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2009年3月21日 (土)

「がんになって教えられたこと」~医師 朝日俊彦氏の話

明石のロバさんからのコメントで、(自分の死生観に大きく影響を与えた?)朝日俊彦氏が、自らガンに掛かったと知り、あわててNHKラジオ深夜便「こころの時代“がんになって教えられたこと” 医師 朝日俊彦」(2009/3/19~20放送)を聞いた。

<「がんになって教えられたこと」 医師 朝日俊彦(1)>

<「がんになって教えられたこと」 医師 朝日俊彦(2)>

090321asahi 前にも記事を書いた(ここ)通り、朝日氏は「笑って死ぬために」(これ)という本を書いており、各地でガンの告知や終末期の患者にどう生きれば笑って大往生が出来るか、その工夫を指導してきた泌尿器科の先生である。それがまだ62歳だというのに、昨年9月に自ら末期の胃がんと診断され、現在抗がん剤で治療中だという。
本当にビックリしたが、放送での朝日先生の明るさ、そしてガンに罹ったが故の気付きについてのお話・・・。非常に迫力のあるお話で、朝日先生の我々へメッセージ、と思って聞いた。曰く・・・・

①「自分の場合、自覚症状がまったく無かった。なんとなく食欲が落ちてきて微熱もでて、血液検査では肝臓の値が乱れていたので、CTを撮った方が良いだろうと思った。それで2008年9月25日に受診したら、放射線科の先生が絶句し、掛ける言葉が無かった位、悪かった。たぶん胃がんによる肝臓転移。胃がんも大きいし肝臓にも大きく病巣が広がっていた。
でもまだ良かったのかなと思った。クリニックを開業してまだ1年なので、借金も抱えている。もし心筋梗塞や脳梗塞だったら皆に迷惑をかける。でもガンなので半年くらいは時間が稼げるので、色々と手を打つことが出来る。
家族会議で相談した結果、ここまで進んでいるともう手遅れなので、通院治療にしてもらうことにした。そうすればしばらくはクリニックも続けられる。
その後、抗がん剤治療は順調に進んでいる。でも抗がん剤はきつい。熱も出る。しかしこの発熱も、朝になると下がるので仕事には支障がない。しかし夜は熱が出る。休日も出る。でも仕事の時間が来ると熱が下がる。これは奇跡だ。
この病気になって考えたことは、捨てられるものは捨てる。この割り切りで気持ちが楽になった。
家族会議で、(産婦人科医の)娘から明るく「喪服のマタニティは持っていないので、孫が生まれるまで待ってくれ」とか、死に対してオープンに明るく家族で話が出来ていると、気持ち的に助かる。
胃がんは生活習慣病なので、自分なりに反省した。ある日点滴をしながら日向ぼっこしていたら、非常に充実して心が癒されていた。今までだったら、こんな時間は時間の無駄だと思っていた。それでこのような時間も大切なんだと、気付かされた。それから日記に「焦らない」とよく書くようになった。それに自分は我が強い面があった。それが病気になって、皆に助けられて生きていることに気付いた。今までの“俺が”“俺が”という生活に歪みがあった。生かしてもらっている皆に対して、暖かい気持ち、感謝の気持ちで接するという事に対しての気付きは、自分にとって大きな財産になった。・・・・」

②「ガンになって良かったと思う。最初は“寿命からすると早いかな”と思ったが、この病気になることによって本当に多くの“気付き”とか“学び”をさせてもらったのは得難い経験。患者さんに対する言葉の掛け方も違ってきた。
講演会での話しにも実感がこもる。今までの話と迫力が違う。
先日、卵巣がんの人が来たが、抗がん剤で戦うその人にエールを送って、何とか頑張って欲しいと抱きしめてあげたい気がした。そこまでの気持ちは、今までは無かった。そのような気持ちになったという事が、ガンの経験という自分の貴重な財産・宝物と思えるようになった。
自分がこの病気になって、今まで色々な人からご支援を頂いてきたわけなので、これからの人生で何とかお返しをしなければいけない、という気持ちが強くなった。
ものの見方が変った。病院勤務が長かったせいか、勤務時代は「病気」を見ていたが、今は家庭環境を含めた最善の方法は何か、ただ治すだけではなく、その人にとって何が皆が幸せになれるかを考えるようになった。今は患者さんの家族のことを良く聞く。例えば、末期がんだと介護保険で介護度5がもらえるので、在宅看護が充分に出来る。痛みはモルヒネでコントロールできるし、家の中なので病人扱いしなくてすむ。・・・
自分はたぶん“善人”の部類に入ると思うが、それでもこのような病気が音も無く忍び寄ってきたという事は、神仏からのプレゼントではないか。だからずるずると病気で弱っていってあの世に行くのでは無くて、どこかで踏ん張って立ち上がって、社会のためにお役に立つことしたいと、昨年末頃から(神仏の期待に応えたいと)思うようになった。
・・・・
実は、35歳になる娘婿が自分と同じ泌尿器科なのだが、在宅往診に関心を持ってくれてこのクリニックの後を継いでくれる事になった。それで僕の肩の荷がどっと下りた・・・」

まさに朝日先生は、今まで自分で言って来られたことを、まさに現在実践されている。その明るいお話に、聞き手の金光寿郎ディレクターも圧倒されていた。できたらその肉声を聞いて欲しく、下記に音声ファイルを置く。そこで朝日先生が言っておられた“自分のガンに対しての呼び掛け”、すなわち・・・
「胃がんクン、君の使命は理解できた。君が僕の体に宿ってくれたおかげで、色々な気付きとか学びとかで自分は一回り大きな人間になれたような気がする。でも、ボクも使命がありそれを全うしたい。だから君とソコソコでお別れもしたい。だから悪いけれども気を悪くしないで、いつかはお別れをするつもりで、それまでは共存共栄して行きましょう」

とお腹をなでながら話しかけている声に、胃がんクンにぜひ耳を傾けてもらって、何とか朝日先生には長生きして欲しいものだ。

(2010/2/23追)
朝日先生は、2009年12月30日に他界されたとの事。享年63歳、あまりに早い他界。ご冥福をお祈り致します。

(関連記事)
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(1)~死生観が変わった
朝日俊彦の「笑って死ぬために」(2)~死生観が変わった

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コメント

音声ファイルを聴かせて頂きました。ありがとうございました。
私もこの地から朝日先生の胃がんクンに、もう少しゆっくり構えてくれるように呼びかけておきます。

投稿: 明石のロバ | 2009年3月29日 (日) 15:16

明石のロバ さん

本当に“胃がんクン”は、何とかならないものでしょうか・・・

投稿: エムズの片割れ | 2009年3月31日 (火) 22:13

朝日先生の放送をもう一度聞きたかったので、とても嬉しかったです。偶然、父(同じ胃がんを一ヶ月半前に告知され、抗がん剤治療中)とともに、この放送を聞いて、とても励まされました。父も、いつも明るい笑顔で、前向きに頑張っています。本当にありがたいです。がんによって、家族の絆が強くなり、本当にたくさんのことを学んでいます。これからも、頑張っていこうと思っています。

投稿: | 2009年4月 8日 (水) 18:00

コメントありがとうございます。お役に立てて良かったです。
自分たちにも、いつその時が来るか分かりませんが、朝日先生の境地にたどり着けるとは、到底思えません。でも少しずつでも・・・

投稿: エムズの片割れ | 2009年4月 8日 (水) 22:33

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