脚本家・早坂暁の話(2/2)~死の宣告から生き返って
昨日の記事(これ)の続きである。
NHKラジオ深夜便「こころの時代」「タカアシガニに学んだ人生哲学(2)脚本家 早坂暁」(2009/4/8放送)を聞いた。昨日聴いた放送の後半である。(本記事の前に前半の(これ)を一読されたい)
「50歳で心筋梗塞、胆のうガンで余命1年半と告知され、手術を受けた。胸を開いて、心臓のバイパス手術、そしてがんの切除。幸いなことに、胆のうがんは誤診でした。当時は超音波で診断をしていた。当時その病院には超音波の権威がいて、かなり進んだガンだと診断した。後で他の人が見ても、これはガンだと診断する方は正しいかもしれないと言っていた。胆のうガンが発見されたのは、心臓バイパス手術をしようとしていた寸前だった。心筋梗塞という病気は大関格だが、ガンは横綱格。よって、胆のうガンが見つかって、手術を慎重にする必要が出て、両方の手術のチームが組まないといけないので一ヶ月ほど待たされた。その時に昨日言った死の勉強をした。後で考えると、非常に貴重な時間だった。そのまま手術していたら、死について考える時間も無く、手術後の誤診への不満だけで終わっただろう。
手術後退院するときに、再発したら今度は命は無いと言われた。退院した時は嬉しかった。見るもの聞くもの、全てが新鮮だった。空を見ても、小さな花を見ても、感動の嵐・・・。それから常に“これっきり”と思う緊張の生活が始まってしまった。それで疲れてしまった。それなら“死んでしまえばよい”と思った。生きていこうとするからツライ。それで生前葬をやった。これは退院してから1年くらい後の話。通常の葬式と同じで、違うのは自分も挨拶をしたこと。これは色々な意味で良かった。これによる心の開放感は素晴らしいものがあった。香典は5倍くらい集まった。本人が生きているので皆香典を奮発した。弔辞が面白かった。自分が思っていたことは褒められないで、意外な事を褒められた。つまり、他人から見て“自分はこんな人間だ”と教えられた。例えば、「夢千代日記」よりも「花へんろ」の方を評価してくれたとか・・。自分としては原爆をテーマにした「夢千代日記」が一番の代表作と思っていたが、“地方の生活史をドラマにしてくれた”と「花へんろ」を高く評価してくれた。次が「天下御免」で「夢千代日記」は3番目だった。
それで、自分も皆に生前葬のお返しをしないといけないと思った。それで、今まではお金や反響を気にして作品を作ってきたが、これからは自分のやりたいものだけをしよう。次(の世代)に渡すバトンタッチのことだけを考えよう・・、と。それから仕事の請け方が全く変った。幾らお金を積まれても、したくないものはやらない。バトンタッチのものだけやる。既に自分は死んでしまっているのだから・・。
本当に死ぬまでに、自分は何をしなければいけないのかの目標が出来た。
・・・・(以下略)」
この話を聞いて、「死についての勉強」、「自分は何者か・・」、「何のために生きているか・・」などについて、自分も考えてしまった。
特に50歳という若さでは、誰も仕事に没頭していて、「死」という意識は無い。しかし、一旦病気になると、急激に「死」を意識させられる場合がある。自分など、怖いのでなるべく触れないようにしているが・・・。しかし昨日の「死ぬのが怖いというなら、生まれてくるな」という言葉にも、「父親や母親は、自分の目から死をさえぎってくれていた」という目線も、なるほど、と納得した。
それに、人生で、「自分は何者か・・」については知るチャンスは意外に少ない。サラリーマンの場合、定年(扱い)退職をする時が、一番それが良く現れる時かも知れない。思い出すと、自分の場合は、皆が高い金を出してホテルで退職記念の会をしてくれたが、その時がサラリーマンとして一番嬉しかった瞬間だったように思う。
また早坂さんは、死に向き合った経験を機に、「これからは自分のやりたいものだけをしよう」というスタンスに変えたという。
人間は誰も、何かで転機を迎えるが、その時の意識の仕方で、人間はどうにでも変身するらしい。良く「変化をチャンスと捉えて・・」とも言うが・・・。
自分など、不器用で変化を一番好まないが、サラリーマンは誰もが“60歳定年”という転機を迎える。
この話は、これらの“転機をどう迎えるか”の心構えを教えてくれたような気がした。
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コメント
はじめまして。4/7放送分を聞いていました。
私は、還暦の父を持つ娘ですので、自身の死を意識する年齢には至っていませんが、この放送には、相当のインパクトを受けました。忘れないうちに・・・と、Web検索していたら、こちらへ辿り着いた次第です。私も今度、「死ぬ瞬間」を読んでみるつもりです。
投稿: Nico | 2009年4月12日 (日) 19:26
Nico さん
コメントありがとうございます。
まだまだ死を考えるには早いですが、「より良く生きる」ために、死を考えるのも良いかも・・・。「死の瞬間」は、自分もしっかり読んでみます。
投稿: エムズの片割れ | 2009年4月12日 (日) 23:08
「中川輝光の眼」の中川輝光です。初めて訪れましたが、ついついすべて読みました。このブログ、何か余韻が残ります。
投稿: 中川輝光の眼 | 2009年4月14日 (火) 20:15
中川輝光の眼 さん
コメントありがとうございます。
その「余韻」が良い物であることを祈ります。
投稿: エムズの片割れ | 2009年4月18日 (土) 22:37
「江梨子」を聴いていたら、あれは「野菊の墓」をモデルにしたものだとのコメントを見ました。そうだったのか、とまあ近ごろ初めて知ることが多くあります。このエッセイで紹介されています、早坂氏のTVドラマ「昭和とはどんな時代ぞ花遍路」は印象に残っています。十数年前広島在勤中に氏のお話を直接お聞きしました。大竹の兵学校から愛媛の北条に帰る途中列車が広島駅でとまって動かなくなってしまったそうです。夜の広島の街(があったところ)には、一面青白い灯が燃えていたそうです。その場面が花遍路にあったか記憶にありません。夢千代日記もその広島駅の思い出から生まれたと聞いていますが。八月六日夕方から元安川に流される灯籠舟を三度見ました。「遠き日の石に刻み砂に影おち崩れ墜つ天地のまなか一輪の花の幻」原民喜の碑銘に遺された花はどんな花だったかいまもって分かりません。
投稿: 植松樹美 | 2010年5月 3日 (月) 16:45
植松さん
コメントありがとうございます。
早坂さんにも、作品の背景には色々な実体験があるのですね。それらの体験を作品を通してどう表現するか、何を言うか・・・
早坂さんの作品群が、皆の共感を得るのは、その感性が皆を代表しているのかも知れませんね。
投稿: エムズの片割れ | 2010年5月 4日 (火) 20:12