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2009年1月の26件の記事

2009年1月31日 (土)

「かんぽの宿」問題~自分の“付和雷同”を思う

日本郵政が「かんぽの宿」のオリックスへの売却凍結を表明したことで、またまた新聞がにぎやかである。一連の報道を読みながら、自分の捉え方に色々と問題がある事を認識した・・・。(写真はクリックで拡大)

昨日の日経の社説にこうある。
Image02291 「「かんぽの宿」不可解な凍結(日経・社説2009年1月30日)
 何とも不可解だ。日本郵政は宿泊施設「かんぽの宿」のオリックスへの譲渡凍結を表明した。鳩山邦夫総務相が宮内義彦オリックス会長の公職歴などを盾に反発し、譲渡手続きに必要な会社分割の認可を得られそうにないからだという。
 十分な証拠も示さず政治の圧力で入札結果を覆す総務相の姿勢は全く納得できないが、「公明正大な手続きだ」といいながら、満足な説明もなく簡単に折れた日本郵政の西川善文社長の姿勢にも問題がある。
 かんぽの宿は年50億円規模の赤字を出している。日本郵政は今年度事業計画に沿って競争入札を実施し、雇用維持を表明したオリックス不動産に108億円で70施設を一括譲渡すると決めた。総務相は猛反発し、日本郵政への質問状の答えにも「全く説得力もない」と述べた。
 西川社長は「譲渡案は横に置き、原点に立ち戻って再検討する」と表明した。入札手続きは「公明正大で、疑いを持たれることはない」ともいう。総務相も西川社長も他の入札参加者や金額などの公表を控えている。外からみて何が譲渡凍結の原因なのかが、さっぱり分からない。
 総務相の主張は説得力を欠く。まず規制改革・民間開放推進会議議長だった宮内会長が率いるオリックスへの譲渡を「出来レース」と批判した点だ。入札に落ち度や不正があるのなら当然指弾されるべきだが、その根拠は示されていない。
 政治家の「直感」で入札という商慣行が否定されるようでは、国内企業どころか海外の日本に対する信頼も落としかねない。総務相に付和雷同する野党の姿勢も無責任だ。
 日本郵政も不正がないというなら総務相の指摘に粘り強く反論すべきだ。当初は政府の100%出資とはいえ、民間人の西川氏が日本郵政のトップになったのは、政治圧力に屈せず、合理的な経営判断で民営化の実をあげることを期待されたからではなかったか。入札価格が適正かどうかなどを判断できる具体的な情報を一般にも示す必要があった。
 かんぽの宿70施設の建設費用は2400億円にのぼる。それが大幅に減価しているのは間違いない。採算を顧みず、ずさんな投資をした官の責任を不問に付すのもおかしい。」

この主張はもっともな議論だと思う。

一方、朝日新聞の今日の社説では、・・・
かんぽの宿売却―徹底調査と公表で道開け(朝日新聞・社説2009年1月31日)
 日本郵政が「かんぽの宿」のオリックス不動産への売却を一時凍結すると表明した。弁護士や公認会計士など外部の専門家による第三者委員会を設けて売却プロセスを洗い直すという。
 売却に対する鳩山総務相の「待った」は、根拠が不明確で納得できないが、日本郵政は入札が適正だったというのなら、徹底した調査と結果の公表で、それを証明するしかない。
 鳩山発言を受け、国民の間からも売却に疑問の声が出ている。その核心は、購入・建設に2400億円もかかった79施設を109億円で売るのはおかしい、という点だろう。
 たしかにこれでは大損だ。しかし、よく考えてみたい。
 バブル崩壊後、日本の地価は下がり続けている。事業用の不動産価格は事業の収益性で決まる、というのが今日では常識になっている。ところが、売却施設のうち黒字が出ているのは11だけで、全体では40億~50億円の赤字が毎年出ている。そのうえ、正規・非正規3200人の従業員の雇用継続にも努めなければならない。
 こうした条件のもとで、入札は行われた。となれば、当初の投資価格から大幅に下落するのは避けられないと思われる。しかも、地価が大きく上昇する見込みはなく、売却が遅れれば赤字がそれだけ累積する。
 では、どんな価格が適切なのか。専門家の間でも意見が分かれるだろう。だが、公開の入札を行い、いちばん有利な売却条件を落札とするのだから、それが安くても、現状での市場の判断として受け入れる以外にないのではなかろうか。「もっと高く売れる」というなら、そういう買い手を見つけて来るしかない。
 これほど巨額の損失を出すことになった責任はどこにあるのか。郵貯や簡保の客から預かったお金を、収益性を無視して施設建設に投じた放漫な官業ビジネスと、そうした施設を選挙区へ誘致してきた政治家こそ責めを負うべきだろう。
この点も含め、総務相には問題の全体像を見てほしい。
 もちろん以上の議論は、入札が適正に行われたことが大前提である。談合のような不正や不適切な事務処理があったなら話は別だ。鳩山氏は昨日の国会答弁で、そのような疑義を口にした。それなら問題点を具体的に示してほしい。担当大臣なのだから、ただ「疑問あり」では済まない。
 日本郵政にも注文がある。売却が問題視されてからも、入札についての情報をきちんと出さず、疑念を膨らませる結果になった。経営姿勢が内向きになって経営情報を出し渋り、官業体質へ逆戻りしているように思える。これは経営の求心力低下にもつながっている。この機会に、民間企業としての決意を新たにしてほしい。 」

