昭和27年の出来事(5歳)~伊藤久男の「あざみの歌」
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの6回目。
自分が4歳から5歳になる昭和27年(1952年)の出来事を調べてみると、4月9日に日航機 「もく星号」が大島三原山に墜落し37名全員が死亡。(写真はクリックで拡大)
4月10日からNHKでラジオドラマ「君の名は」が放送開始(~1954年4月8日)。4月28日に対日講和条約・日米安全保障条約が発効し、GHQ廃止。5月19日に白井義男がボクシング世界フライ級で日本人初の世界チャンピオンに。
そして、昭和27年の12月20日にNHKでラジオ第一放送と第二放送の2波による立体放送が開始されたという。ステレオ時代の幕開きである。この話は、ちょうどラジオ深夜便「ミッドナイトトーク・ラジオと私・作家 山本一力」(2009/5/5放送)で、文化放送とニッポン放送による(ラジオ2台で2電波放送を受信する方式の)ステレオ放送について、懐かしい話をしていた。自分も昔聞いた事がある。片耳は真空管式のラジオのスピーカの音、もう一方の耳は鉱石ラジオのイヤホンの音。それでも広がりが分かり、驚異だった。自分がそれを聞いたのは、昭和30年の中頃、小学校6年生または中学生の頃だったか・・・
昭和27年発売の歌というと、8月発売の伊藤久男の「山のけむり」位しか浮かばない。でも、この歌は既に論じたので(ここ)、同じような歌である「あざみの歌」を今日は取り上げたい。(この歌は前年の昭和26年発売である)
<伊藤久男の「あざみの歌」>
「あざみの歌」
作詞:横井 弘
作曲:八洲秀章山には山の 愁いあり
海には海の 悲しみや
ましてこころの 花ぞのに
咲きしあざみの 花ならば高嶺の百合の それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想いいとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの経(みち)は はてなくも
香れよせめて わが胸に
ところで、「あざみ」とはこんな花だという事を改めて認識した。この花は見たことがあるような無いような・・・・。(しかし子供の頃から、この歌を通して良く知っている“あざみ”だが、花をしげしげと見たのは今回が初めて??)
前に「毬藻の歌」について書いたとき(これ)、下山光雄著「さくら貝の歌~八洲秀章の生涯」という本があることを知った(ここ)。手に入れて読んでみようかと思っていたがそのままになってしまった。
ふと思い出したので、先週、真狩村役場に電話してこの本を頼んでしまった。そして昨日着いたのがこの本。かなり分厚い本格的な本だ。これから読むが、八洲秀章の出身地である北海道真狩村と同じ出身の下山光雄氏が詳細な取材をされて記録したもの。
それによると、「あざみの歌」について、作詞をした横井弘が次のような寄稿をしている。
「出逢い」横井弘(寄稿)
「あなたが“あざみの歌”の詞を書いた横井弘さんですか」
昭和24年春のある日、30代の紳士から声をかけられた。場所は日本音楽著作権協会の一室である。満面に笑みを湛えたその人が八洲秀章先生だった。
「あの詞に曲を付けたので、NHKのラジオ歌謡にしたいと思うのですが、どうでしょう」
私は思いがけない話にただ驚くばかり。何故かと言えば、「あざみの歌」は、昭和20年終戦直後、長野県下諏訪で作詞をし、翌21年キングレコードで1ヶ月ほどアルバイトをした時に女性社員に見せただけで、そのままになっていた作品だからである。
「よろしくお願いします」の一言で、八洲先生の叙情豊かな名曲がNHKの電波に乗って全国に流れた。先生の希望で、作曲者自身の独唱だった。温和なうちに激しい情熱を秘めたお人柄そのもののような曲調や歌唱で、リクエストが多数寄せられ、昭和26年には伊藤久男さんの歌でコロムビアからレコードが発売され、大好評を博した。
先輩にもかかわらず、少しもそのような素振りは見せず、いつもにこやかに温かく丁寧に接して下さった先生には頭がさがる思いである。
その後専属となったレコード会社が違うこともあって余りお目にかかる機会もなく、ご一緒に仕事をしたり、飲んだり出来なかったことが残念でならない。それだけに、多くの方々に愛されて今も歌い継がれている「あざみの歌」は、私にとって感慨深い一曲である。」(下山光雄著「さくら貝の歌~八洲秀章の生涯」p168より)
そして作曲者の八洲秀章は「あざみの歌」について次のように語っている。
「棘(とげ)持つ花、それは美しきが故に自分を守る。手折ってはいけない花だ。紅(くれない)ひとすじに燃えて咲く、あざみは棘もつ花。しかし、それは貞操固き処女のように、それ故にこそ一入に魅力的なのである。
あざみは、野生のたくましさと清らかさ、そして、情熱と哀愁とを秘めて咲く、乙女の花だ。雑草の中に紅い燃ゆるその姿の美しさ、あでやかさは、一際に風情がある。・・・」(同じくP170から。「うたごえ」3号 昭和38年7月20日発行)
この本については、読んでからまたコメントしたい。
しかしこの本は、数少ない書店でしか手に入らないマイナーな本だが、出身地の人が、“おらが村の大スター・八洲秀章”を村と一緒になって本にまとめるという業績は立派。この一冊の本によって、八洲秀章という人の人生が固定化され、改めて永遠の命が与えられるような気がする。
それと、いつの日か八洲秀章が歌った「あざみの歌」を聞いてみたいもの・・・・。
