「六十の手習い」~“何か”残せるか?~久木綾子さんの話の続き
今日のタイトル、「何か残せるか?」の意味は、“人生で後世に残るものを我々は一つでも残せるだろうか・・・?”という意味である。
先日書いた記事(ここ)、久木綾子さんが89歳にして小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起」(これ)で新人作家デビューを果たしたという話が、なぜか頭から離れない・・・。
“70歳スタートでの89歳新人作家デビュー”の事実は刺激だ・・・。
繰り返しになるが、この話をもう一度考えてみると、瑠璃光寺の五重塔を見るために、35回も東京から山口に通い、小説を書くために兵庫の歴史講座に月一回参加したり、高野山に一ヶ月こもったり、大工の棟梁に弟子入りしたり、それにこの小説の舞台には必ず実際に足を運んでそこの空気を吸う・・・、といった事が出来たのは、本人の熱意・執念に伴って「健康」がキチッと付いて来たわけで、これは大変なことだ・・・。普通は、幾ら「熱意」があっても、70歳では「健康(体力)」の点で腰が引けて(あきらめて)しまうだろう。
森光子の「放浪記」が2000回を迎えたと最近話題になっている。今日、バスを待っていると、駅前の電光掲示板に「国民栄誉賞を検討・・」とあった。これは48年間の継続の成果。しかし、何度も言うが久木さんの話は何と“70歳でスタート”なのだ・・・。
先日NHKラジオ深夜便で「魅力あらた 龍馬の土佐~大河ドラマ“龍馬伝”を前に土佐の風土を語り合う」を放送していた。(2009/4/24放送) その話の中で、来年、大河ドラマ「龍馬伝」が始まるのを機に「現代龍馬学会」が発足したという。龍馬研究は190通にも上る残された手紙の研究がベースだという。
この話を聞いて、歴史上の偉人を誰か一人絞って、掘り下げて勉強(研究)してみるのも面白いかな・・?と思った。世間では郷土史家の活動も盛んらしい。
ともあれ、久木さんの小説の中身よりも「70歳から20年掛けて勉強し、一つの小説を書き上げた」という事実に、自分は強い衝撃を受けているようだ。失礼ながら、本になるか、また売れるか等、全く分からないのに20年も掛けて・・・、である。それに引きかえ、還暦後“サーテ何をしようかな・・・”と未だに迷っている自分があまりに小さく・・・・
それで、久木さんの爪の垢を煎じるワケにも行かないので、会社の帰りに東京駅前の丸善に寄って、小説「見残しの塔―周防国五重塔縁起」を買ってしまった。やはりこの本は話題になっているらしく、目印の“旗”とともに山積みにされていた。
本を手にとって見ると、重い。厚いこともあるが、文章が重い・・・。難しい漢字がたくさんあり、とても走り読みできる内容ではなさそうだ。どうも「面白い」という小説には見えないが、作品が書かれた背景を認識して、ゆっくり読もうかと買ってきてしまった。(でも2520円は高いゾ!)
「**の手習い」という言葉は、色々に使われているが、広辞苑で調べてみると「六十の手習い」「八十の手習い」という二つは載っていた。それ以外の「七十の手習い」などは載っていなかったが、何の数字を入れても通じる。つまり、トシが幾つになっても“スタートは出来る”ということだ。
この小説(の存在)は、迷っている自分の意識を少しは変えてくれるような気がするが、甘いだろうか・・・。
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コメント
久木さんの「大工の棟梁に弟子入りした」というのが凄いと思います。瑠璃光寺を見物した時、よく台風で倒れなかったものだと感じ入った記憶があるからです。国宝になっているのはその辺にも根拠があるのかと・・もちろん建物の美しさ、周囲の景観との釣り合いもすばらしかったですが。
ただ、「夫君の財力云々」は、彼女の快挙の価値をいささかも減じるものではないと思います。
投稿: 周坊 | 2009年5月13日 (水) 16:26