実はこの問題で、自分が一番影響を受けた社説が朝日の1月18日の社説・・・。

かんぽの宿―筋通らぬ総務相の横やり (朝日新聞・社説2009年1月18日)
 日本郵政が全国にもつ宿泊施設「かんぽの宿」をオリックス不動産へ譲渡する話に対し、許認可権をもつ鳩山総務相が「待った」をかけている。
 日本郵政の西川善文社長から説明を受けたが、鳩山氏は「納得できない」という。だが、理由が不明確で納得できないのは、鳩山氏の「待った」の方ではないのか。許認可という強権を使い、すでに終わった入札結果を白紙に戻そうというのなら、その根拠を明示する責任はまず鳩山氏にある。
 かんぽの宿は年間200万人ほどの利用があるものの、赤字続きだ。郵政民営化から5年以内に譲渡するか廃止することになっていた。
 日本郵政は前任の増田総務相が認可した08年度の事業計画にかんぽの宿の譲渡を盛り込み、昨年4月から入札手続きに入った。27社が応札し、2度の入札でオリックスに決まった。
 全国の宿70設と社宅9カ所を一括して約109億円で売却する。資産の帳簿上の値打ちは141億円だが、借金を差し引いた純資産は93億円。落札価格は、これを16億円ほど上回る。
 鳩山氏が問題だと指摘するのは次の3点だ。なぜ不動産価格が下がるいま売るのか。なぜ一括売却なのか。なぜ規制改革・民間開放推進会議の議長を長く務め、郵政民営化を支持していた宮内義彦氏が率いるオリックスに売るのか。「国民が“出来レース”と見る可能性がある」として、譲渡に必要な会社分割を認可しないという。
 これに対して西川社長が説明した内容は、しごくもっともに思える。
 赤字が毎年40億~50億円あり、地価が急上昇しない限り、早く売る方が有利だ。一括売却でないと不採算施設が売れ残り、従業員の雇用が守れない。全国ネットとした方が価値も上がる。最高額で落札し、雇用を守る姿勢が最も明確だったのがオリックスだ――。
 鳩山氏は譲渡価格109億円が適切か総務省に調査させるという。だが調査する前から「納得する可能性は限りなくゼロに近い」とも発言している。
 これはとうてい納得できない。明治時代の官業払い下げならいざしらず、競争入札を経た結果に対し、さしたる根拠も示さずに許認可権を振り回すのでは、不当な政治介入だと批判されても抗弁できまい。
 宮内氏は規制緩和や民営化を推進してきた。官僚任せでは構造改革が進まないため、当時の政権が要請したものだ。過去の経歴や言動を後になってあげつらうのでは、政府に協力する民間人はいなくなってしまう。

 自民党内では、郵政民営化の見直しの動きが続いている。鳩山氏はこれとの関連の有無について言及していないが、もしも「待った」の真意が民営化策の見直しにあるのなら、正面から堂々とそちらの主張をするべきだ。」

