韓国「尊厳死」判決を読んで~延命措置中止認める
2008年11月28日、ソウル西部地方法院で「韓国で初の尊厳死判決」が出たという。その判決文が日本尊厳死協会(ここ)の季刊誌「リビング・ウイル」(H21.4.1号p12)に載っていた。
それによると、原告5人(本人とその子ら4名)が学校法人某大学傘下の病院を相手取り、人工呼吸器取り外しを求めて提訴(2008/6/2)、本人の請求が認められたというものだった(子らの請求は棄却)。(ここ)
「韓国「尊厳死判決」を読んで 日本尊厳死協会 常任理事 弁護士 青木仁子
(1)事案の概要~人工呼吸器の除去を
原告本人は76歳の女性で、敬虔なキリスト教信者。夫は3年前、延命措置の気管切開術を拒否して亡くなっている。原告本人は当時、家族に「私が病院で、蘇生するのが難しいときに、呼吸器をはめないで欲しい。機械で延命するのは望まない」と話していた。
その彼女が2008年2月18日、肺ガン検査のため被告病院で気管支内視鏡を利用した肺腫瘍組織検査中に、出血多量により心停止となった。主治医らは心拍動機能を回復させ、人工呼吸器を装着した。が、低酸素性脳損傷を受け、この時から持続的植物状態となった。集中治療室で人工呼吸器を装着した状態で抗生剤投与、人工栄養供給、水液供給等の治療を受けている。人工呼吸器を除去すれば直ちに死亡に至る病状となった。
(2)当事者の主張~意思表示の有効性でも対立
原告本人は次の理由から「被告は原告本人に対し人工呼吸器を除去しなければならない」と主張した。①憲法が保障する自己決定権に基づき、治療中断の決定ができる。②既に意識が回復不可能な状況でなされている医療は生命だけを単純に延長させているに過ぎず、医学的に意味がない。③原告本人は以前、無意味な延命を拒否し、自然な死を望む意思を表明したことはあり、本件治療を中断して人工呼吸器を除去する意思があったとする。
これに対し、被告は、原告本人は現在意識不明であり、その意思の確認はできないとした。治療中断は直ちに死を招来し、患者に対する生命保護義務が優先する被告病院としては、治療を中断することはできないと主張した。
(3)人工呼吸器除去義務の理論~憲法10条により、医師に中断応ずる義務~生を維持する利益より死を迎える利益大きい
人工呼吸器取り外しを認める理由を判決は次のように述べている。
(ア)憲法(大韓民国憲法)10条は個人の人格権と幸福追求権を保障しており、その前提として自己運命決定権がある。そして患者の自己決定に基づく治療中断要求のある場合、特別な事情のない限り、医師はこれに応ずる義務があるとする。
(イ)ところで、治療行為の中断で患者が直ちに死に至る場合でも、医師は患者の要求に従って治療中断の義務があるかというと、そうではない。憲法に規定された全ての基本権の前提として上位に生命権がある。国家は憲法10条に従い国民の生命を保護する義務が、人は誰にも他人の生命を侵害してはならい義務がある。従って、医療法、応急医療に関する法律、刑法(嘱託殺人罪、自殺幇助罪)で法律上の制限をしている。患者が人工呼吸器の除去を要求しても、医師はその要求に原則として応ずる義務がない。
(ウ)しかし、人間は誰もがいつか死を迎える。人間の尊厳性は生命権がその基礎をなしており、死への過程、死の瞬間にも具現化されなければならない究極的価値である。特に医学技術の発達によって生命の延長が可能になった今日では、生命延長治が快復不可能な患者に肉体的苦痛だけでなく、植物状態のまま意識なく生命を延長しなければならない精神的苦痛を強要する結果となり、却って人間の尊敬を害するところとなった。
(エ)それ故、患者が不治且つ末期の病状にあり、治療中断の意思表示がある場合、患者が生と死の境界で自然な死を迎えることが人間の尊厳に更に符合し、死を迎える利益が生命を維持する利益よりもはるかに大きい。
(オ)従って、原告本人の場合は、人工呼吸器の除去を要求する自己決定権の行使は制限されず、医師はこれを拒否することができないとする。これに従った人工呼吸器の除去行為は、応急医療中断の正当事由があるとして、医師は民・刑事上の責任を負担しない。
(カ)更に、患者の要請を医師が拒否できない場合について実体的・手続的要件を立法で詳細に規定することがより望ましい、とした。が、具体的立法がないからといって、認められないものではなく、憲法から直接導き出される権利として生命保護の原則との衝突及び利益衡量を考慮した法解釈の下で認めうるとした。
(4)原告の病状
原告本人は通常の持続的植物状態よりはるかに深刻で、脳死に近い状態である。通常の持続的植物状態の場合、期待生存期間は2年~5年であるが、原告本人の場合は自発呼吸が不可能で脳損傷の範囲が大きく、植物状態発生の日から1年以内、現在(判決の日)からは3~4か月以内と見られるとしている。
(5)患者の意思
原則として、治療中断当時の病気と治療に関する正確な情報の提供を受けたことを前提とし、明示的に表示されてこそ有効と言える。しかし、意識不明患者が現在の自身の状態及び治療に関する情報の提供を受けたとすれば表示したであろう真正な意思を推定し、その推定意思に基づく自己決定の行使が可能であるとする。
(6)家族の請求権について~家族といえども請求権なし
