母を思う子の心と、子を思う母の心
今朝の朝日新聞の「天声人語」。何とも切ない話題である。曰く・・・
「福島県で刊行されている児童詩誌『青い窓』を、いつも送っていただく。主宰していた佐藤浩さんから聞き、ずいぶん前の小欄が紹介した一編を、逸話とともに思い出した。
お母さんが 車に はねられた
お母さんが 病院の れいあんしつに ねかされていた
お母さんを かそうばへ つれていった
お母さんが ほねに なってしまった
・・・・・
お母さんを ほとけさまに おいた
お母さんを まいにち おがんでいる
書いた小学4年生に、担任は「お母さん」は1回だけでいいと指導したそうだ。だが、児童は直そうとしない。迷った先生から相談を受けて、佐藤さんは言った。「何回でも、何万遍でも書かせてあげてください。その子の悲しみをわかちもって……」
大阪で行方不明になり、遺体で見つかった女児も小学4年生だった。虐待の末に死亡した疑いが強いという。何度声に出し、心の中で、「お母さん」と叫んだかと思うと胸がつぶれる。恐怖から救ってほしい一心で、である。
母娘は内縁の夫と暮らしていた。母親は救えなかったのか、救わなかったのか。わが子が埋められた後で捜索願を出していた。保育園の写真に母娘は満面の笑みで寄り添っている。「お母さん」と何万遍も慕ったことだろう。悲劇との落差に声もない。
〈迷い子の親はしゃがれて礼を言い〉と古川柳にある。声をからして捜し回り、やっと見つかったと親も周りも安堵(あんど)する。子どもたちの胸に、母を慕い、父を思う詩心がふくらんでいく幸せを、社会として守らねばなるまい。」(2009/4/25朝日新聞「天声人語」より)
5月になると「母の日」だ。母を思う子の心と、子を思う母の心を、つい考えてしまう。子を産み、育てるという性(さが)から、子を慈しむのは母親の自然の姿だと思うものの、(詳しくは知らないが)また子が母親に殺された(遺棄された)事件が発生したという。前に、母親に橋から突き落とされた子もいた。子供にとって、最後の砦(自分を守ってくれる最後の手段)が母親だろう。その母親から突き落とされる子供は、「何で?」を思いながら絶望の思いで落ちていったのだろう。このコラムの表現を借りると、本当に“胸がつぶれる”。
先日、NHKスペシャルで「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」という番組を見た(2009/4/12放送 これ)。
「アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けている部族がいる。欧米人に“最後の石器人”と呼ばれているヤノマミ族だ。現在、ヤノマミ族は2万人。40~200人で一つの集団を作り、ブラジルとベネズエラにまたがる広大なジャングルに分散して暮らしている。・・・・
森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、・・・大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬…。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。・・・」
14歳の少女がひとり森の中で子供を産み、精霊である生まれたばかりの赤ん坊を精霊のまま天上に返すか、または育てるかは、その少女が決めるのだという。そして天上に返す時はシロアリに・・・・。(実はこの番組、とても正視できず、早送りで見ただけだが・・・)
何ともショッキングな画面ではあったが、日本のそれとはおよそ動機が違う・・。
先に見た映画「闇の子供たち」(ここ)。タイで、8歳になった少女を親は売る。そしてエイズに感染して売春宿からも捨てられ、必死に戻った故郷の家では、家族は(病気が理由でか)子供を外の掘っ立て小屋に寝かせ、自分で食事を食べられないまま、一人死んでゆく少女。親は子供を二度捨てる・・・。貧困からか・・・。その親と子の心は・・・
話は戻るが、この天声人語にある素朴な子供の詩。愛する母を奪われた無念さがひしひしと伝わってくる。
しかし同じ子供でも、男の子は親との交流が難しい。素朴な会話が出来ない。代表例が自分なのだが・・・。自分は思春期の延長戦で、長い間(子供が出来るまで)親と子の会話が無かった。大きな声では言えないが、実はその「報い」がそのまま自分たちに続いている・・・。
ウチの約1名の息子は、(まあ男だから仕方が無いが)カミさんがメールを打っても100%梨のつぶて。もう1名の息子からは(“携帯魔”のためか)数分後に返事が来るのとは大違い。でもなぜかこの音信不通の息子から、決まって「母の日」にだけは、(子供のときから毎年、大金をはたいただろう)分不相応な大きな生花が届く。まったく分からない・・・・。(まあ自分よりはマシだな・・・・)
社会の最小単位である「家族」・・・。この「家族」のあり方で、人間の「幸」「不幸」はほとんど決定されてしまう。
タイと違って裕福な日本・・・。どんな事情があるにせよ、せめて子供の駆け込み寺としての機能だけは、「家族(家庭)」は最後まで持ち続けたいものである。
★ 「五十肩」の修理のため(?)、4/30まで出かけますので、しばらく休載しま~す。
●メモ:カウント~39万
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コメント
いつも、楽しみに拝読させていただいております。
「休載のお知らせ」は寂しいのですが、どうぞ、お身体をお厭いください。
五十肩が良くなられて、体調を整えられて、また健筆を揮ってください。待っています。
投稿: ジャン | 2009年4月26日 (日) 01:04
五十肩ですが、
わたしも猛烈な肩の痛みに
時々おそわれますが、
原因は「痛風」でした!
尿酸値が7台になると
おこるようです。
以外に見落とされる原因だと思われますが
一度チェックされてはいかがでしょう?
投稿: ampouie | 2009年4月29日 (水) 05:39
ジャンさん、ampouieさん
中国旅行で、即効薬は手に入りませんでした。若いガイドさんに「バトミントンをやれ」とか言われてしまいました。でも中国の方もなるそうです。やはり、一度医者に行こうかな・・・
投稿: エムズの片割れ | 2009年5月 1日 (金) 23:01
私も子供のころ、作文に私はひとつでいいと削られた事があります。
いまだに覚えていて、いらない言葉に赤線を引かれていたのを見た時はショックでしたね。存在を否定されたみたいで・・。
書く側にはそれなりの理由がある。でも他人にはそれが解らない。
投稿: み~子 | 2010年6月21日 (月) 03:26