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2009年8月 9日 (日)

乙武洋匡の「五体不満足」を(今頃)読んだ・・

乙武洋匡という人は、ものすごく優秀なプロデューサなのかも知れない。自分という“個性”を、最大限引き出して世に売り込む才能に長けた人・・・・?

乙武洋匡の「五体不満足」を、今頃(?)読んだ。ひょんな事から我が家に「中古図書館」が出来(ここ)、そこにあった“かつてのベストセラー”を読んでみる気になった。「バカの壁」は、どうも自分にフィットしなくて途中で放ったが、この乙武洋匡の「五体不満足」は最後までスッと読んだ。

このベストセラーも「なるほど・・・。売れるだけのことはある」が感想・・・。とにかく読みやすい。何の抵抗も無く、ススーッと最後まで読めてしまう・・・・
この文庫は「完全版」と銘打っているが、それはこの本がベストセラーになった後、つまり初出版の2年半後に「その後」を書き加えたものだという。この部分を読んでみて、自分はやっとうなずいた・・・・ (後でカミさんに聞いたら、発売当時に息子も含めてこの本を読んだのだそうだ。そしてやはり何か違和感を感じたとか・・・)

つまり、自分はこの本を読みながら、“何かを意識して書いている”ような気がして違和感があった。あまりに“受け”を意識し過ぎているというか、浮っついていると言うか・・・
それを2年半後に本人が反省(?)した弁が、この本の最後に載っていた。
「自分で、人気者になるような書き方をしていたのかもしれない」・・・。そして「・・・もしも神様がやり直しを認めてくれるのなら、私は『五体不満足』出版前に時計の針を戻すかもしれない。・・・・私は再びこのレールの上を歩む選択をする自信がない。」(「五体不満足」P268より)・・・・・と。

しかし、四肢が無いというとてつもない障害を負って生きてきた筆者の、それに負けない屈託のない姿勢に、ただただ驚かされる。並みの人間ではない。早稲田の政経卒という優秀な頭の持ち主なだけではなく、「目立たちがり屋」という自分の個性をいかんなく発揮して凡人が想像できない位に障害にひるまず生きて行く姿勢には、ただ脱帽だ。普通の人間は、置かれた悲惨な事態に打ちひしがれ、いかにひっそりと暮らすか・・・、と思うだろう。
それを「障害は個性」だと割り切って世界に対峙して行く・・・
もちろんこれには、「かわいい」と言ってくれた母親がいればこそ、なのは言うまでも無い。

しかし現実は、母親が「もし、私も胎児検診を受けていて、自分のお腹のなかにいる子に手も足もないということが分かったら、正直に言って、あなたを生んでいたかどうか分からない」(P264より)と言っているように、これが真実だろう。誰も“平々凡々”をあえて否定する人はいない。

ビジネスの世界でも、よく「正のスパイラル(回転)」「負のスパイラル」という言葉を使う。本来、まさに「負のスパイラル(物事を悪く悪く考えて、益々事態は悪くなる・・)」となる“障害児の誕生”を「正のスパイラル」に変えたのは、繰り返すが、母親の、そして両親の「かわいい」という捉え方が全てだろう。

世の中、どの家庭でも何が起きるか分からない。もちろんこのような大変な事態も・・。それを「正のスパイラル」で行動できるノウハウは一体何なのだろう? この両親にいちど聞いて見たいものである。

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