実は、この1月18日の社説を読んで「然り!」と思った。特に「過去の経歴や言動を後になってあげつらうのでは、政府に協力する民間人はいなくなってしまう」との指摘。
しかし、その後「2400億円かけて建てた施設を、たった109億円で売るのか?」という論を聞いて、また「然り!」と思った。
でも現在価値は「資産の帳簿上の値打ちは141億円だが、借金を差し引いた純資産は93億円」だという。

「直感」を自分は否定しない。意外と当たっていることが多いので・・。
しかし、「“公正に行われた”入札結果」を日本郵政が公表しないまま、オリックス不動産への売却を一時凍結すると表明したとすると、日本郵政側に説明できない何かがあると勘ぐられてしまう。
市場価格と「資産の帳簿上の値打ち」とは何が違うのか分からないが、結論は見えている。
「「もっと高く売れる」というなら、そういう買い手を見つけて来るしかない。 」
よって、再入札をしてどの位の価格で売れるのか?109億円が妥当な市場価格なら、同じような入札結果となるだろうし、その際は、総務相は何らかの責任を取らされる。
一方、109億円から大きく違ったら、日本郵政の責任は重大だ。(もっとも、これだけ大問題化した入札。それを火の粉が降りかかるのを承知で高値の札を入れる所があるとも思えないが・・・)
しかし、それ以上に見過ごされているのが、真の責任者の旧郵政省であり、地元に誘致した政治家だ。ここをもう少し顕在化させないといけない。
それに今日の夜のNHKニュースで、「一昨年、旧日本郵政公社が売却した鳥取県岩美町の“かんぽの宿”が、評価額が1万円だったにもかかわらず、半年後に地元の社会福祉法人に6000万円で転売されていたことが分かった」と報じられていた。うやむやにならぬように、事態の推移を注意深く見守る事としよう。

しかし、一方の言葉を聞いて「然り」と思い、反対側の言葉を聞いてまた「然り」と思うこの自分の姿勢はいったい何だ・・・。両者の議論よりも、“自分の付和雷同の姿勢”の方が“よっぽど大問題”な「かんぽの宿」問題ではある。

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2009年1月29日 (木)

「マウス」の怪~“相性”の不思議・・・

加齢とは「応用が利かない」事を意味するのだろうか??

最近、自分とパソコンとの関係が、“いよいよ「悟り」の境地に入ってきた”と感じる。
なぜかと言うと、自分に最適なパソコン環境が“決まり”、これ以上は“もう変えない”状況になった、という事である。(背景はもちろん“加齢”による「慣れる事が出来ない」ための苦肉の策だが・・)
自分に合ったパソコンについて整理すると、まずパソコンのタイプだが「ノートパソコン」であることが必須。それは自室のコタツの上に置いて使うので、パソコンを操作するために座る場所を変える事は考えられないので・・・。そしてそのノートパソコンの機種は「(会社で)使い慣れたキー配置」が必須。せっかく手が覚えたキー配置を、昼と夜とで切る換え事がしんどくなってきた。
そして民生用の軽いキータッチが必須。これは前にも書いた(ここ)が、先日のdynabook Satellite T31で懲りた。その時に色々と“研究”したのだが、民生用パソコンのキータッチはどのメーカも軽い。そして単品で売っているキーボードはすべて固い。構造が同じでも、製品によってだいぶん差がある。もちろんストローク(押す深さ)も色々。

