昭和25年の出来事(3歳)~岡本敦郎の「白い花の咲く頃」
自分が2歳から3歳になる昭和25年(1950年)の出来事を調べてみると、6月25日に朝鮮戦 争勃発、7月2日に金閣寺が放火で炎上。自衛隊の前身である警察予備隊7万5000人の創設。レッドパージが始まる・・・・。
そして「ヤクルト」「江戸むらさき」の発売。学童に完全給食開始。「風と共に去りぬ」「チャタレー夫人の恋人」がベストセラーに。映画は「羅生門」が上映される・・・。
歌は、「夜来香(山口淑子)」、「イヨマンテの夜(伊藤久男)ここ」、「さくら貝の歌(辻 輝子)ここ」、「水色のワルツ(二葉あき子)」、「星影の小径(小畑実)」、「山のかなたに(藤山一郎)」、「赤い靴のタンゴ(奈良光枝)」、「東京キッド(美空ひばり)」、「白い花の咲く頃(岡本敦郎)」など。
この年は、戦後長く歌い継がれる歌が多く発表されている。その中で、昭和25年11月発売の岡本敦郎の「白い花の咲く頃」を聞いてみよう。
<岡本敦郎の「白い花の咲く頃」>
「白い花の咲く頃」
作詞:寺尾智沙
作曲:田村しげる
歌 :岡本敦郎1)白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日
さよならと 言ったら
だまってうつむいてた お下げ髪
かなしかった あの時の
あの白い花だよ2)白い雲が 浮いてた
ふるさとの 高いあの峰
さよならと 言ったら
こだまがさよならと 呼んでいた
さみしかった あの時の
あの白い雲だよ3)白い月が 泣いてた
ふるさとの 丘の木立に
さよならと 言ったら
涙のひとみでじっと 見つめてた
かなしかった あの時の
あの白い月だよ
作詞の寺尾智沙、作曲の田村しげるという夫婦のコンビの歌は、当blogでも取り上げた「夕月の歌(ここ)」「さざんかの歌(ここ)」や、この「白い花の咲く頃」の他に「リラの花咲く頃」など、叙情豊かな歌が多く自分は大好きである。
この「白い花の咲く頃」はNHK「ラジオ歌謡」の一つで、寺尾智沙・田村しげる夫妻が昭和24年に書いた「さよならと云ったら」をラジオ歌謡「白い花の咲く頃」として昭和25年5月8日に放送されたという。
この歌については、ダーク・ダックスの喜早哲 著「日本の抒情歌」に、このように紹介されているという。
「詩の寺尾智沙は、田村しげるの妻である。その歌詞には、田村しげるの故郷、天の橋立で有名な宮津湾の奥丹後半島の峰山町での思い出が書かれている。そのひなびた田舎町での、胸の苦しくなるような初恋の思い出、初めてのくちづけ、親の反対であきらめざるを得なかった胸のうち、彼はひとりさまよい腰を下ろすと、そこには名もしらぬ小さな白い花が咲いていた。文字どおりの悲恋物語。エレジーである。」
ついでに、ステレオ再録盤も聞いてみよう。
<岡本敦郎の「白い花の咲く頃」ST>
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コメント
「白い花の咲く頃」素敵ですねえ。岡本敦郎の若い頃のちょっと硬質な歌声は、本当に懐かしい。ステレオになってからの歌はきれいですがこの歌のそこはかとない悲しさは最初の頃の方がより深く感じられるのは私だけでしょうか。
この歌は最初に作った3球のラジオで、NHKのラジオ歌謡を良く聞いた中の一つで、とりわけ好きな歌でした。明治生まれの厳格な父はこの歌や「リラの花咲く頃」を「いやらしい!!」といっていましたが、半分は照れくさかったのかもしれません。
この曲は大変歌いにくいので、他の歌手が歌うと特に「だまってうつむいてた お下げ髪」というところのメロディーが変になるんですね。しかし昭和50年ごろだったか、誰か女性歌手が歌うのをNHKFMでたまたま聞いてそのうまさ正確さに「誰が歌っているんだろう?]と、同僚と一緒にえらく感心したのを覚えています。後で調べてみたら実は森昌子さんでした。
投稿: 雪爺 | 2009年4月25日 (土) 13:12
雪爺さん
二つの録音を自分は何となく聞いていましたが、雪爺さんは何とも“読み”が深いですね。
森昌子の歌は聞いた事がありませんが、彼女なら心がこもって歌えるのかも・・・。一度聴いてみたいものです。
投稿: エムズの片割れ | 2009年4月25日 (土) 17:19
Youtubeに森昌子さんが1986年に歌ったのがアップされていますが、はっきり言ってこれはちょっと違いますね、もちろん他の人よりはずっとうまいのですが・・・。
私がFMで聞いたのは確かLPになっていたものでステージではありませんでした。しかし今調べてみてもそのLPは何だったのか良くわかりません。もちろん手元にもありませんので。
投稿: 雪爺 | 2009年4月26日 (日) 10:41
雪爺さん
Youtubeを聞いてみましたが、問題は編曲ですね。しかし森昌子はうまい・・・
投稿: エムズの片割れ | 2009年5月 1日 (金) 23:06
昭和33年3月、東京の高校に転校していた友人の下宿に懐かしい思い出があります。階下には女子高生、階上に男子大学生が何人か下宿していました。安普請のせいかギターの音や歌が階上から聴こえてきます。知らない歌謡曲が終わった時、私たち女子高生3人、思わず「白い花の咲く頃」を歌いだしました。すると階上からギターの伴奏が付いてきたのです。顔も名前も知らない大学生と一緒に歌えた「白い花の咲く頃」・・思い出すと胸がいっぱいになります。あれから51年になります。女子高生は皆、元気です。ギターを弾いて下さったお兄さんたち、お元気でしょうか。青春時代の懐かしい思い出を有難うございました。
投稿: 白萩 | 2009年5月 7日 (木) 20:33
白萩さん
何とロマンチックな話でしょう。(自分などからっきし縁の無い話だけど・・・)
でも情景が眼に浮かんで・・・。いいですね~。我々にも青春が(たぶん)あったのでしょう!!