話は戻るが、この年に自分は5歳になったわけだが、唯一記憶があるのがこの年に弟が生まれた時のこと。自宅で産婆さんが来てお産が始まった。良く分からないまま、別室で待っていると、オギャーという声が聞こえ、しばらくして、誰かが「弟よ」といって赤ちゃんを見せに来た。その場面だけは今でも良く覚えている。しかし、父の姿は覚えが無いので、その場に居なかったのだと思う。
でもやっと、本シリーズも思い出話が出来るトシになってきた。
最後に、伊藤久男の再録盤も聞いてみよう。
<伊藤久男の「あざみの歌」ステレオ再録盤>~昭和43年録音
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コメント
抒情歌の真打ち登場といった感概です。
伊藤久男の二盤、歌い方がずいぶん変っていますが、私は古い方が好きです。昭和27年とラジオの思い出と言えば、私にはヘルシンキオリンピックがあります。
夜中に実況放送があるのですが、電波の状態が悪いのかラジオがぼろなのか、雑音がひどく良く聞こえませんでした。フジヤマのトビウオ“古橋広之進”は既に絶頂期をすぎていて8位だったと記憶します。
投稿: 周坊 | 2009年5月25日 (月) 23:21
周坊さんの仰るとおり、私も古い方が好きです。優しい静かな声でこの歌に相応しいですね。山の煙もあざみの歌も後年のものは声に力が入り過ぎて居る様に思います。だみ声と言っては失礼でしょうか。始めの頃の声の方が良いですね。私は花の中で濃い赤紫のアザミの花が一番好きです。
投稿: 白萩 | 2009年5月26日 (火) 20:05
八洲秀章さん、歌も唄っておられたのですね。
初めて聴きました。
「歌は美しかったV~ラジオの時代~」で検索してみてください。
昭和27年 「落ち葉しぐれ」「あこがれの郵便馬車」
投稿: なち | 2009年5月26日 (火) 21:00
周坊さん、白萩さん、なち さん
確かに、旧盤の方がしっとりとしていますね。
しかし、この時代の歌を探すと、みな伊藤久男になってしまいます・・。
投稿: エムズの片割れ | 2009年5月27日 (水) 22:49
この頃の歌謡曲の担い手は、声楽家の出身の
人が多いようですが。
投稿: カズ | 2009年5月28日 (木) 17:27
久々のコメントですが~すっかり御無沙汰してます!
今日は、長いレポートでしたが楽しくて一気に読んでしまいました。
「あざみの歌」は、今ちょうどボランティア演奏で取り組んでる曲ですし、私が生まれた年のレポートなどタイムリーな話題でした。
演奏前のMCにも取り入れさせて頂きますねェ~ひとりごとさんに、宜しく~(*^_^*)
投稿: 花 | 2009年5月29日 (金) 07:58
時々訪問させて頂いております。
伊藤久夫さんは、軍歌のイメージも強いですが、このあざみの歌も大好きな歌の一つで、私が好きな歌には高原の旅愁も有ります。NHKでのステレオ放送をエムズさんも聞かれた様で、私と同年代かと推測致します。ちなみに、文化放送とニッポン放送でのAMでのステレオ放送も有ったのですが...覚えていらっしゃいますか?確かパイオニア提供の番組だったかと...。真空管製の5級スーパーで時々AMを聞いています。マジックアイの緑が懐かしくて....又コメントさせて頂きます。
昭和は本当に遠くなりましたね!
【エムズの片割れより】
ありました。文化放送とニッポン放送でのステレオ。聞きました・・・。
しかし今でもマジックアイの真空管式ラジオが生きているのでしょうか?信じられませんが・・・。
投稿: アルプス | 2012年9月 9日 (日) 11:34
この記事は3年前に読ませていただいたのですが、アルプスさんのコメントを見て懐かしく、筆をとりました。
2つの放送局でステレオをやってたのは1960年代のはじめ頃でしたか、そんなこともありましたね。
それにしても伊藤久男のレコードは、この曲をはじめ、山のけむり、恋を呼ぶ歌、など2番が省略されているものが多いのはどうしてでしょう。昭和43年ならEPもあったでしょうに。
【エムズの片割れより】
2番が省略されている???
どうも自分はあまり歌詞を気にしないので、気が付きませんでした。今度、“研究”してみます。
投稿: かえるのうた | 2012年9月10日 (月) 18:14
かえるのうたさん、コメント有難うございます。あの頃は真空管でラジオを組み立てるのに夢中でしたが、こんな話題が通じる方も年々減るのでしょうね。
エムズさん、ヤオフクで落札した中古の5球スーパーですが、殆どの部品を交換し、再調整したら新品と遜色無い状態に復元、ナショナルの文字が年代を感じさせます。耳に優しい暖かい音です。
【エムズの片割れより】
懐かしい話ですね。子どもの時、自分も真空管の短波ラジオを作りました。エナメル線の巻き数の違うボビンを交換して周波数帯を選んだり・・・・
しかし5級スーパーを生き返らせろとは、大した技術ですね。自分も最近は毎日、STAXの真空管式アンプに浸っています。
大満足の音で、人生もったいないので簡単に死ねないな・・と思うこの頃です。(←オーバー!)
投稿: アルプス | 2012年9月11日 (火) 03:54
懐かしい歌聞かせて頂き感動しました。
投稿: 小林 優 | 2013年8月 2日 (金) 22:12
私は学生時代に短大生を好きになりましたが
男子高校出身の所為か卒業するまで言い出せずに終わりました。もう53年も前のことです。
あざみの歌、白い花の咲くころ などその時の
気持をとぴったりの歌にひかれます。
あざみの歌の作詞家 横井弘さんが2015年6月19日、88歳でなくなられた と新聞に出ていました、残念です。
【エムズの片割れより】
横井弘さんが亡くなったようですね。知りませんでした・・・。
大作詞家でした・・・。
投稿: 日比野正男 | 2015年6月26日 (金) 23:48