そして今日の本題の「マウス」。
昨年の8月に「マウスも流行の最新式に変えよう!」と、“コードレスレーザーマウス MX-620”というのを買った。そして使い出したら、右手が硬直! 先のキーボードで手が膨れ上がった(?)時と同じく、これにもビックリ。自分のマウスの動きを“研究”してみると、自分のクセでマウスを「持ち上げる」事が原因だと分かった。つまり、例えば右にドラッグして距離が足りないと、マウスを一旦持ち上げて左に動かして再度ドラッグする。だからマウスの重さが手にモロに響く。それに加えてボタンの固さ(重さ)・・・。
この“売れているコードレス”は、重さも重く(160g)、ボタンも固い。自分ではまったく思いも寄らなかったが、到底慣れそうに無いのでギブアップ。息子にあげてしまった。
そして最近気になりだしたのが、家で長年使っているミニホイールマウス。これが疲れる感じがしてきた。そこで思い付いたのが「会社で何気なく使っているマウスに合わせたら?」。会社のマウスを調べてみたら04年4月発売の「東芝IPCZ048B」。重量を測ってみたら、本体だけで60g程度。ミニマウスは軽いが小さくて手にフィットしない。
何も考えずに同じ「東芝IPCZ048B」を手に入れることにしてNetで探すが、案の定、古過ぎて無い。後継機種が06年6月発売の「IPCZ097A」だというのでこれを探すが、これも無い。昼休みに、会社の皆の机に載っているマウスをずっと見て回ったら、あった。「IPCZ097A」が・・。操作してみると、重さも軽いし、フィット感は今のマウスとそれほど変わらない。“これにしよう”と詳細に調べた結果、岩手県の通販屋さんに1個在庫があるとが分かった。1680円と安いが送料が1500円は高いな・・と思いつつも、一昨日の夜中に注文してしまった。
それが今日着いたという訳。かくして、パソコン本体も、マウスも「死ぬまで一緒!」が勢揃いしたという訳。

「たかがキーボード」「たかがマウス」と言う勿れ。加齢とともに順応性は確実に下がって行く。そして知らず知らずのうちに体にダメージを与える。
これを避けるには「自分用」のマンマシンインターフェースをキチンと決めて、浮気しないことに限る。(←この記事は、“生涯を共にする”と決めたノートパソコン(K11)と今日着いたマウスさんに「ゴマをすっている」つもりなのだが、気が付くかな・・・?)

*ちなみに、2週間前に入院していた先妻(dynabook Satellite T31)が、昨日戻ってきた。メーカの添付書類によると「基板の故障により交換」「増設メモリ1Gの故障」とあった。それにリカバリして初期状態に戻したとある。(後妻(K11)が入ったことを知ると厄介な事になるので、嫁入り先が決まるまで、電源は入れない・・・)

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「悉有仏性」~続・我が家のパソコン奮闘記

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2009年1月28日 (水)

伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」を読む

読み終わった後のこの感動、心の暖かさ、そしてこの清清しい気分は一体何なのだろう・・・。今までに味わったことが無い、非常にユニークな本と出会った・・・。

カミさんが「この本、評判が良いらしいので、オトーさんのために買ってきた・・」と言って、(前例の無い事だったが)一冊の本を手渡されたのが一ヶ月位前だっただろうか・・・
しばらく放っておいたが、本の名前も良く認識しないまま、仕方が無いから読むか・・・・と、カバーを取って裸の本をにカバンに投げ込み、通勤電車の中で読み出した。通勤の行きは新聞、帰りは居眠り、と決まっている毎日のパターンの中で、つまらない話のはずが、なぜか居眠りをしまいまま降りる駅に着くことが多くなった。(つまり本を読んでいて“居眠れ”ないのである!)

読み終わって、改めて本の題を見たら「ゴールデンスランバー」とある。どの様な位置付けの本かとNetで見たら「2008年本屋大賞受賞」とある。本屋大賞は自分も記事を書いた・・・、と(自分のblogで)検索してみたら、あった(ここ)。何と本屋大賞の1位ではないか・・(ったく! 自分で書いていながら、この認識はいったい何なんだ!・・・と自分に腹を立てた)~さらに本のカバーを見たら、本屋大賞受賞とオビに大きく書いてある・・・

前置きはこの位にして・・・。
この本は実に不思議な本だ。フト漱石の「我輩は猫である」を思い出した。それと、パスコンのスクリーンセーバーも連想する。いや玉突き台かな?
つまり、よくもまあ「遊ぶ」事が出来る・・、と感じた。伏線が色々と張られているのだろうが、それに慣れない自分にとっては「文章の遊び」、つまり、どうでも良いような事を延々と書いているように感じる。だから昔、漱石の“猫”を読んだ時と同じ印象なのだ。本題のストーリーとは関係の無いような事柄を、細々と書いている(・・ように見える)。

