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2009年3月 3日 (火)

童謡「うれしいひな祭り」

Googleを開くと、お内裏さまの絵・・・。そうだ、今日は3月3日、ひな祭りである。
今朝の日経の「春秋」にもこんなことが書いてあった。

「光源氏はむろん男だが、雛(ひな)祭りをする場面が源氏物語第十二帖「須磨」に出てくる。といっても、人形を飾ったり白酒を飲んだりではなく、祭りの元の姿だった「禊(みそ)ぎ祓(はら)え」の神事を、都を離れて隠れ住んだ須磨の海辺で行うのである。
「今日は、かく思(おぼ)すことのある人は、御禊(みそぎ)し給(たま)ふべき」つまり「何か心配なことがある人はお祓いをしなければならない日だ」と聞かされた光源氏が、身の災いを移した人形を舟に乗せて海に流す。すると突然、雷鳴とともに激しい風雨がまき起こり……と物語は第十三帖「明石」に続く。
・・・・・
雛祭りの元の禊ぎの起源をたどると、青々と萌(も)えだした草を踏んで厄を払う「鞜青(とうせい)」に行き着くという。それが現代の季節感に合わないのは、例えば今日を旧暦に換算すると2月7日になるように、新暦と旧暦でズレがあるからだ。ただ、温暖化が進めば、いずれピッタリの季節感になるかもしれない。そんな心配もする今年の雛祭りだ。」(日経2009/3/3「春秋」より)

ひな祭りの原型が、既に平安時代にあったらしい事が「源氏物語」からも見て取れる。
ひな祭りは、我が家にとっては120%関係の無い行事だが、この「うれしいひな祭り」という歌は、自分にとって子供の頃を思い出す懐かしい歌の一つである。何を思い出すかというと、それは小学校の時の「学芸会」・・・・(写真はクリックで拡大~写真の外をクリックすると戻る)
P10401241 小学校3年生の時だっただろうか、引っ込み思案の自分はまったく目立たない子供だった。それが突然、学芸会での「嬉しいひな祭り」の“五人ばやし”の踊りに引っ張り出されたのだ。何のことは無い、ピンチヒッターだったのだ・・・。
小学校3年というと昭和31年の頃。当時は楽しみが少なかったせいか、小学校の学芸会はどこでも盛んであり、生徒向けとは別に父兄向けの日があった。そこに出るはずの友達が突然病気で倒れ、そのピンチヒッター・・、と記憶している。でもそのお陰で、懐かしい思い出になった・・・・

この「うれしいひな祭り」という歌は「昭和10年にサトウハチローが作詞したのもだが、発表時は山野三郎の名前で出た。作曲者・河村光陽の長女、河村順子の歌で昭和11年(1936年)2月レコード化。」(西東社「童謡・唱歌・こころの歌」p30より)とのこと。よって、童謡としては非常に新しい。(この音源は1938年8月29日録音、1951年2月発売のもの)

<河村順子の「うれしいひな祭り」>


「うれしいひな祭り」
  作詞:山野三郎(=サトウハチロー)
  作曲:河村光陽
  歌 :河村順子(長女)

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り

お内裏様と おひなさま
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉さまに
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに 映る灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
赤いお顔の 右大臣

着物を着かえて 帯しめて
今日はわたしも 晴れ姿
春の弥生の このよき日
何よりうれしい ひな祭り

P10401881 Wikipediaには、「本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化している。」とある。この歌は意外と“影響力”があったらしい。
でも先日カミさんと犬の散歩の時に思い出しながら歌ってみたが、自分は「お内裏様とお“姫”様・・」と歌う位なので、サトウハチローを論じる資格も無い・・・。
それに、カミさんが言うには「お嫁にいらした姉様に よく似た“官女”の白い顔・・」という歌詞について、「“官女に似る”とはお姉さまに失礼。“よく似た「お雛様」の白い顔”すべき」と言う。まあこれでは語呂が合わないけど・・・・。

ウチは「女の子を・・・」と思って、“間違って”男を産んでしまった家。せめて歌だけでも“女の子の歌”でも歌うとするか・・・・

●メモ:カウント~33万

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コメント

流されてるのは4才の時の声ですか?
YouTubeでありました。
http://www.youtube.com/watch?v=vndFjHFis1o

投稿: なち | 2009年3月 3日 (火) 23:31

なち さん

Youtube聞きました。
調べてみると、河村順子さんは1925年8月生まれ。「うれしいひな祭り」は1936年2月発売なので、Youtubeのオリジナル盤は10歳の時の歌のようですね。

