昭和24年の出来事(2歳)~「夏の思い出」
まだ4月に入ったばかりで“春本番”だが、今日は暑かった。東京は20℃だって・・・・
自分が生まれてから順に、その年の出来事を辿るシリーズの3回目。2歳を迎えた昭和24年(1949年)はどのような年だったのかを調べてみると、国鉄の人員整理に伴う鉄道関係の怪事件が相次いだ“不穏な年”だったという。下山事件(7/5)、三鷹事件(7/15)、松川事件(8/17)。
その他、法隆寺金堂の火災で壁画12面を焼失(1/26)、明るい話題では湯川秀樹のノーベル物理学賞授賞(11/3)、スポーツではロサンゼルスでの全米水上選手権で、古橋広之進が4つの世界新記録を達成して「フジヤマのトビウオ」と言われた。
そして、「サザエさん」が朝日新聞の夕刊に登場。NHKでは録音テープの使用がスタートし、番組では「とんち教室」がスタート。(写真はクリックで拡大)
歌では、「青い山脈」や「長崎の鐘(ここ)」「悲しき口笛」「銀座カンカン娘」などが流行ったという。その中で、今日は昭和24年6月にNHKラジオ歌謡として発表された「夏の思い出」を聞いてみよう。(たまたま今日は夏みたいだったので・・)この歌は、自分は女声合唱が好きだ。
<中国短期大学フラウェンコールの「夏の思い出」>
~昭和24年6月発表
「夏の思い出」
作詞:江間章子
作曲:中田喜直1)夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 遠い空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小径
水芭蕉の花が 咲いている
夢みて咲いている 水のほとり
石楠花色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空2)夏がくれば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢みて匂っている 水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空
この歌を聴くと、もはや戦後の匂いは感じられない。戦後4年経っているが、まだまだ貧しい時代だ。自分はこの年、2歳になった。そういえば、自分が赤ん坊の時、眉毛が八の字に垂れていたので「下山さん」というのが自分のあだ名(愛称)だったという。しかしその下山さんも有名な怪事件(下山事件)でこの年に亡くなった。
その後、自分は下山さんほどエラくならなかったので、赤ん坊の時の「下山さん」という愛称は、自分の人生にあまり影響は与えなかったらしい。(←もしかすると、成長するに従って、垂れ目の“八の字眉毛”が、きりりと歌舞伎役者のような“逆八の字”になったせいかも? ←これウソ)
かくして(自分がまだ意識の無い)2歳の年は過ぎて行った・・・。
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コメント
初めてメール差し上げます。
「追憶」という歌を検索していて、貴サイトにたどり着きました。中学の頃に習った懐かしい歌ですが、歳月の流れとともに歌詞もおぼろげになり、タイトルも忘れていました。
初めてこの美しいメロディーと歌詞に接したとき、中学生の私は外国に対する憧れをはじめ、様々な思いに魂を揺すぶられました。この年になって、急にこの歌を聞き返したくなり、ネットという便利な道具に頼って、貴サイトに到達したという次第です。
私は昭和23年の生まれですから、貴兄とはほぼ同世代と拝察申し上げます。私もホームページを運営しておりますが、とうてい貴兄のような有意義なサイトたり得ません。遠い記憶の中の懐かしい思い出を呼び覚まして下さったことに、深い謝意を表させていただくとともに、これからもご活躍あることを祈念申し上げます。
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。そうですね。我々は同じ団塊の世代のようで・・・。
まだ良く見ていませんが貴サイトは2002年開設とか・・。blogの老舗ですね。しかもコンセプトが「狛犬」とは、何とユニークな・・・。また寄らせて頂きます。
投稿: 狛太郎 | 2010年7月13日 (火) 21:05
この歌「夏の思い出」は尾瀬の思い出を唄った歌ですよね。エムズの片割れさんのコメントに尾瀬への言及がないのは、もしかして尾瀬に行かれたことはないのでしょうか?私はこれまでに水芭蕉の6月に2度、真夏の7月、8月に2度、秋の紅葉の9月に1度計5回ほど尾瀬を訪れています。大清水側から2度、鳩待ち峠側から3度。最初の尾瀬は就職した年、水芭蕉の季節に職場の人たちと大清水側から2泊3日で行きましたが、2度目以降はずっと後になって家内と二人の子供と、子供が大きくなってからは家内と二人だけで訪れました。最後に訪れたのは2001年ですからもう10年以上前になります。ぜひもう1度あの美しい景色と平原を歩く爽快さを味わいたいたいと考えていますが、私も若くないので体力的に大丈夫だろうか、と少し心配になります。尾瀬ヶ原の平原を歩くことはまだまだ大丈夫でしょうが、鳩待ち峠からはいるにしても、大清水からはいるにしても平原に行き着くまでが結構きついのです。