投稿: エムズの片割れ | 2009年5月 8日 (金) 23:41
エムズの片割れ様 ロマンスは誰にでも起こっていたと思います。通学の途中でエムズさんを見て毎朝胸をドキドキさせて居た女学生、或いは花びらを散らしながら恋を占っていた可愛い少女がいたかもしれません。
何にも知らずに通り過ぎる事が一杯あります。私が高校生の時、恋をした美青年が、私に好意を持っていてくれた事がわかったのは、50年も経ってからでした。時、遅しですよね。それが青春なのでしょう。貴方様に片思いをした少女が一杯居たかも知れません。そのうち、告白されるかも知れませんよ。老後も結構楽しいものです。
投稿: 白萩 | 2009年5月 9日 (土) 20:55
白萩さん
ハハハ・・・・。今までで一番嬉しいコメントをありがとうございま~す。
そうですよね。意外と自分だって・・!!なーんちゃって・・・・。
先日、TVで「像の背中」という映画を見て、肺がんで余命半年と言われた主人公が、子供の頃の初恋の人を訪ねるシーンがありました。
半世紀を過ぎて、改めて告白をした方が良いのか、それとも昔の姿をそのまま心に留めておいたほうが良いのか・・・。
自分など、あえて会わない方が綺麗な気もしますが・・・
でも「自分だってこれから誰かに告白されるかも・・」と思うと嬉しくなりますね。
白萩さんのコメントは、後でカミさんに見せよ~っと!
投稿: エムズの片割れ | 2009年5月 9日 (土) 22:03
初めまして私さくらと申します。
「白い花の咲く頃」について悲恋の歌のように書かれていることに異論を、と思っておりますが何処に申し述べれば良いのか判らず検索しておりましたらここにも何方かのコメントが載っておりましたので、ここに記させて戴きました、もし不都合な時には削除して下さい。
早速コメントいたします。
田村しげるさんの家は北丹後地震で被災し苦学して武蔵野音大を卒業されております。
当時寺尾智紗さん一家は広島に住んでいて父(通夫氏)は日本画家だそうです。その父の処へ苦学していた田村しげるさんが仕事のことで時折来られ、帰られるときには必ず智紗さんが途中まで送っていくことになっていたようです。
田村しげるさん21歳の頃、智紗さん12歳の頃、のことです。
その後智紗さん一家は上京されたそうです。
ラジオ放送で聞きましたことをお話しいたします。智紗さんが番組に出られたのか、インタビューして来たものを放送したのかは解りません。
司会の方が「白い花の咲く頃」の作詞された
経緯を尋ねられると、
『夫の田村しげるさんから故郷広島での思い出を書いてみたらと進められて出来たのが「白い花の咲く頃」の詩です。
1、
白い花が 咲いてた
ふるさとの 遠い夢の日
【さよならと 云ったら
黙って うつむいてたお下げ髪】
悲しかった あの時の
あの白い花だよ
2、
【さよならと 云ったら
こだまが さよならと呼んでいた】
3、
【さよならと 云ったら
涙の眸でじっとみつめてた】
出来上がった詩の中で1番~3番の【 】の部分を田村しげるさんが添削された故、この歌は二人の共作なのです。』と話されておりました。
添削された部分の詩についての話はなかったとおもいます。
それと私の聞き違いでなければ「この白い花の咲く頃」が初めての詩のようなことを言っておりました。
時々来られる田村しげるさんに徐々に想いを寄せていかれた智紗さんがさよならと云われ、別れる時の悲しさ、淋しさ、切ない乙女ごころを、
一方田村しげるさんがそのとき黙ってうつむいているお下げ髪の、涙の眸でみつめている智紗さんの情景をお二人で歌にしたのがこの『白い花の咲く頃」とおもえます。
10年も前にもエレジーとか書かれていたのをみてはおりましたがパソコンもよくわからずに、あまり気にも留めずにいましたが久し振りに開いてみて、やはり一言述べておきたいとおもいコメントいたしました。
私はずうっと初恋の歌と聞いておりましたし、今でもそのようにおもっております。
大変失礼致しました。
【エムズの片割れより】
作者の言が元になっており、実に説得力のある話ですね。
たぶん、この歌の背景はこの話が事実なのでしょうね。
それはそれとして、作者の作った背景とは別に、詩は一人歩きをします。
小椋佳の「少しは私に愛を下さい」を思い出します。第一勧銀が合併して無くなることを書いたのだとか・・・。私が銀行とは!?
投稿: さくら | 2018年5月 5日 (土) 13:57