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2009年1月17日 (土)

「本当に苦しむ死に直面」~柳澤桂子さんの話

昨日の朝日新聞夕刊に、「生きて死ぬ智慧」の著者・柳澤桂子さんの「本当に苦しむ死に直面」という記事が載っていた。どうも柳澤さんは、最近体調を崩されているらしい・・・。曰く・・・

Image02271 「――40冊余りの著書のうち、歌集も2冊。近頃、どんな短歌を作られましたか?
『正常な呼吸が突然崩れだすこうやって死に近づいていく』『彼岸へと入りにくき人の苦しみにコスモスの花窓辺をゆらぐ』――。昨年10月、老人病院に入院した時の歌です。
同室の女性3人のうち2人は100歳前後で寝たきりでした。1人はほとんど眠っていてガーガーという呼吸音が止まったり聞こえたり。「寒い」「死にたい」くらいしか言えない。もう1人も「アー、アー」としか声が出ないけれど、死にたい気持ちが伝わってきました。
あんなになっても死ねない。一方でポックリ死ぬ人もいる。死はもっと美しいものだと思っていましたが、死ぬに死ねない人たちと1ヶ月暮らし、本当に苦しむ死を見て、ものすごいものだと実感しました。
――最初に入院したのが40年前。その後も様々な病気で入院や手術を繰り返しました。
今はベッドの上で寝たり、起きたりの生活。脊椎の8カ所がつぶれ、長時間座っていられませんが、調子が良い時は午前と午後に40~50分ずつベッドわきのパソコンに向かいます。
・・・・
――最近の著書を読むと、宗教を学ぶことで悟りに達しているようにも感じます。
十数年前に車いすで外出した時、通りかかった女性に「お気の毒ですね」と言われました。「みじめだ」という目で見られているのか、といやな感じがして、木陰で考え込んだ時にふっと、「私がいなければ、この考えはない」「自我がなければいいんだ」と気がつきました。ジェット機で雲を突き抜けて真っ青な空に出る時の感じでした。
悩みも苦しみもない世界がある、と分かったら、もう怖くはない。入ろうと思えば、自我のない世界に入れる。雑念がすべて取り去れれば、真っ青な空の中に自分なしでいられます。
――ご自身の死についても?
「あなたも宇宙のなかのほかの粒子と一つづきで・・・・実体はない」。般若心経の「空(くう)」の世界を、私はこう訳しました。実体のない自分。その死も別に怖くはありません。
死にたくても死ねない老人病院の女性たちを見て、正直なところ、死についての感じ方は揺れています。でも、人間の死も散っていく紅葉と同じで、自然のなかの一つの景色として眺めれば、ささやかな出来事。静かであってほしいものです。
・ ・・・・」(2008/1/16 朝日新聞夕刊より)

柳澤さんの壮絶な病気のとの戦いは有名だが、何とかそれを克服されたものと思っていた。しかし、「死に直面・・」といった記事のタイトルを見ると、ドキッとする。

「どう死ぬか」は人生最大のテーマだが、これほど自分の意志と無関係なテーマも珍しい。多くの人にとって、自分の意志とはほとんど関係がない。
昨夜、久しぶりに昔の同僚と飲んだが、やはり親の介護の話が出てくる。まあ誰にでも順番に巡ってくる課題ではあるが、何ともやっかいな課題だ。そして、誰もが「せめて自分が死ぬときは、子供に迷惑を掛けたくない・・」と言う。しかし“その時”になって、その思いがどれだけ実現できるか、だれも自信がない。自分の意志とは無関係に動く可能性が大きいので・・・

今まで何度も死に直面し、何度も自身の尊厳死をも考えた柳澤さんだけに、この記事は何とも“重い言葉”として読んだ。
だれも、「理屈」「言葉」「頭」で分かっているつもりの「死」でも、実際はそんなに簡単なものではない・・・ということだろう。気の弱い自分なればこそ、それを考える機会が遠いことをつい祈ってしまう・・・

(関連記事)
「般若心経」と「穏やかな心」
「生きて死ぬ智慧」のDVD BOOKが出ていた

●メモ:カウント~28万

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