治療中断は患者の自己決定権行使に根拠を有するものであるとして、子供ら全員の請求については棄却した。家族らが生命延長治療により経済的、精神的に苦痛を受けているといっても、それに関する立法がない限り、他人の生命を短縮する結果をもたらす治療の中断を請求する独自の権利を有するとみるのは困難である、とした。
尊厳死が憲法の自己運命決定権を根拠とする以上、当然の帰結であろう。
日本にこの判決はどのような意義があるか・・・意思能力者の代理人選任がハードル
韓国憲法10条と日本国憲法13条はほぼ同じであるから、この判決がもたらす意義には大きなものがある。まず、広く法制化に理解を求めていく上で大きな助けになろう。次に、もし日本で持続的植物状態の患者が、人工呼吸器取り外しや、胃ろう取り外しの裁判を提起した場合、この判決は我々の大きな味方として活躍することは間違いない。
しかし、問題は日本の場合、裁判を提起するための原告本人の代理人選任をどうしたらよいかである。韓国ではできるが、日本では、持続的植物状態の原告本人の特別代理人の選任方法がなく、それをどう突破するかで足踏みせざるを得ないのが現状である。
(その後上訴され、2009/2/10ソウル高裁も尊厳死を認める判決~ここ)
当blogでも、今まで何度か死について考えてきた。誰にでも訪れる死は、人間にとって最大の出来事である。
自分の身に何かが起きた時、誰も“機械的にレール(決められた手順)に乗って、管に繋がれてしまう自分”を想像しない。自分だけは別だと思っている。しかし、イザという時、医師の手で何の議論も無く、ただただ延命に走るのが今の医学のような気がする。
その環境の中でこの判決文を読むと、その判断の素晴らしさ感激する。他国の判決文など、今まで読んだことがなかったが、この判決は単に法律との機械的な照合に終始することなく、人間の尊厳をもとにした人間性豊かな判決だと思った。
ところで、同じ冊子の巻頭で、理事長 井形昭弘氏は「・・・会員数は12万名を超えましたが、日本全国からみれば少数と言わざるを得ません。・・・・そこで私は会員一人一人が二人の友人、知人に働きかけていただくことをお願いしたいと思います。・・・尊厳死運動は「健やかに生き、安らかに死ぬ権利を求める」人権運動です。・・・」と述べている。
日本の「尊厳死法制化」を目指しているという尊厳死協会。何とか「人間の尊厳」のために頑張って欲しいもの・・・。
何?自分は尊厳死協会に入っているかって? 入っていない・・。でも昔からカミさんが入っている・・。絶対に自分の方が先に死ぬので、自分は“大丈夫”なのさ・・・!?
●メモ:カウント~37万
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コメント
今年1月26日、私の母は95歳で他界した。
腰痛で歩行困難となったため入院。
2、3日後、インフルエンザに罹っているとのことでタミフルを使用。やがて高熱と共に肺炎を併発。この時点で担当医から、すでにいつ何時呼吸困難に陥ってもおかしくない病状であるが、その場合「人工呼吸器」を使用するかどうか決めてくれ」と迫られた。
人工呼吸器を装着すると、呼吸をするための筋肉が衰えるので、取り外すことは非常に困難となる、と説明があった。
私は、母の年齢や常日頃「延命治療は嫌だ」と言っていたことを思い出し「他の治療法で全力を尽くして欲しい」と装着をお断りした。もし装着していたら今でも命だけは維持しているかもしれないと思うとこともあるが
、間違ってはいなかったという気持ちの方が強い。
投稿: 周坊 | 2009年4月 9日 (木) 13:36
周坊さん
そうですか・・・。
10年前、自分の親父も脳溢血で脳死状態となり、人工呼吸器を付けられました。でも家族で相談して次の日に外してもらいました。外す時は、家族が自分で電源線を抜いてくれと医師に言われました。それだけ、難しい問題なのでしょう。
でも親父の場合は、100%誰も後悔などした事はありません。
投稿: エムズの片割れ | 2009年4月10日 (金) 23:58
私には誤解があったようです。
一端設置した人工呼吸器は患者が自力で呼吸できるようになるか、死亡しない限り取り外せないと思っていました。
そうですか外せるのですか。でも私には外す自信はありません。
取り外すことは、日本では合法なのですね。
「取り付けるかどうかの選択」と「取り外すかどうかの選択」はイコールなのでしょうか?つまり、私が「取り付けない」を選択したこととエムズの片割れさんが「外す」を選択したことは全く同じことなのでしょうか。
韓国で、外す外せないで争いになったのは
日本と法律が異なるからでしょうか。
投稿: 周坊 | 2009年4月11日 (土) 14:32
周坊さん
確かに韓国の場合は、家族が人工呼吸器を外してくれと言っているのに、病院が外さない、という係争でした。
10年前の親父のときは、「既に脳出血で脳幹をやられており、脳死の状態だが、これからどうする?」と、対応の判断は家族に委ねられました。よって日本では韓国のような裁判が無いのでしょうか?
・・とすると、自分の意思をキチンと家族に伝えておけば、尊厳死は叶えられる可能性が大?
投稿: エムズの片割れ | 2009年4月11日 (土) 22:03