しかも、読んで行くと“時間軸”が飛ぶ。「今」から「過去」に。そして他の登場人物の過去に・・。そして場面が飛ぶ。頭の回転の悪い自分は、付いて行くのがなかなか大変・・。つまり、テレビドラマでも「名前」よりも「顔」で識別する自分には、ストーリーに付いて行くのが大変・・・というわけ。
物語が、時間軸に沿って展開してくれると分かり易いのだが、パッと飛ぶので、本をバラバラにして、登場人物ごとに時間軸に沿って並べ直したい位・・・
そして、物語の時間軸がたった2日間だけのせいか、話が玉突き台の中で、玉が跳ね返ってエリアから出られない感じ・・・。

内容的には、映画の「逃亡者」と同じく、濡れ衣を着せられて逃亡する話だが、フト昔の事を思い出した・・・。
昔、学生時代に「朝日ジャーナル」をいう雑誌が流行った。それで読んだことだが、「テレビの画面が、デモ隊が投石をしている所を映せば、視聴者は警察が可哀想と思い、警察の棍棒でデモ隊が叩かれている所を映せば、デモ隊が可哀想と思う」。つまりマスコミは、何を流すか(どの画面を取るか)で民衆の扇動が出来る・・。その恐ろしさもこの小説は描いている。

でも、この小説の全体のテーマは、“人と人とのつながり”“信頼関係”か・・・・
元カレは、別れた後は“他人”にはなっても“友人”には戻れないはずが、援助を差し伸べたり・・・。同僚・友人は、誰一人として彼を犯人だと思う人は居ない・・・
特に親子の信頼の表現は圧巻。最後に出てくる「痴漢は死ね」の言葉の重みは、この本を読まなければ分からない。そして「たいへんよくできました」に心が暖かくなる・・・・。
“まったく言葉遊びばかりしている小説・・”という印象が、最後の数ページで見事にひっくり返された。最後の数ページのために、前の数百ページがある・・という本。今まで巡り会ったことのない、実に不思議な本であった。

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「本屋大賞2008」~全国書店員が選んだいちばん!売りたい本

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2009年1月27日 (火)

「冬の星座」と「冬の夜」~冬の唱歌

いよいよ朝の「日の出」の時刻が“折り返して”日ごとに早くなってきている。今朝は東京で6:45だと、朝のテレビで言っていた。東京の一番遅い「日の出」は、1月7日頃の6:51なので、それよりも6分ほど早くなっている(ここ)。通勤には“明るい朝”が待ち遠しい・・・。

カミさんが「冬の夜の星座がキレイ・・・」と言う。空なんて、あまりゆっくりと見たことは無いが、庭に出て見ると確かに澄んでいてきれいだ。もっともウチの庭からは“空の一部”しか見えないが・・・。
そう言えば、先日ラジオで、日本で天文学があまり発達しなかったのは、唱歌「朧月夜」でも歌われているように、日本は気候的に星が良く見えなかったことが原因だったとか・・・。

カミさんと「冬の星といえば“冬の星座”という歌があったっけ・・・」ナンテいう話になった。この歌は、色々な歌手のものを持っているが、自分が一番気に入っている土居裕子の歌で聞いてみよう。

<土居裕子の「冬の星座」>


「冬の星座」
  作曲:ヘイス
  訳詩:堀内敬三

1)木枯らしとだえて さゆる空より
 地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
 ものみな憩える しじまの中に
 きらめき揺れつつ 星座はめぐる

2)ほのぼの明かりて 流るる銀河
 オリオン舞い立ち スバルはさざめく
 無窮をゆびさす 北斗の針と
 きらめき揺れつつ 星座はめぐる

この歌は、1947年(昭和22年)7月「中等音楽(1)」に掲載された文部省唱歌で、原曲は、19世紀に活躍したアメリカの作曲家ウィリアム・へイス(William Shakespeare Hays/1837-1907)の、1871年の歌曲『Mollie Darling(Molly Darling)』。この原曲の内容は、モリーという女性に対して、「僕の事好きだって言ってくれ!」と悶々とする男の心境を歌ったラブソングだそうだ。(出典はここ
また、“訳詩:堀内敬三”となっているが、本当は翻訳ではなく、科学者を目指していた堀内の創作、とのこと。

