映画「学校Ⅲ」を観る~大企業の肩書きが取れたとき・・
DVDレコーダの整理をしていて、1ヶ月ほど前にNHKhiで放送された山田洋次の映画「学校Ⅲ」をつい観てしまった・・・。内容に何か共感したので・・・
この映画は1998年の映画なので、もう10年以上前の映画だ。しかし内容は現在置かれている状況と同じ・・・。
大竹しのぶ扮する小島紗和子は不況で中小企業の事務員を解雇されてしまう。息子は小児自閉症で、夫は10年前に過労死。一方、小林稔侍扮する大手証券会社の部長だった高野周吉も、50歳以上全員対象のリストラで辞職。そしてボイラー技師の資格取得のための職業訓練校で一緒になる・・・。その教室の仲間の友情と、それぞれ事情を持った高年齢者の再出発の姿を描いている映画。(ストーリーの詳細はここ)
何とも身につまされた内容・・・・。大企業の部長だった高野は、自分の境遇を受け入れることが出来ず、知人を頼って就職活動をするが、誰も相手にしてくれない現状に絶望・・・。そしてやっと現状肯定(認識)が出来た時に、前向きに進む決心をして禁酒して勉強を始める・・・。
笑い話に、ハローワークで「あなたは何が出来ますか?」という質問に「私は部長が出来ます」という話がある。大企業であればあるほど、相手はその“肩書き”に対して付き合っている、という事実を忘れがち・・・。よって国会議員ではないが、“肩書きが取れたら(選挙で落ちたら)タダの人”なのである。その状況を理解できない「元大企業の戦士」を実にうまく描いていた。
世の中、“派遣切り”を代表に、失業者があふれている。特に高年齢者の就職は、論ずる前に年齢だけで失格、という状況は変っていない。
自分は昔から、「インプット(自分に掛かる給料などの費用)よりもアウトプット(会社にとっての儲け)が多ければ、その人の存在は“利用価値(=存在価値)”があるので、辞めさせられないはず」という“原理”を信じていたが、会社の方針(派遣切り等)や状況(倒産など)の下では無意味・・・。
サラリーマンは必ず「定年」という大転換を余儀なくされる。その時にどうするか・・・・。一番の問題は、自分が考えている自分の“利用価値”と、世間が自分を評価する“利用価値”とは大きな違いがあるという事。
そんな状況を、この映画では、昔の部下・知人・同窓生に就職の斡旋を頼んで冷たくあしらわれる小林稔侍の姿で描いており、他人事とは思えない哀しい感慨を覚えた。
肩書きで仕事をするのが当たり前の企業戦士。その肩書きが取れたときはどうするのか・・・? 本来の自分に戻って考えておく事は、遅過ぎることはあっても早過ぎることはない。まあ、そんなことを教えてくれた映画であった。
何か切ない、でも結局は、“現状を受け入れて頑張るしかない”という元気をくれる映画ではある。
| 0
コメント