王貞治さんの「プロ論」
今日の日経夕刊の1面に「中川財務相が辞意表明」とある。先日のG7の記者会見で、酔っ払ってろれつが回らなかったという。世界の大舞台での緊張感の無さ・・・。何とも“大物”である。普通の人は緊張して、酒を飲んでも酔わないのだが・・。しかし、これが国民が選んだ“プロの政治家”なのだろうか??
同じ日経夕刊1面の下の方、「明日への話題」というコラムに「プロ」についてのこんな記事があった。
「プロフェッショナル~アナウンサー 山根基世
この頃、東京でタクシーに乗ると、道を知らない運転手さんが多い。この不況下、ごく最近転職したという方が多いのだ。先日は九段方面のある有名な施設の名前を告げたが、ご存知ない。ナビゲーターで検索するよう頼んだが、その運転手さんは、使い方が分からないとおっしゃる。・・・・困り果てて「それじゃ、九段の方向に向かって走ってください」と頼むと、「あの、九段の方向ってどっちですか?」・・・・
・・・・・・
少し前にNHKで王貞治さんのことを特集した番組を放送していた。そこで王さんは独自の「プロ論」を展開されていた。名言の数々の中でも、とりわけ驚愕させられたのがこの言葉。「人間だから失敗することもありますよ、などということは、他の人がいってくれるのならいいけれど、自分で言うことではありませんよ。そういうことを言う人に限って、ミスを犯すんです。プロはね、自分のことを人間だなんて思っちゃいけないんです」。オオーッと胸深く頷き、次の瞬間、わが身をふり返り、絶句するばかり。
ただ才能があるだけでなく、「極限まで努力した」自信が言わせる誇り高い言葉だと思った。
新米の運転手さんに、そこまでのプロ根性は求めないけれど、プロを目指して努力することで、新しい仕事への誇りも持てるようになるのではないかと思うのだ。」(2009/2/17日経夕刊p1より)
「プロ」という言葉には、一般とは違う“畏敬の念”が含まれている。しかし、「オレは**のプロだ」と言い切れる人はそう多くないのかも知れない。だから不況の時に大騒ぎになる。
「アメリカは“就職”だが日本は“就社”」とは、良く言われること。つまりアメリカは“仕事に就く”が、日本は“会社に就く”。だから日本のサラリーマンは、会社から離れた途端に誇れるものが何も無くなってしまって(選挙に落ちた政治家と同じで)“ただの人”になってしまう、という。一般企業のサラリーマンは、多分多くの人がそうなのだろう。
前に、経理の人に「経理の人は手に職を持っている訳なので、定年退職をした後でも幾らでも行く所があるので羨ましい」と言ったら、「それは小さな会社で、本当の実務が出来る人だけ。大会社の経理屋なんてどこも採ってくれない」と言う。
この不況下、自分は何のプロなのか、何が他人よりも優れているのか、自問自答している人が多いような気がする。そして、王さんの言うように、「極限まで努力した」自信のある人だけが、強気で生きていける・・・。
もちろん自分も「あなたは何のプロ?」と聞かれたら「オレはサラリーマンのプロ中のプロ!」と声高に答えるさ! ←誰も採ってくれないけど・・・・
夕刊を読みながら、酔っ払い政治家と、真摯な王さんとの対比に、「日本は大丈夫かな・・」と感じた今宵ではある。
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