「ベジタリアンへの道」
今日の日経夕刊のプロムナードというコラムに、「ベジタリアンへの道」という記事があり、面白く読んだ。曰く・・・
「ベジタリアンへの道 和合 亮一
給食が恐怖だった。何しろ野菜が苦手で、全く食べられなかったのだ。小学校に入ってまもなく、僕の地獄は始まった。給食だけを楽しみにしてきて猿のようにはしゃいで食べている友達の隣で、無表情で目の前の食器を見つめるだけであった。それでもコッペパンなど、食べることの出来るものだけは齧りつくのだが、その他はほとんど手も口もつけられない。ある時にはトマトが丸ごと一つ、出た。爆弾に見えた。
担任の先生は、そんな僕をなかなか許さなかった。時間が終わって後片付けの時になっても、何も終わっていない僕は「延長」となった。全部食べるまでは、自由を与えられなかった。六校時が終わっても掃除の時間になっても僕は、給食の席のままであった。野菜とのにらめっこは、時々にはみんなが帰ってからもえんえんと続いてしまう。決して勝つことはなかったし、こちらから笑ったりもしない。玉ネギの正確なスジや、ニンジンの思いもよらない甘みや、アフロヘアーを思わせるブロッコリーなど、もはや嫌いを超えて怖ろしかった。
・・・・・・
先生は僕の好き嫌いをなくすためだと言って、常に厳しい顔をくずさなかった。・・・・
「これも和合君のためだ」とみんなに言っていた。でもこの時にようやく分かった。
これは僕のためなどではない。負けを承知で人生と対決するしかなかった。四十を過ぎてこの苦闘の日々こそを、しかしとても懐かしく思う。かつての幼い受難者は、どこへいってしまったのだろう・・・。冷やしたトマトに塩をふって、丸かじりするのを好む。みずみずしい夏の球体を見つめる。ドカンとはじけそうになりながら、完熟の季節を映している。(詩人)」(日経新聞2009/7/22夕刊p7より)
この話は、実に良く分かる・・。自分も大の野菜嫌いだったから・・・。でも自分には、これほどの“根性”は無かったな・・・。
小学校5年の時だったか、夏休みにお祖母さんの家に一人泊まりに行ったとき「夏はトマト位しかないので、砂糖をかけてでも食べなさい」と言われたことを、いまだに覚えている。塩ではない、砂糖なのだ・・・
思い出すと、自分の場合は特に生野菜が嫌いだった。でも人生には転機というのはあるものだ。高校1年の時、夏休みだったか、大学に入って下宿をしていた兄貴のところに行った事がある。そのとき、昼食にラーメン屋で「野菜炒め定食」を食った。美味かった・・・・・・。
大学1年の時、先輩にラーメン屋で「タンメン(湯麺)」をおごってもらった。こんな美味い食べ物が、世の中にあることを知った。それ以来、野菜炒めとタンメンは人生の大好物となった。(実は今日も昼食も「肉野菜炒め定食」だった・・)
でも家庭では依然として野菜は食べなかった。しかし、いつの頃か「ドレッシング」というものがあることを知った。これはうまい。何~んだ、生野菜もドレッシングをかければ食べられるではないか・・・。これは自分的意識革命であった。
数年前に友人からベジタリアンを勧められた事もあり、それ以来、我が家の目標はベジタリアンになっている。友人は、「“負けるが勝ち”の穏やかな心境になって、体調もすこぶる良い」と言っていた。
そのためか、最近は自分の好みとは関係なく、カミさんは目標のベジタリアンまっしぐら・・・。肉などほとんど食べさせてくれない。たまに煮物などで肉が入っている・・・と思うと、“肉もどき”で材料は豆腐だという。バカにしている・・・。
献立については、自分にはほとんど発言権はない。スーパーで買い物をしながら「今日は何にする?」と聞くので色々と答えるのだが、何を言ってもほとんど無視される。採用されない。だから「言っても採用しないのなら、いちいち聞くな!!」といつも文句を言う。
でもそのせいか、先日来た“検診結果”によると、中性脂肪が109と、150以下の基準に入ってしまった。これは20年前に150を突破してから、久しぶりの快挙。3年前には中性脂肪が550で再検になったが、その後、550→289→220→109とダウンしているのも野菜のせいだろうか??
「このまま中性脂肪が下がって行って“0”になったらどう責任を取るつもりだ!」とカミさんを脅しているが、当家の野菜中心の献立は変りそうも無い。
そのうち、リタイアしたら“料理を覚えて”復讐するぞ! ←なんて言うのはウソ!
今日は皆既日食だと世間では大騒ぎだが、東京は曇っていて見られなかった。長男の引越しの手伝いに行ったカミさんはまだ帰っていない・・・・。
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コメント
娘が保育所に通っていた時に厳しい保母さんがおられました。
母が来ていたので迎えに行ってくれたのですが、
お友達が帰ってもなかなか門まで来ないので中に入って見ると、
おでんを前にしてじっとしていたとか。
お友達はお昼を食べて、お昼寝をして、お八つも食べたのに、
娘はお昼からお友達か帰っても、おでんとにらめっこしていたのでした。
保育料を払っていているのに貰えないと損だからと
母がお八つの催促をしたのでプリンを貰って帰りましたが、
娘がおかずの残りをかばんに入れて帰るので汁で汚れると
私が保母さんに言ったのが原因のようです。
娘は保育所はあまり好きではなかったのですが、
プリンは好きなので帰って来るまでによく作ってやりました。
投稿: なち | 2009年7月23日 (木) 19:34
なち さん
先の和合さんのコラムと同じような光景が目に浮かびました。自分も幼稚園は嫌いでしたが、給食で嫌いなものを食べなければならない、という恐怖も今でも良く分かります。
だから“自分は子供に、嫌いなものを無理に食べさせなかった・・”とは思うのですが・・、本当にそうだったどうかかは自信がありません。
投稿: エムズの片割れ | 2009年7月24日 (金) 22:00