一緒に思い出したのが「冬の夜」という歌・・・。1912年(明治45年)に「尋常小学唱歌(三)」として発表されたというこの文部省唱歌は、まさに日本の歌だ。この歌は、NHK東京放送児童合唱団の歌が清々しくて好きだ。

<NHK東京放送児童合唱団「冬の夜」>


「冬の夜」
  作詞/作曲:文部省唱歌

1)燈火ちかく 衣縫う母は
 春の遊びの 楽しさ語る
 居並ぶ子どもは 指を折りつつ
 日数かぞえて 喜び勇む
 囲炉裏火は とろとろ
 外は吹雪

2)囲炉裏の端に 縄なう父は
 過ぎしいくさの 手柄を語る
 居並ぶ子どもは ねむさ忘れて
 耳を傾け こぶしを握る
 囲炉裏火は とろとろ
 外は吹雪

この「冬の夜」という歌については、(ここ)に詳しい解説がある。
「歌詞は、時代を反映しており、「過ぎしいくさの手柄を語る」と歌われている“いくさ”、つまり戦争は、日露戦争の事でしょう。
 父は、縄をないながら、戦場での様子を子供たちに話しています。それは、勝ち戦の自慢話だったので、子供たちは眠いのも忘れて拳を握りしめて、聞き入っています。この歌を歌った男の子たちは、大きくなったら僕たちも父親のようにりっぱな兵隊さんになって戦場で戦おうと夢をふくらませたことでしょう。
 文部省は、このように時代に合った歌を作り、子供たちに歌わせて教育の一環としました。 戦後は「過ぎし昔の思い出語る」に変えて歌われました。変えてしまうと、なぜ、子供たちは聞きながら「拳を握る」のかが意味不明となります。
 戦意昂揚の意味を含んだ歌詞であるにもかかわらず、太平洋戦争勃発直後の昭和十七年の『初等科音楽一』国民学校初等科第三学年用には掲載されませんでした。戦時下の音楽教科書に掲載されなかったのは、戦闘開始の時期に、「過ぎし戦」の歌詞では、混乱をまねくと判断されたのでしょう。・・・・・」(池田小百合著『童謡・唱歌 風だより』春陽堂 2004年)

明治時代の農村の冬景色・・・。フト思い出すのはNHKの朝ドラ「おしん」の貧しい囲炉裏の風景だが、一方ではこんなのどかな風景もあったのだろう。
自分はコタツに、犬と一緒に“首まで”入って、うたた寝をするのが大好きだが、もしかするとこんな囲炉裏端での生活のDNAが、自分の遺伝子に組み込まれているのかもね・・。
テレビもラジオも無い家族の話が中心の囲炉裏端・・・。何となく家族の暖かさが伝わってくる歌ではある。

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2009年1月26日 (月)

「潜在競争力」世界ベスト10~日本は第12位

先日の日経新聞に「潜在競争力ランキング~日本、競争力12位に上昇」という記事があった。曰く・・・

<世界潜在競争力ランキング>
(2008年時点、カッコ内は07年の順位)
①(①)香港        76.0
②(②)シンガポール 71.2
③(③)米国       66.9
④(⑦)ドイツ       60.3
⑤(⑥)オランダ     59.9
⑥(⑧)スウェーデン  59.8
⑦(⑤)スイス       59.8
⑧(④)英国        59.3
⑨(⑨)ノルウェー   58.9
⑩(⑩)ベルギー    58.7
・・・
⑫(⑬)日本       58.1
・・・
⑰(⑰)台湾       55.1
⑱(⑳)韓国       54.9
・・・
30(25)ロシア     48.2
34(35)中国      44.0
(08年、日本経済研究センターまとめ)