【エムズの片割れより】
実は尾瀬には行ったことがありません。ここも、死ぬ前に一度は行っておきたい所ですね。
投稿: KeiichiKoda | 2012年8月 4日 (土) 16:59
今週の火、水と1泊2日で、尾瀬に家内と行ってきました。2001年以来の、13年ぶりの尾瀬ハイキングでした。はじめは大清水側からはいることを考えたのですが、体力(の衰え)を考えるとキツイので、鳩待ち峠からはいることにしました。鳩待峠は車規制があると聞いていましたが、週末でなければ、鳩待峠の駐車場が満杯になるまでは大丈夫、私たちはどうにか間に合いました。8月末の尾瀬は夏から秋への季節の変わり目、水芭蕉はもちろん、ニッコウキスゲ等の尾瀬を彩る花々も終わっていて、見るべき花類は少なかったのですが、その代りハイカーの数も少なく、尾瀬ヶ原のひろびろした空間を満喫できたのは有難かった。私たちは東電小屋よりさらに奥(鳩待ちから見て)にある山小屋に宿泊したのですが、鳩待から往復の、快適な8時間でした。ハイカーは私たちのように中高年の夫婦連れが多かった印象ですが、鳩待峠から降りて尾瀬の入り口の山鼻で出会った子供たちは何と(先生に引率された)幼稚園年長組の子供たち、私たちも頑張らなくちゃあ!
【エムズの片割れより】
それは良かったですね。自分は行ったことがありませんが・・・。
カミさんの知人に、尾瀬の歩道から足を踏み外して落ち、大けがをした人がいました。旅行も慎重に心掛けねば・・・。
でも行けるときに行っておかないと、足や腰が痛くなると、それで人生のドクターストップにもなりかねないので動く内に早く・・・。
投稿: KeiichiKoda | 2013年8月31日 (土) 07:41
上のコメントは2013年ですが、その後も毎年1回は尾瀬へ行っていたのですが、コロナ前は2019年7月24日が最後でした。家内がニッコウキスゲが見たいというので、このときは大清水からはいり尾瀬沼のとなりにある尾瀬沼ヒュッテに泊まり、ニッコウキスゲの群生を満喫した後帰途につきました。このあと2020-22年の3年間は尾瀬行は断念していたのですが、上のコメントからは10年後の昨年の2023年8月13-14日、息子や孫たちと一緒に尾瀬ハイキングを楽しみました。鳩町峠から尾瀬ヶ原の奥にある温泉宿まで歩く、往復10時間の1泊コースです。昨年の夏は毎日が35度を超える猛暑でしたが、尾瀬も例外でなく、尾瀬ヶ原をわたる風は涼しく心地よいのですが、直射日光が強く暑かったという印象です。息子や孫たちと行くとなると、暇な私などとは違って彼らには勤めや学校の問題があってまず旅行日を合わせるのがたいへん。日にちが決まっても、夏は台風の季節でもあるので気象条件を満たすのがたいへん。この日も前日ぐらいまで台風が関東を襲う予報があったのですが、幸運にも台風が西にそれたために実現したのです。
【エムズの片割れより】
前にTVで見たのですが、途中で足を痛めたりすると、手段が無く、担ぎ屋さんに頼んで背負って戻るしかないとか・・・
そう言えば、カミさんの友人のご主人が、足を滑らせて落ち、骨折したという話もありました。
お気を付けて・・・
投稿: KeiichiKoda | 2024年1月24日 (水) 10:36
年寄りの冷や水となるないようにとのご警告ありがとうございます(笑)私の住んでいるところの近くには300-600メートル級の低山がたくさんあって、よくハイキングしています。2023年は8月の尾瀬、10月の上高地をふくめて、10回ぐらい登っています。名前をあげると、難台山、雨巻山、小町山、鶏足山、月居山等々、いずれも有名な山ではないので聞いたことがないかもしれませんが、ネットで検索すると、出てくると思います。月居山(つきおれさん)はNHKBSの吉田類の日本100低山という番組にも登場した、袋田の滝の隣に位置する山です。これらに行くと私たちのような中高年のハイカーにたくさん出会います。10月に知人夫妻たちと行った上高地には外国人がたくさん訪れていたのにはびっくりしました。
【エムズの片割れより】
友人で、週に2回ほど高尾山周辺に登っている男がいます。
足が痛いと言っていたので、最近は控えているかと思うと、やはり・・・
まあ全ては自己責任。
訓練と、趣味と、体力。バランスが難しい??
投稿: KeiichiKoda | 2024年2月 5日 (月) 10:37