昭和34年の出来事(12歳)~水原弘の「黒い花びら」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの13回目。自分が11歳から12歳、つまり小学校5年生から6年生になった昭和34年(1959年)の出来事を調べてみる。
この年のビッグイベントは4月10日の皇太子と正田美智子の結婚。これを見るために多くの家庭にテレビが入った。昭和33年暮れに100万台だったのが、御成婚の時には200万台に達したとか。(自分の家には無かったけど・・・)
この当時のテレビに関する思い出は多い。夕食後、友達の所にテレビ観戦に行って、力道山のプロレスを見たり、名犬ラッシーを見たり・・・。
3月17日、 「週刊少年サンデー」と[週刊少年マガジン]が発売になった。この時の事は今でも鮮明に覚えている。自分で買った記憶は無い。すべて誰かに借りて読んだ。でも別世界が出来たようで楽しかった・・。
9月26日、伊勢湾台風。これも良く覚えている。夜、風が段々と強くなる中、隣の両親の部屋から「上陸した」というラジオのニュースの音・・・。それが5千人の被害者を出す猛威だったとは・・・
映画では「ベン・ハー」の公開。この映画は見に行った。その後何度も見たが、金のかかったセットにビックリ。歌では、夜霧に消えたチャコ(フランク永井)、南国土佐を後にして(ペギー葉山)、古城(三橋美智也)、黒い花びら(水原弘)、僕は泣いちっち(守屋浩)、
東京ナイトクラブ(フランク永井/松尾和子)などなど、この年のヒット曲には今でも立派に残っているスタンダード名曲が多かった。
よって1曲を選ぶのは至難のワザだが、あえて今日は水原弘の「黒い花びら」を選んでみた。この歌は、第1回日本レコード大賞も受賞している。ステレオ録音もあるが、オリジナルのモノの方が、迫力があって好きだ。
<水原弘の「黒い花びら」>
「黒い花びら」
作詞:永六輔
作曲:中村八大黒い花びら 静かに散った
あの人は 帰らぬ遠い夢
俺は知ってる 恋の悲しさ 恋の苦しさ
だからだから もう恋なんか
したくない したくないのさ黒い花びら 涙にうかべ
今は亡い あの人 ああ 初恋
俺は知ってる 恋の淋しさ 恋の切なさ
だからだから もう恋なんか
したくない したくないのさ
実に分かり易い歌詞で、自分も数十回(?)の失恋のたびに歌ったものだ。でも今改めて歌詞を読むと、この歌は失恋の歌ではなかった!初恋の人に死なれた歌だった・・・。知らなかった・・・!?
初恋といえば、先日「BS20周年ベストセレクション 金曜特集「没後20年 向田邦子が秘めたもの」を見た。(これ)
この番組は、2001年7月20日に初放送された番組で、没後20年になって、秘められたラブレターが妹の和子さんによって公開され、それをもとにした番組だった。彼女は22歳のときから34歳まで、妻子ある男性とつきあっていた。そして、カメラマンだったその男性によって撮られたと思われる沢山のポートレートが遺品の中から見つかった。女優と見まがうばかりの写真の中の表情は、レンズの向こう側にいる恋人にだけ見せる、安心の表情だった。
男性は母親と二人住まいで、脳溢血で倒れ、足が不自由なまま47歳で他界。この恋が終わったのは、邦子34歳の時だったという。そして男性の死後母親から託されたお互いのラブレターと日記は、邦子が51歳のときに台湾での飛行機事故で亡くなるまで、誰も知らないまま封印された。
これらの資料を読むと、それらの経験がその後の向田作品にいかに投影されていたかが分かる。
彼女も恋人に死なれた時、「黒い花びら」を歌ったかな??これはそんな時の歌だ・・・
話が飛んだが、昭和34年の自分の記憶を辿ってみる。小学校5年の冬の学芸会。メイン の出し物の劇で何とその主役をやった。これもタナボタ。転校1年目で、自分はその劇の役は無かった。それが本番を数日後に控えたある日、主役のクラス委員長だった人が風邪で倒れ、本番までに復帰することが出来そうに無いと、家族からの連絡。困った先生が、何と自分を代役に指名した。それから2~3日でセリフを覚え、主役をこなした。これはその後の自分にとって、大きな自信になったように思う。
かくして昭和34年が暮れていよいよ小学校も卒業が近くなる。
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