日本、競争力12位に上昇
日本経済研究センターは2008年の世界50カ国・地域の潜在競争力ランキングをまとめた。総合の1位は香港で、4年連続で首位を維持した。2位はシンガポール、3位は米国。日本は07年の前回調査から1ランク上昇して12位になった。
「潜在競争力」は、長期的・持続的な成長力について「企業」「教育」「インフラ」など8項目の主要指数を分析して偏差値を算出。今後約十年間に一人当たり国内総生産(GDP)をどれだけ増やせるかを示す。日本は「科学技術」「企業」で上位となり、06年に財政赤字が縮小したことで「政府」の順位が上がったが、「教育」「金融」「IT(情報技術)」などで順位を下げた。」(2009/01/23 日経新聞p6)

前に「日本がインドに抜かれた日」(ここ)という記事を書いた。それによると、確かに2006年の名目GDPでは、日本は世界第2位だ。

<2006年の名目GDP(ドルベース)ベスト10>
①アメリカ   13.20兆ドル
②日本     4.34兆ドル
③ドイツ     2.90兆ドル
④中国     2.66兆ドル
⑤イギリス   2.34兆ドル
・・・・

しかし、先の「潜在競争力ランキング」は、「今後約十年間に一人当たり国内総生産(GDP)をどれだけ増やせるかを示す」ので、GDPの絶対額の増加ではない。ちなみに06年の香港の名目GDPは約0.19兆ドルであるので、幾ら香港のGDP総額が2倍になったとしても、0.4兆ドル規模であり、日本の1割に過ぎない。
しかし、1人当たりのGDPが大きくなるということは、一人ひとりの稼ぎ(アウトプット)が大きくなるという事で、たぶん個人の生活レベルは上がるだろう。その観点で見てみると、活力ある香港・シンガポールは当然として、のオランダ・スウェーデンなど、世界的大企業の名前が直ぐに浮かぶので、北欧の国々はいくら国が小さいからといって、決してあなどれない。
それに比べて、日本が12位とは少し残念・・。まあ、せっかく(税金等で金をかけて)集めた2兆円もの金を、今度は意味無く(金=手間をかけて)戻す(配分する)ような国だから仕方が無い・・・?
でも、この偏差値を見ると、1位~3位まではダントツだが、4位以下はドングリの背比べ・・・。日本も“少数精鋭”の国を見習って、世界の国々から「日本を模範に・・」と、真似られるような政治・政策は行えないものだろうか。
(でも、先ず将来を託するために、“少子化”を何とか止めないとダメかもね・・・・)

(関連記事)
日本がインドに抜かれた日

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2009年1月25日 (日)

「ナナの静かな悲しみ」~犬のこころ・・

夕食のときに、カミさんが「この記事泣けるよ・・・」と見せた切り抜き・・・。なるほど・・・。曰く・・・

ナナの静かな悲しみ
今年9歳になる犬のナナは、人に捨てられたことがある。でも人が大好きで、めったにほえることもなく穏やかに暮らしている。
つい先日、長く入院していた祖母が亡くなり、自宅で仮通夜をしたときのことだ。
いつもなら大喜びで近所の人を迎えるナナが、一声も鳴かず、庭の犬小屋の前で静かに座っていた。そのときは、人の出入りに圧倒されているのだろうと思っていた。
ところが翌日、葬儀場に向けて祖母の棺を運び出そうとすると、それまで静かだったナナが棺に追いすがるようにして鳴き叫び、必死の力で綱をふりほどこうとしたのである。そのときのナナの悲しく必死な目に、誰もが涙した。
ときとして、犬や猫はモノ扱いされ、命が簡単に処分される。しかし、動物は人の言葉が話せないだけで、人の心の中にある喜びも悲しみも、みんな受け止め、理解してくれているように思う。
生前、暖かい縁側で祖母とたわむれていた楽しい日々のことを、ナナはちゃんと覚えていたのだろう。その祖母との別れを、私たちと同じように静かに悼み、悲しんだ姿が、脳裏にやきついて離れない。
動物はモノではなく、命があり、心がある。誰もが、そのことを忘れないで欲しいと思った。(熊本県山鹿市 豊後由美 公務員 37歳)」(2009/1/25朝日新聞p33より)

昨日、「パソコンにも命がある」と書いた。よって動物に心があるのは当然・・・。ウチにも犬のヨーキーが居るが、言葉を話さないだけで、みな分かっている。ケンカをすれば仲裁に入るし、「風呂」という言葉を聞くと、途端に震え出す。置いて外出すると、イヤミで廊下におしっこをしたり・・・。
そんな可愛いペットも、別の面から見ると多くが“人間の都合”で「処分」されている。

