「太平洋戦争はなぜ起きた?」という問いに対する半藤一利氏の答
人の話を聞いて、その人の話を信用するかどうかは、それまでの経験値から自分なりに(無意識に)判断している場合が多い。自分の場合、(昭和史の)歴史家である半藤一利氏の話はかなり信用している。
NHKラジオ深夜便「こころの時代」で「特集・100年インタビュー“戦争体験と昭和史研究”作家 半藤一利」(2009/8/27放送)を聞いた。その中で、アナウンサーの質問「太平洋戦争はなぜ起きた?」に対する半藤氏の説明が分かり易い。非常に単純な質問だけに、答えが難しいが、理由を一方的に対戦相手国のせいにせず、国内に目を向けて次のように答えていた。
Q:「太平洋戦争はなぜ起きてしまったのか?」
A:「その時その時で日本の政策が選択を迫られた。例えば満州で傀儡政府を作ったことを、当時の国際連盟が猛反対した。日本は一旦撤退しろと勧告されたが、その時に日本はどういう選択があったかというと、1)国際連盟の言う通りに一旦下がって国際連盟の判断に任せる。2)国際連盟に日本が懸命に訴えて、満州国を育てるためにどうすれば一番良いのかを世界の国々に訴える事で、国際連盟の中で頑張る。そして日本が取った選択である3)国際連盟から脱退する。世界を相手にしない。俺たちは俺たちの道を行く。という選択・・・
色々な局面で選択を迫られた時に、昭和史の選択は本当に間違った選択を次から次にした。上に立った政治家が誤っただけではない。マスコミも誤った。例えば国際連盟からの脱退は、むしろマスコミ(新聞)が「脱退せよ」と煽った。それは事実としてある。それに国民が煽られ、「国際連盟なにするものぞ」「栄光ある孤立だ」「我が道を行く」と国民は熱狂する。という形で一つ一つの所で大事な選択を皆で良く考えて、日本の生きる道というのは、国際社会のなかでどの道が一番正しいかを考える事をせずに、次から次へと強硬路線を取って選択を誤って行った。というのが結果として世界中を相手に戦争する形になったのだと思う。」
Q:「軍部が独走したというが・・」
A:「軍部の独走としきりに言われるが、軍部の独走だけではあそこまでは行かない。政治の方もだらしなかったが、国民の世論もだらしなかった。世界の国と交際をせずに、“お前達の国は相手にせず・・”とやって、アジアの国々の中で、植民地ではあるがインドやビルマなどの国々が、日本の言う事をきくかというと、きかない。」・・・・
太平洋戦争開戦の理由として良く言われるのが、米(英中蘭)から経済封鎖をかけられたためとか、いや、植民地の拡大、つまり資源目当てだ、とか・・。そして、その責任者は「開戦は“仕方が無かった”」と言う。しかし戦争がもたらした悲劇はあまりにも大きい。
しかしこの半藤さんの論では、マスコミに踊った国民にも多大なる責任があるという・・。
軍隊の教育で多くの兵士が捕虜とならずに自決した事は周知の事実。つまり全ては教育だ。新聞も考えようによっては、国民に対する「教育機関」なのかも知れない。国民も、もしその責任を問われると「自分は悪くない。新聞に踊らされただけ」と言い訳をするのだろう。一方、国民を煽った新聞は、その責任をどう言い訳しているのだろう。これは自分のこれからの勉強のテーマだな・・・
自分がこの高名な半藤一利という名を知ったのは、恥ずかしながらほんの2年前(ここ)。Netで、太平洋戦争について何の本を読んだら良いかと探していたら、半藤一利という名前がたくさん出てきた。
その後、NHKの「その時歴史が動いた」という番組にも良く出ていたので、話を聞く機会は多く、その道の第一人者だと知った。
目の前に、半藤さんの「昭和史」という本がある。通勤カバンに入れると重い。でも先ずこの本を読まないと全ては始まらないな・・。
今日の半藤さんの話を聞いて、マスコミ(新聞・放送)が“何のために”国民を戦争に向って煽って行ったのか、その理由と歴史的推移を知りたいと思った。
60年間もの間、戦争による死者ゼロの国は世界でも日本だけとか・・・。これを継続していくためにも、良くも悪くも先人たちの行動の検証、勉強は必要だろう。
併せて、今回衆議院選挙の世論の“熱狂”も、後世反省の弁が出ない事を祈ろう。先の小泉劇場では郵政民営化に“熱狂”し、今回は郵政見直しに“熱狂”しているとしたら、半藤さんのいう“世論もだらしない”と同じになるので・・・・
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コメント
「マスコミ」の範疇に、NHKも含めて考えてみていただくのが良いかと思います。
