかし校長・教頭先生の顔は思い出さない。つまり、身近で話を聞く先生の影響が大きいという事だ。ふと、学校の先生というのは、何人位の生徒の心に生き続ける(覚えられている)のだろう、と考えてみた。前に書いた高校の先生の場合(ここ)、担任になり得る一般の教師生活が28年だった。教頭、校長は多分子供に直接的な影響は与えないと思うので除外した。1クラスの人数は、自分の頃は50~60人位いたが、まあ40人とすると、毎年担任するクラスの全員が別と考えると、40人×28年=1,120人。ざっくり言って、教師の一生で、1000人規模の人間の「こころ」にその姿が焼き付く可能性がある、ということ。(良くも悪くも・・・)
自分の場合を振り返ってみると、自分の人生に大きな影響を与えた先生がいたかというと、それは無かったと思う。まあこれは、自分に特殊な才能が無かったので、先生の目に留まらなかった、というだけのことだが・・・。
昔、次男が中学受験をしたことがあった。その時、ある塾のテキストで自分が次男に付きっ切りで教えた事があった。その時感じたのが「砂に滲みるように」という感覚。その点、教師は実に責任重大な職業だと思う。戦時中、軍国教育によって数多くの人が戦争に駆り立てられた事は周知の事実。「生きて虜囚の辱めを受けず」でたくさんの人が降伏せずに玉砕したのも教育。中国が日本から侵略を受けた盧溝橋事件の日を「国辱の日」としているのも教育(ここ)。
まっさらな人間(子ども)に何を教えるかということは重大。言うまでも無く、人間の長い人生の生き方は、子どもの時に受けた教育によって大きく影響を受ける。もちろん巡り会った人からも・・・。その点、教師は子どもにとって「先生=模範の人間像=学徳のすぐれた人」と映る。
昔、高校のとき、受験でどの学部を受けるかにあたって、大学生だった兄貴から教師の道を薦められたことがあった。“人間を作る事は素晴らしい”と・・・。それは確かだが、運良く挫折したため、その道には進まなかった。今更ながら“危ないところだった”と思う。人間を作る職業など、恐ろしい・・・・。(とてもとても、自分にそんな能力は無かった!)
良くも悪くも、子ども(の人生)に大きな影響を与える教師という職業。
今の先生方も当然、「人間を作る」、「(自分の姿(生きザマ)が)いつまでも子どもの心に宿る」ことを前提に子どもと接しているとは思うが・・・・
まさに「先生」とは、恐ろしい職業である。
今頃、先生にならずに良かったと、ホッとしている自分である。(←本当は負け惜しみ!?)
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コメント
ラジオ深夜便:ミッドナイトトークのアーカイブ有難く聴かせていただいています。
ラジオはいいですね。
20代の頃、私も教師になりたい時期がありました。
しかし、今、権威のない、道徳感の少ない教師の何人かに出くわして、よくがっかりしています。趣味の交友で熱血漢の数人は知っていますが、あの生徒にたいする権威の欠如はどこからきたのか、不思議でなりません。
投稿: 小父さん | 2009年11月13日 (金) 20:41
私の父は教師が嫌いでした。身内にも教師が何人かいましたが「あれはろくでなしがなるものだ」と常に言っていました。少し大きくなって父にその訳を訊ねたら「何でもタダで貰おうとするからだ」と単純な返事がかえってきたので笑ってしまいました。
小学校のころから教師を少々冷めた目で見ていた私には権力の裏側にある、出世欲とたかりの構図が見えていました。勿論全くその気のない教師の方が多い事もわかっています。先生も人間だからと割り切っていましたが、教師の権威をどうとらえて良いのか未だにわかりません。何か事がおきると、全部、平の教師に責任を押し付ける校長もみました。保護者の奢りで紅灯の巷を遊び歩く賎しい教師もいました。父の言っていた事も間違っていなかったと思いました。優しく親切な教師は権威など無いように見えますが、本当は心が強い人の様に思われます。
投稿: 白萩 | 2009年11月14日 (土) 00:29
小父さん、白萩さん
昔「でもしか先生」という言葉がありましたが、今はどうでしょう?
そう、現実の先生は言われる通りでしょう。でも本来、低学年であればあるほど、子どもにとっての影響は大きいもの。
この記事は、ある意味自分の「祈り」なのかも知れません。
投稿: エムズの片割れ | 2009年11月14日 (土) 23:05
「でもしか先生」は昭和32年の文藝春秋に載っていました。書いた人は忘れてしまいました。私は高校3年生でしたが、「俺もシカ先生だ」と言った教師がおりました。就職難だったので先生にシカなれなかったのだそうです。エムズさんがおっしゃったように低学年の時の先生の思い出は良い事が多いですね。私も純真だったのでしょう。
投稿: 白萩 | 2009年11月14日 (土) 23:43