中村元の「阿弥陀経」(1/10)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連続講義「こころをよむ/仏典」 (CDはこれ)の「第19回 極楽国土を欣求する-阿弥陀経」の部分を、『中村先生の声』と『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ4 大乗の教え(下)」(これ)を元に味わっていくもので今日はその第1回目、阿弥陀仏、阿弥陀経についての概説である。
<こころをよむ/仏典「阿弥陀経」~その1>
「極楽浄土を求める信仰
大乗仏教が展開するなかで、現世を「穢土(えど)」、つまり汚れたところであると考えて、彼岸の世界に「浄土(じょうど)」を求める信仰が生まれてきます。たとえば、阿しゅく仏、もとの言葉でアクショーブヒャといいますが、その浄土である東方の「妙喜国(みょうぎこく)」、また、弥勒菩薩の浄土「兜率天(とそつてん)」などが考えられ、これらの諸仏を信仰することで来世にはそこに生まれることができると信じられていたのです。このなかで、後世もっとも影響が大きかったのは、阿弥陀仏の浄土、極楽世界の観念です。
阿弥陀仏はもとのことばでアミターバ、あるいはアミターユスと申します。アミタは「限られていない」という意味です。アーバーは「光」という意味ですから「無量光(むりょうこう)」と訳し、また、アーユスは「寿命」という意味ですから「無量寿(むりょうじゅ)」と訳します。そのほかいろいろの名前もありますが、わが国では一般に阿弥陀仏として信仰されています。この信仰は日本、朝鮮、中国(華僑を含む)、ベトナムなど、東アジアないし南アジアで行われており、とくに日本仏教では浄土教がもっとも多くの信徒を持っていることで知られています。この浄土教の根本経典が、「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」(「仏説(ぶっせつ)無量寿経」、略して「大経(だいきょう)」)、「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」(「仏説観無量寿経」、略して「観経(かんきょう)」)、「阿弥陀経」(「仏説阿弥陀経」、または「小経(しょうきょう)」)で、これを浄土三部教と称します。
「阿弥陀経」はその信仰をたたえ、極楽浄土のみごとな姿を端的に簡明に述べたもので、もとのことばでは「スカーヴァティーヴューハ・スートラ」といいます。スカは「楽しみ」、ヴァティーは「あるところ」、だからスカーヴァティーは「極楽世界」のことです。ヴューハは「すばらしい姿」、スートラは「経」です。
これはサンスクリット原文が発見されております。漢訳はいろいろありますが、そのうちで、とくに鳩摩羅什(クマーラジーヴァ。紀元344~413年?)の訳した「阿弥陀経」が有名で、一般に読まれています。そこでは冒頭に、「仏の説きたまいし阿弥陀経 姚秦(ようしん)の三藏法師(さいぞうほっし)、鳩摩羅什詔(みことのり)を奉じて訳す」とありますが、「姚秦」は中国・五胡(ごこ)十六国時代の王朝である後秦(384~417)のことで、「三藏法師」とは、経・律・論という聖典の三つの部分すべてに通じている学徳のある法師という意味です。鳩摩羅什は西域のクッチャ(亀玆国(きじこく))に生まれた人で、父は天竺の人、母はクッチャの王さまの妹でした。後秦の国王に迎えられて長安の都に入り、そこで13年の長きにわたって多数の経典を訳したのです。」
この説明にあるように、「阿弥陀経」とは、「楽しみがあるところ(極楽世界)のすばらしい姿の経」という意味だそうだ。
浄土系の宗派は「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に帰依する)」と唱えるが、浄土系では、来世で「極楽世界」に生まれ変わる事が最大のテーマ。
死後は、“穢れたこの世におさらばして、極楽浄土で安穏に暮らす・・”と考えると、「死」が怖くなくなるのかも・・・。
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