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2009年4月10日 (金)

脚本家・早坂暁の話(1/2)~余命1年半の告知から

久しぶりに、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で良い話を聞いた。「タカアシガニに学んだ人生哲学(1)脚本家 早坂暁」(2009/4/7放送)である。(まだ前半だけで、後半は聞いていない)
(帰りの電車の中では、いつも寝て帰るのだが、今日はこの番組をもう一度聞きながら、一生懸命メモを取っていたので、珍しく寝なかった・・・)

「夢千代日記」などで有名な脚本家・早坂暁は、現在80歳だが、人生のターニングポイントは50歳過ぎからの病気との戦いだった。胃かいよう、心筋梗塞、胆のうがん。その人生観を変えたのは、水族館に居たタカアシガニだった。・・・

不摂生から、朝から肉ばかり食い、タバコは100本吸い、仕事が忙しいからと朝方3時間しか寝なかった。だから病気一直線。
突然医師から、良くて2~3年、冷酷に言えば1年そこそこと思ってくれ、と告知された。
心筋梗塞で心臓の半分が死んだ。それと胆のうがんの二つが一緒に起きた。「連載を持っていたので、あとどの位のくらいの時間があるか、正直に言ってくれ」と言ったら、1年ちょっと位と言ってくれた。もう少し期待していた。日本で最高の病院に入ったのに・・、呆然とした。
うまくいって2年。自分は10年位は持つだろうと考えていた。10年あれば、書きたいものも書ける。ちょっと短すぎる。(詳細はエッセー集「眠られぬ夜に―生から死への15章」(これ))

初めて死と向きあった。きつかった。死が分からない。七転八倒して、模範解答を見つけた。死は誰も体験したことがない。が、生まれた時から死は約束さたもの。「死ぬのが怖いというなら、生まれてくるな。生まれた時に死は約束されていることを知れ」と禅宗のお坊さんが言っていた。
元気なときには見えない。井上靖が、「しろばんば」(これ)という小説で書いている。

「自分の両親が死んだとき、初めて死と向かい合った。長生きしてくれている父親母親に感謝の気持ちがなかったが、死んだときに初めて、父親や母親は、自分の目から死をさえぎってくれていた。両親が死ぬと何もさえぎってくれるものがないので、死と対面する。親は生きていることで、子供を守ってくれている。死から視界を遮ってくれている」という文章・・・。なるほど、と思った。

あわせて、死とはどういうものか、本で勉強した。最初に読んだ本がエリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」(これ)。人間が限られた余命を、どのようにして死にたどり着くかを、5段階で書いていた。1)は「拒否」~自分が死ぬ訳がない。2)「怒り」~何で自分が・・・。3)「取引」~良いことをしたので治るだろう。4)「沈痛」~一番苦しくて長い。5)「受容」~受け入れる。
自分は「怒り」の段階だった。「受容」は、自分は納得できなかった。キューブラー・ロスはキリスト教の病院だったので、皆、天国を信じている。でも自分に宗教はないので、天国は感じられない。自分は宗教を持っていなかったので恥ずかしいと思った。

自分と同じような人で、余命1年半と言われた中江兆民が「一年有半」(これ)という本を書いた。明治34年で30万部の大ベストセラーになった。そこにはこうあった。「自分は、永久は信じない。霊魂も信じない。永遠なるものは物体である。物である。自分は物にすぎない。そこで消滅する。そう思えば往生する」。霊魂不滅を排除したテーマ。
同じ時期、正岡子規は脊椎カリエスのため、痛さで叫びながら生きていた。子規は兆民を「命を売り物にするとは卑しい」と一刀両断に切り捨てている。
「兆民居士は、平気で死ねると言っているが、死ぬことがそんなに偉いのか。平気で生きることの方がもっと大事だ」と言う。これは「目から鱗」だった。「兆民は死というものを、生がなくなる、ゼロになる、そこで終わりと言う。でも自分はそうでは無い。死後も続くんだ。それは死なないという意味ではなく、自分のしていることの跡継ぎが出て、子供のようにつないでいく。だから、平気で生きる方が大事。次にバトンタッチする大事な繋ぎ手でありたい。」
そこで自分は、死ぬとここで終わると思っていたので、違うな、と分かった。次につながないといけない。何ぼ痛くても、淡々と走れ。苦痛の表情を他人に見せるな。その時、初めて抜けた。

医師から「何を食べてもいいですよ」と言われた。これはショックだった。医療放棄だ。投げ出されたと思った。だから、病室で焼肉を食ってやった。
それに、「病院に夕方までに帰れば、どこに行っても良い」と言われた。それで音楽を聞きに行ったら号泣してしまった。自分の本音が出た。それから池袋の水族館に行った。アジが、わけもなく平気で泳いでいるのはスゴイ。彼らは本能のまま泳いでいる。人間は目的が無いと生きられない、という事があるが、本来の命は、目的なんかなくても良い。生きる090410kani とは何ぞや、などと難しいことを考えるな。魚は生きているから泳いでいる。水族館の奥の方に、タカアシガニがいた。動かない。でも口だけ動いている。彼らは立っていることに意味がある。具体的な例を見て、“平気で生きるとは、こういうことなんだ”と分かった。・・・
(以下後半の放送に続く)」

どうも、最近「死」についての話題が多くて恐縮だが、特に理由はない。たまたまである。
でもあの早坂暁が30年前に余命1年半と宣告されていたとはビックリ・・・。どうして死の渕から生き返ったかは、後半の放送を聞かないと分からないが、前半だけでも、初めて死と向き合った姿が良く分かる。

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」は、カミさんが昔から自分の宝にしていた本。数十年前からカミさんから“読め読め”と言われていたが、たまたま先日(昭和60年発行の黄ばんだ)この本を読み始まったところだった。でも何かしっくり来なくて放り出してあった。
まあこれを機に、(黄ばんでいない)新しい訳の本を買ってきて、再チャレンジしてみるか・・・・・

重たいテーマで、何ともコメントができない早坂暁の話ではある。(どうして生き返ったかは、後半の放送を聞いてから追記する)

(関連記事)
脚本家・早坂暁の話(2/2)~死の宣告から生き返って

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