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2009年3月 5日 (木)

昭和23年の出来事(1歳)~「異国の丘」

自分の生きてきた年代を振り返るシリーズの第2回。
Image02451_2 生まれた次の年である(自分が1歳)昭和23年(1948年)がどんな年だったかを調べてみると、帝銀事件(1/26)、東京裁判の結審(11/4)とA級戦犯の絞首刑の執行(12/23)、大韓民国の成立(8/15)と朝鮮民主主義人民共和国の成立(9/9)、セロテープの発売(20円)とボールペンの発売(セーラー)、サマータイムの実施(~1951年)、「人は右、車は左」の対面交通の実施(11/1)、「110番」のスタート(10/1)、太宰治の入水自殺(6/13)と「斜陽」のベストセラー、そして4月には美空ひばりがデビューし、米ベル研でトランジスタが発明された(6/30)。
歌は、フランチェスカの鐘(二葉あき子~6月発売)、異国の丘(竹山逸郎/中村耕造~9月発売)と、戦後最大の40万枚(最終的に100万枚?)を売ったという「湯の町エレジー」(9月発売)が大ヒット。
その中で、今日はオーケストラによる「異国の丘」を聞いてみよう。言うまでもなく、この歌は、収容所にいたシベリア抑留兵の増田幸治がこの歌のもとになる詩を作り、それを聞いた同じ収容所にいた吉田正がセメント袋の裏に書き止め、曲をつけたといわれている。そして昭和23年8月、NHKラジオの「のど自慢」に中村耕造という復員兵がこの歌を歌い、世の中に一気に広まった。元の詩は”今日も暮れ行く”ではなく”昨日も今日も”で始まっていたようで、のど自慢で紹介されてから佐伯孝夫が詞を手直ししたとされている。(出典はここ

<吉田正記念オーケストラの「異国の丘」>


「異国の丘」
  作詞:増田幸治
  補詞:佐伯孝夫
  作曲:吉田 正

1)今日も暮れゆく異国の丘に
 友よ辛かろ切なかろ
 我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
 帰る日も来る春も来る

2)今日も更けゆく異国の丘に
 夢も寒かろ冷たかろ
 泣いて笑うて歌って耐えりゃ
 望む日が来る朝が来る

3)今日も昨日も異国の丘に
 重い雪空日がうすい
 倒れちゃならない祖国の土に

 たどりつくまでその日まで

まさに戦争のツラさ悲しさが漂う「異国の丘」ではあるが、現代の大オーケストラによる演奏は、また別の趣がある。
当時シベリアでは60万人もの人が抑留され、寒さに震えていたというが、その人たちに、この歌がどれほど勇気を与えてくれたかは想像に難くない。

その頃自分はどうしていたかって?・・やっと1歳なので、当然“意識”はナイ・・・・。

(関連記事)~大オーケストラによる歌
上海交響楽団の「荒城の月」

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コメント

素晴らしいHP,ありがとうございます。
22年生まれとの事ですが、小職は19年です。昭和23年頃には戦地からの引き揚げ軍人の方が街にあふれていました。折角生きて引き揚げをしたものの家族を空襲で亡くして行くあてのない人もいました。戦地で腕や足をなくされた傷痍軍人の方も随分おられました。そんな傷痍軍人の人が街角で通り行く人に物乞いをしている時には必ずハーモニカやアコーディオンで「異国の丘」が演奏されていました。
子供ながらにその姿を痛ましく思いました。「異国の丘」を聞きますと今もなお、松葉杖をついたその傷痍軍人の方々のことを思い出します。

【エムズの片割れより】
白い服のアコーディオンの傷痍軍人・・・居ましたね。
そんな姿を覚えている人が段々消えていきますね。新たな傷痍軍人が生まれないことだけを祈っています。

投稿: 木更川 準 | 2018年12月25日 (火) 13:19

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