投稿: エムズの片割れ | 2009年3月 5日 (木) 22:22

昭和7年はデビューの年だったのですね。

投稿: なち | 2009年3月 6日 (金) 07:57

  エムズ片割れ先生様

 初めまして、或る曲を検索している内に此のエムズ先生の素晴らしいサイトに辿り着きました、幼き頃(極貧生活時)に幼友達の行動により知り得た曲も収録されていて、一人感動!、
失礼乍らのコメントお許し下さい。

 実は先日、車で走行中NHKラジオ歌の日曜散歩で往年の童謡歌手、河村順子さんの「嬉しいひな祭り」が放送され自分が聴いた幼い頃の順子さんではないが、懐かしさと共に美声に魅了され此の曲の当時盤を検索に至った訳です。

 私は1942年東京淀橋区戸塚町で出生、幼き頃正確には2歳5ヶ月の年の瀬の或る日の夕刻、鶴見駅に満員で停車中の車両に回送車両が後方より猛速で乗り上げ満員の車両は圧し潰され不運にも、私の父が乗車していて他の乗客共々車両の下敷きになり、哀れや父は肋骨が全部折れて虫の息だった様です!、戦時中でもあり右往左往する中重傷者を優先に処置対応が出来なかった様です。

 葬儀、社葬も済み憔悴していた母も本来なら立ち直る筈が、何と驚く事に〇〇電鉄より死亡見舞金全額を義兄が、強引に貸してくれと言って持ち去って仕舞い!、以来最低の極貧生活が長きに亘り続きました。

 何時しか時は流れ10歳位の時の或る日の午後だと記憶しているが、子供達で遊んでいると裕福な家庭の子が、僕の家に遊びにおいでよと言うから皆で其の子の家に行った、大きな家だった七段の立派な雛飾りが!・・今でも真赤な毛氈が脳裏に浮かびます、お菓子や飲物を戴いていると、その子がもう直ぐ妹の雛祭りだから歌を聴かせてあげると言って、嬉しいひな祭りのレコードを掛けてくれました、わぁ~レコード盤だ!、此れが蓄音機かぁ~!、此の時初めてレコード盤と蓄音機なる物を拝ませて貰ったものです。

 曲の前奏から軽快な伴奏で、あかりをつけましょぼんぼりに、・・此れは強烈に脳裏に突き刺さる様な刺激を受けた覚えがあります。

 其れよりも極貧生活者の私をよくも他の者と
一緒に招いてくれた裕福な家庭の友達の、人を思い遣る心に、子供乍泣ける程嬉しかった事を今でも覚えている。(本来ならあんたは来なくていいと言われても仕方無いですから)

 今回聴かせて戴いた、河村順子さんの初期の原曲「嬉しいひな祭り」此れです!、確か此の曲だと思います、あの日あの時64~5年前に聴いた覚えのある曲です、彼女のあどけなさと言うか子供らしく可愛い歌声が、懐かしく想い出されます、・探し方が悪いのかyoutubeでも此の当時の曲を見つけられませんでしたが、やっと巡り逢いました、歌と共にあの辛く苦しく哀しい時代が、想い浮かび胸に迫り来るのが脳裏に蘇えって来ます。

 此の(嬉しいひな祭り)曲の今日は楽しい①
何より嬉しいひな祭り④と歌われている歌詞とは裏腹に何か、もの哀しい旋律に聴こえるのは私だけでしょうか、私には優しさや思い遣り等々が切々と感じ取れるのですが又、曲調は勿論ですが前奏間奏共格別な響が伝わって来ますね
前奏から、つづみ(鼓)が協調され琴に続いて
いるでしょうか、和風の旋律はいいですねぇ~
これぞ情緒の真髄と言うか、情緒豊かな作品ですね、・折しも3月3日の雛祭り(桃の節句)
に聴かせて戴き光栄でした。

 そして今想う、哀れ苦しんだ母は10年前に
他界、・更には連れ添った愚妻も50年間に亘り、リウマチに苦しみ関節リウマチの末期で8
年前に一足早く逝った今!!、私も既に後期高齢者、昨日も一人今日も一人、どんな明日でもいい穏やかな日が訪れる事を願い、此の想い出が冥途の土産になれば幸いと思っています。

 終わりにあたり、エムズ先生の当時の音源により恥かし乍、遠い昔を想い浮かべる事が出来ました、本当にありがとうございました。

 *長々と愚痴や支離滅裂な駄文になり申し訳ありませんでした。

【エムズの片割れより】
“先生”は困ります(^o^)
それにしても、昔の記憶が懐かしくなる歳になりましたね。お互い・・・
それらを書き留めておこうかと始めたこのblog。だらだらと10年も続いています。
幼い頃に聞いた童謡は忘れませんね。
自分より5つほど先輩のご様子。でも、PCを叩いているのですから、まだまだ・・・です。

色々あった人生ですが、何とか品のある晩年を過ごしたいと思っています。

投稿: かずちゃん | 2018年3月 7日 (水) 02:58

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