このブログでも触れておられた、海軍軍令部に関する反省会の放送後、確か8/15前後に、「戦時中にNHKがどのような放送をしたか」という、ある意味での検証番組をNHK TVで放送していた。
軍部からの圧力で仕方なく戦争協力的な放送をしたのではなく、NHK自身が率先して戦意高揚を図る放送を行ったこと。
また、NHKが大本営発表以上に事実を隠蔽し国民に真実を伝えなかったことを、NHK自身が放送した。
ただし、そこにNHKとしての反省も、コメントもなかった。
海軍軍令部の反省会の放送のときは、毎夜放送の最後にNHKのディレクターがコメントのようなものを述べていたのとは大違いだった。
投稿: NHKもマスコミのはず | 2009年9月 1日 (火) 23:16
たまたま、先日、文藝春秋増刊『くりま』9月号を購入しました。「半藤一利が見た昭和」です。まだ少年時代の大空襲に遭ったところから敗戦までを読んだだけですが、私の戦争中の幼児期から、戦後の焼け跡まで、思い出す事が沢山ありました。
何故、無謀な戦争が始まってしまったのか、これからゆっくり読んでいこうと思います。
学校の日本史では殆ど勉強しなかったところです。大衆が情報を鵜呑みにしてある方向に傾いていくのは、今でも選挙をみればよくわかりますね。
投稿: 白萩 | 2009年9月 2日 (水) 22:45
NHKもマスコミのはず さん
半藤さんはこの番組では言及していませんでしたが、放送もマスコミですよね。NHKのETV特集「シリーズ戦争とラジオ」。少し見ましたが、再放送があったらもう一度別の目で見てみます。
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白萩さん
そうですか・・。文藝春秋増刊を、自分も本屋でめくってみます。
投稿: エムズの片割れ | 2009年9月 3日 (木) 23:25
「太平洋戦争はなぜ起きてしまったのか?」
アメリカの星のマークが入ったゼロ戦に手を振っていた、戦後直後生れの私でも、この問には一言では回答できませんねぇ~。(笑)
まず、何で、この街は壊れた建物や、みすぼらしい人々が多いのか不思議でした。
学校でも、余り戦争のことは授業で有りませんでした。中学の頃、満州事変から太平洋戦争に日本とアメリカと戦争になった程度の話ししか記憶に有りません。
このNHKの番組で、海軍軍令部の権限増大が太平洋戦争の引き金となったとナレーターが説明しておりますが、神国日本のおごりが土石流のごとく日本の国際政治を戦争に向わせたのではないでしょうか?、決して戦争前から、いがみ合ってた国では無いだけに、残念だと思います。
マスプロによる国民全体がマインドコントロールされていたような感じ・・・・
投稿: 耳鳴りオーディオマニア | 2009年9月10日 (木) 18:49
白萩さん
文藝春秋増刊『くりま』、自分も読みました。NHKの「特集100年インタビュー」での話がそのまま活字になった感じですね。でもタメになりました。紹介ありがとうございました。
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耳鳴りオーディオマニアさん
「アメリカの星のマークが入ったゼロ戦」とはなかなか意味深な表現で・・・
先日「BS世界のドキュメンタリー シリーズ第二次世界大戦」を見ました。昔のモノクロ映画フイルムをカラー化したもので、まさに実像による「記録映画」で引き込まれました。
自分はまだまだ知らない事だらけで、到底偉そうにコメントできる立場ではないと思いました。
投稿: エムズの片割れ | 2009年9月12日 (土) 23:29
初めまして、私は戦争を経験したことの無い世代です。どうして当時の人達は戦争を選択してしまったのか?漠然と分かったような気がします。
今でこそ、どうして?と言えますが、当時の人々は、その選択が当たり前の事である、と思い込んでいたような気がします。
日清戦争で獲得した旅順を三国干渉により返還し、また新たに満州国から手を引け、なんて。
現地の人達からすれば、それは侵略かもしれないですが、一般の日本人からすれば、それは満州国を日本の力で建国させてやった。と思い込んでいたのかな?と思います。
日本は、日露戦争に勝利して以来、国家が次に取るべきビジョンの空白による閉塞感が起こって、そこに陸軍が暴走して、新たに満州建国という大義名分を創り出し、そこにマスコミや教育相乗りしてまった。と思います。そして日中・太平洋の戦争へと・・・
驕れる者は久しからず、ただ春の夜の夢の如し。でしょうか?
