映画「ふるさとをください」をみた
今日はカミさんに“拉致”されて、映画「ふるさとをください」(これ)を観てきた。場所は映画館ではなく、近くの市民会館。この映画は、“きょうされん30周年記念映画”だそうで、「きょうされん」とは「旧称:共同作業所全国連絡会」(ここ)で、“成人期の障害のある人たちが地域で 働く・活動する・ 生活することを応援する事業所の全国組織”とのこと。
物語は和歌山を舞台に、田舎町に引っ越してきた「作業所」が、地域社会から疎まれていたのが、帰郷して県庁の職員になった主人公の女性たちの努力で、地域社会に受け入れられて行く様子を描いたもの。
この作業所で働く人は、子供を2人生んだ後で、統合失調症(旧:精神分裂病)に罹って10年もの入院生活から立ち直った女性や、同じく大学時代に発病した男性等々。作業所は知的障害の方が主かと思っていたが、この映画では元統合失調症の人たちが主人公。ストーリーは(ここ)。
脚本がジェームス三木だけあって、セリフが軽妙で笑いを誘う場面も多い。左記のチラシによると、ジェームス三木は長年の共同作業所運動の応援団だとか・・・。知らなかった・・。(写真はクリックで拡大)
映画は根の深い“キチガイ”への偏見(=町内会の反対運動)との戦いから始まる。リアリティのためか、非常にきわどいセリフ(“キチガイ”等)も多い。美しい和歌山の風景とともに、重たいテーマを秘めて映画は進む・・。そして京都で起きた“精神病院入院歴のある長男が家族3人を惨殺”というニュースをキッカケに、反対運動が盛り上がるが、それ以降のスジが拙速で残念。
もちろん作業所の人たちもこの映画を見るので、筋は分かり易く、ハッピーエンドでなければならないのは分かるが、ラストシーンの結婚式に向けた動きの性急さが不自然で残念だった。精神病患者同士の結婚に反対だったそれぞれの両親が、作業所での結婚式に駆けつけたり、結婚式と同じ時間に反対集会をしていた全員が、ひとりの人の説得に負けて賛成派に回り、全員揃って作業所の結婚式に祝いに駆けつけるなど、少し雑・・・。
でも反対派の人に藤田弓子扮する所長が「皆さんがふるさとを大切にするのは分かります。しかしここの人にはふるさとは無いんです。みなさんのふるさとを少し分けてください」というセリフには泣けた。
上映は1000人以上入る市民会館だったので、席は自由。そして聴覚・視覚障害者のために、字幕・副音声付き上映のため、最初は違和感があった。でも本格的な映画に仕上がっていた。
帰ってからカミさんに、この映画をどこで知ったか?を聞いたら、読んでいた「強いられる死」(これ)という本に、「きょうされん」という言葉が出てきて、そのホームページを見てこの映画があるのを知ったという。
この「強いられる死」という本に、障害者自立支援法について、こんな記載がある・・・。
「元々、障害というのは、
①不可避性(避けることができなかった)
②不可知性(知っていて障害を受けたわけではない、まして先天性の場合は)
③不可逆性(元の状態に戻れない場合が多い)
④普遍性(誰にも可能性がある)
こうした特性を有するもので、だからこそ個人の責任ではなく社会全体で保障していこうということになるのではないでしょうか。今回の応益負担制度は、たとえ1割負担とはいえ、障害を個人のせい、または家族のせいにするというもので、いわゆる「障害の自己責任」という考え方に立脚するものです。」(「強いられる死」P193より)
話が、作業所舞台の映画から自立支援法に飛んでしまったが、今朝ニュースで「民主党は衆院選のマニフェスト(政権公約)に、障害者自立支援法を凍結して、障害者が福祉サービスを利用する時の原則1割負担の撤廃を明記する方針を固めた。政権奪取初年度に実施し、支払い能力に応じて負担額を決める「応能負担」に戻す。」 (ここ)というのが流れていた。この政策の実現を期待しよう。
ともあれ、良く分からないまま連れて行かれてしまった映画ではあったが、フト“自分の街に作業所が出来たらどうするだろう”とも考えてしまった。本当に大賛成するか?それともこの映画のように、統合失調症が再発した時の市民の安全を心配するか??
隣の席でカミさんが、結婚の説得に作業所の職員が親の家に行ったとき、男性の両親が「結婚なんてとんでもない。息子がこうなったので前の所に住んでいられなくなってここに引っ越してきた。ここにも住めなくなったら、もう死ぬしかないんです」というシーンで号泣したというが、そんなことはトンと知らず、淡々と見た映画ではあった。自分はこのような視点に“鈍感”なのだろうか・・・
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