半藤一利の「昭和史」を(今頃)読んだ
まさに“今頃”読んだのである。半藤一利の「昭和史(1926~1945)(これ)」を・・・・・
恥ずかしながら、彼(か)の“半藤一利”という名を知ったのはほんの2年前(ここ)。戦争のテレビ番組を見て、“歴史大嫌い人間”の自分も、日本人のたしなみとして日本の歴史ぐらい一通りは知っておかなければ・・・と思って、誰の本を読んだら良いのかをamazonで調べたら“半藤一利”という名がたくさん出てきたので知った・・・、というオソマツさ・・・
先日聞いた「NHKラジオ深夜便「こころの時代」~「特集・100年インタビュー“戦争体験と昭和史研究”作家 半藤一利」(2009/8/27放送)(ここ)を機に、厚くて読むのをためらっていた(貰いものの)「昭和史」を読み始めた。これが面白い・・。普通の小説よりよっぽど面白い・・。どこが面白いかって??
まず読み始めて直ぐに違和感を持った。普通の文章と違う・・・。そして「あとがき」を読んで納得した。これは“書下ろし”ではなくて“語り下ろし”なのだ。しかも、語る相手の4人の生徒のうち3人は戦後生まれ・・・。
「学校でほとんど習わなかったので昭和史のシの字も知らない私たち世代のために、手ほどき的な授業をしていただけたら、たいそう日本の明日のためになると思うのですが」という女性編集者の説得に負けて授業を始めたという。
よって、語調がたいそうベランメエ調・・。昔、崇められたであろう偉人たち(?)を「アホが・・」「アホが・・」と言ってこき下ろす。(まあ、たしかに自分もアホだと思うが・・・)
なぜ読んでいて面白いかが直ぐに分かった。そうだ。まさに半藤さんの顔がそこに見えてくる。半藤さんの声がそこから聞こえてくる。半藤節が・・・。
前に高校の歴史の教科書を買ってきて、勉強しなおそうとして挫折した事がある(ここ)。自分は、当時の記事で『とにかく読んでいて面白くないのである。確かに事実は淡々と述べられている。しかし何の感情も無く、ただ淡々と・・・。そこには「命の息吹」が無い。「生きていない」文章は面白い訳が無い。だから眠い・・・』と書いている。そう、半藤さんのこの本は、ちょうどその逆だ。だから面白い・・・。
普通、“・・・節”の本は、読んでいると“鼻に付いて”来るものだが、なぜか半藤さんの本はそれが無い。でも、それは当然だ。実に良く勉強して歴史の事実を掴み、その上での論なので我々一般ピープルと目線が同じなのだ。だから読んでいて痛快・・。それに、(勉強して)全ての事実を掴んだ上で、相手のレベル(=昭和史のシの字も知らない私たち・・)を考慮して話をしてくれているので、表現が実に平易。
この本を読み終えると同時に、当然、続きを読みたくなる。今日の会社の帰りに、乗換駅の吉祥寺駅の本屋で、続編の「昭和史(1945-1989)」を探してもらったが、売り切れだという。こんな有名な本が売り切れとは・・・。仕方なくamazonで頼んだ。と同時に、昭和以前は無いのかと見たら、皆考える事は同じらしく「幕末史」も出ていた。「よしこれも買おう・・・」と、フト我が家の“中古図書館(これ)”を覗いて見たら、何とそこに鎮座している。「何だ、目の前にあった・・・。注文しなくて良かった・・・」
かくして自分は、当分半藤一利の「語り下ろし」の本に没頭することになりそうなのである・・・・
最後に内容について少し・・・。半藤氏は当然“戦争は避けられなかったのか?”の視点である。山本五十六と天皇が戦争を避けようとして努力していた事は半藤氏も認めているようだ。しかし、マスコミに乗っかって“日本の世論”は戦争に酔っていた。特に最初の連戦連勝で・・・・。
自分は半藤氏の指摘通り、マスコミの扇動はあったにせよ、それに“踊った日本人”も多大な責任があるような気がする。事実を隠されていた事はあるにせよ、それを見抜いた人が少なかったのかも??
歴史は戻れない。当時の状況を、全てが終わった後で、棚の上の特等席から見下ろして評論する事が、必ずしも正しいとは思わないが、少なくとも自分に半藤さんの論はフィットした。だから読む・・・。まあそれで良いのではないか・・・。
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