投稿: | 2009年12月28日 (月) 00:14
その通りだと思います。歴史的事実は、あとから評論は幾らでも出来ますが、自分がもしその場に居たら、かつての人と同じような判断をするような気がします。
全てが終わった後の今の冷静な判断が、その時に同じように出来るとは、到底思えないのです・・・
投稿: エムズの片割れ | 2009年12月29日 (火) 20:06
いつの世にも冷静な判断が出来る人はいたと思います。言論の自由を封じられ、暗愚な者が上に立つと、国家は破滅に向かいます。それでも、この戦争は間違っていると声をあげ、獄舎につながれたり、拷問によって殺されたりした人々がいたのは事実です。どの位の人が殺されたのか調べた人はいたのでしょうか。三木清の最後を思うと、勇気の強さと権力の怖さを感じます。
私は集団が嫌いです。歌のお好きな方には誤解を受けそうですが第九を大勢の人たちが声高らかに歌って居られるのを見ると、嫌な気分になります。セレナードなら楽しめるのですが・・・私がちょっとおかしいのでしょうか。
投稿: 白萩 | 2009年12月29日 (火) 22:01
白萩さん
自分もグループ行動は苦手ですが、これからは(老いてくると)そうも言っていられないかも・・・
投稿: エムズの片割れ | 2010年1月 1日 (金) 15:04
日本は何故、勝てる見込みがないと解って、太平洋戦争に入って行ったのか?
実は、この問題に関して、日本人自身が、日本国としての(つまり国会を中心とした、識者を交えた日本国民全体としての)正式な総括が行われた事実を、見た事も聴いた事も有りません。
唯、極東軍事裁判で、戦勝国のアメリカが中心となり、彼らの戦争の理由付けを行ったに過ぎませんでした。
何故、日本人自らが、敗戦を迎えた戦争責任の所在を明らかにしなかったのでしょうか?
しかし、この事実こそが、この問題に対する答えなのではないでしょうか?
真ん中に立って、この答えを追求すると、何かにとって都合の悪いことになってしまうので、この問題を真面目に真正面から取り組んだ総括は避ける。
この体質こそが、「日本は何故、太平洋戦争に入って行ったのか?」に対する答えだと思います。
言い換えれば「日本と言う国は、物事を冷静に真正面から、誰への遠慮も無く、中立的な立場で判断して、結論を出すことが出来ない国なのである」。
この体質は、今現在も日本国全体の底流に脈々として流れていると思います。
そして、このことが、日本の歴史教科書が、歴史事実を正直に若い人達に教えていないことに繋がっており、難事にぶつかった時に、再び正しい判断が出来ない人間に、人間の集団に、果ては日本国に、育てる結果となります。
将来にとって、正に憂慮すべきことです。
歴史事実を正直に教える歴史教科書を創り、多くの事を学ばせて、戦争の時代を知らない若い人達を、日本の将来を間違えない方向に導く判断が出来る日本人に育てる必要があると思います。
明治四年(1871年)、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳を主体とした約50名の使節団が、当時の先進国14カ国を調査するために出発しました。
この時、明治維新日本を代表した彼らは、訪問したドイツの宰相ビスマルクから次の言葉を聴いて、意を新たにしました。
「世界と外交接触する時、外交団は丁寧な礼儀で歓迎を受けるが、これを相手の本心だと思ったら大間違いだ。いざ物事を決定する時は、自国の軍事力が貴国を上回ると考えれば、唯自国の利益だけを考えて、君達の国のことなど思いやる事など全く有り得ないことを、心に留めて置きたまえ」。残念ながら、この貴重な体験は、昭和の時代には忘れ去られていました。
極東軍事裁判は、この言葉を思い起こさせるに十分であります。
常に、世界に目を開いて、世界的な視野で物事を判断することが、大切であると思います。
【エムズの片割れより】
実に説得力のあるコメントで感服しました。その通りですね。
今の日本は、世界からみてレベルがとにかく落ちている。現在の政治家が・・というより、国民全体の視野が狭くなっているのでしょうね。もちろん我々還暦組にも責任はありますが、大人物を育てる風土が、実利追求の現代日本には、もう無いのでしょうかね・・・。
投稿: 小倉 純一 | 2011年6月 4日 (土) 21:20
アメリカの星のマークを付けた零戦とは 敗戦後アメリカ軍に没収された 日本軍の軍用機は日の丸を消しされて アメリカのマークを付けられました
投稿: 夢見る男 | 2011年6月 7日 (火) 08:55
今年で戦後69年になります。正しく歴史の現実を把握しこれからの国家進路の糧として頂きたい。「歴史を知る者は国を治め未来を支配する」ことを忘れないで欲しい。「全てが日本が悪い!」・「全てが他国が悪い!」と片付けないいでいただきたい。現在は「日本が悪い」が多すぎます。その悪い要因が他国にあることもみのがさないで欲しいのです。
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
歴史の審判とは良く言われますが、今起こっている色々な動きが、数十年後にどう評価されるか・・・。それを“今”見極めるのは、なかなか難しい・・・。
投稿: 古川典保 | 2014年4月 6日 (日) 14:47