論語の「六十而耳順」~“耳順”とは・・・?
実は3年半前の当blogのスタートの記事は、論語の話であった(ここ)。今日はそれと同じく論語の話・・・
先日、wolfyさんから頂いたコメント(ここ)で「60歳は耳順」とだと教えられ、色々と調べてみた。
広辞苑には、「【耳順】じ‐じゅん[論語為政「六十而耳順」](修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる意)60歳の異称。」とある。
耳順について分かり易く解説した記事(ここ)によると、この言葉は孔子が自分の人生を振り返って、区切りとなった年齢での進境(=進歩して到達した境地)を語った言葉から出たもので、為政篇にある言葉だという。
子曰、「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」
子曰はく、「吾十有五にして学に志し(=志学:しがく)、三十にして立つ(=而立:じりつ)。四十にして惑はず(=不惑:ふわく)、五十にして天命を知る(=知命:ちめい)。六十にして耳順ひ(=耳順:じじゅん)、七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず(=従心:じゅうしん)。」と。
先生はおっしゃった、「私は十五歳で学問に志し、三十歳で自立した。四十歳で狭い枠にとらわれないようになり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言うことを逆らわないで聴けるようになり、七十歳で心の欲するままに任せても限度を超えなくなった。」(出典はここ)
つまり耳順とは、「六十歳では、人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった」という境地とか。
「四十にして惑はず=不惑」は良く聞くが、耳順は知らなかった。・・・と、当blogを「論語」で 検索してみたら、何と自分の書いた記事にこの言葉があった。(ここ)
この春に西安の碑林博物館に行った時、この言葉が彫られた石碑があり写真を撮ったのだ。その時の記事に、この言葉を書いていた。でもその事をすっかり忘れていて・・・
この事により、当blogで書く記事が、如何に書くだけで自分の身に付いていないかが立証された。つまり自分の右耳から入った言葉は、自分の頭には残らず、単に左耳に抜けて行くだけだった・・・、という事も分かった。
自分も60歳を超えて、今まで2回の定年を経験し、その分肩から力が抜け、少しは“人の言うことを逆らわず素直に聴けるようになった”のかな・・・? と思っていたが、これは大きな勘違いで、単に無反応になっているだけかも・・・
ともあれ、人の言葉を素直に聞くという境地は大変に難しい。我々凡夫は、言葉一つで直ぐにカッカしたり“戦闘状態”に入ったりする。それをよく「若気の至り」と言ってごまかす。しかし孔子は、60歳はもう自分が完成していて(?)、何を言われても動じてはいけない年齢だ、と言っているようだ。
これを機に、自分の中でもういちど「耳順」という言葉をかみ締め、自分がどの程度(オトナとして)ひとり立ち出来ているのか・・・、振り返ってみようかと思った。
(それにしても、既に当blogに「耳順」が載っていたとは・・!! ああビックリした~)
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