統計によると、
この10年間での犬の殺処分減少率は1/3
 犬 1997年度  356,155匹
 犬 2006年度  117,969匹
同じく猫の処分減少率は4/5
 猫 1997年度  290,445匹
 猫 2006年度  235,129匹

だという。(出典はここ

そして、犬猫の殺処分の数が多いのは、1位福岡、以下千葉、愛知、長崎、兵庫・・の順だという。
先日、アメリカの刑務所で、受刑者が再犯で刑務所に戻ってこなくさせる為のプログラムとして、捨てられた犬の世話をして外の人にもらってもらう活動をしていると、テレビでやっていた。犬との心の交流で、「暖かい心」を取り戻してもらおう、というもの。

自分は、子供のときに犬に咬まれた経験があり、犬は苦手で“トラウマ”になっていたが、家で飼いだしてからもう6年。かけがえのない存在になっている。
決して裏切らない心の清い(はずの)動物・・・。でも何故かウチの犬は、夕食のときはぴったりと自分に寄り添うくせに、食事が終わると直ぐに離れて行ってしまう。もちろん「食い逃げだ~」なんて騒ぐことは決してしないが、カミさんと違って自分との間にミゾがある事は確か・・・
だから自分に何かがあった時、このナナちゃんと同じようには絶対に鳴かない気がする。まあ、それが勘違いであって欲しいが、いたって自信が無い“我が家の犬との関係”ではある。

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2009年1月24日 (土)

「悉有仏性」~続・我が家のパソコン奮闘記

この所、自分はパソコンにもてあそばれている。これもパソコンのトラウマが原因ではないかと思う。新しいパソコンを昨夜導入したが、何とかこれで収まってくれることを祈る・・・・。

高価なAVパソコンが壊れたのが昨年7月。XPを求めてdynabook Satelliteを買ったことまでは(ここ)に書いた。しかし、キーボードのタッチの硬さに腱鞘炎を起こして降参・・。それから2週間キーボードを“研究”し、1万円近く出して英国製のキーボードを買い、何とかそれで凌いできた。
それはそれで良かったのだが、次に出たのがブルースクリーン(オペレーティングシステムの異常で深刻なダメージが発生し、パソコンがストップする現象)。仕方なくリカバリをしたのが、つい先週。それなのに、次の日にはまたブルースクリーンが再発。“何だ、元に戻してもダメではないか!”。そして結局入院させる(メーカ修理)ことにして、送り出したのが一週間前。メーカの修理サイトでは、便利にも修理段階が検索できる。状況を常に覗いていたが、メーカも何とも手こずっている。メーカに着いた次の日に、「故障箇所診断中」「部品、準備中」「修理中」と順調に進んで、程なく帰ってくるな・・と思ったのは束の間。直ぐに「故障箇所診断中です」に戻ってしまって、それから事態が動かなくなった。普通は、1週間から長くても10日間で戻るというのに、何も音沙汰なし。

話は変わるが、自分は会社でdynabook Satellite K16を使っている。もう2年以上前の製品だが、ノントラブルでそのキータッチも体に染み付いている。
7月に買った新型パソコンと自分の手は“相性が悪い”ため、もし同じ製品があれば、原理的に絶対に自分の体にフィットするはず・・。もちろん今更2年前に新品の入手は無理としても、何とか中古が手に入らないかと、Yahoo!オークションでずっと見てきた。それが、何と3日前にフト楽天で検索したら、K11の新品を売っているではないか(19万円のが5.5万円)(この店)。K16とK11は同じシリーズ。廉価版だがK11で充分。HDDが40Gしかないので少し不満だが、幾ら06年11月発売の旧型でも、体(手)とのフィットは最重要課題。即注文して昨夜からこのK11が動き出した・・・、という訳。

ここからが本題。前に何度かこのblogで「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)=生きとし生けるもの全てに成仏できる性質が備わっていること」について書いた。大きな声では言えないが、実は我が家の機械はみな“意思(命)”があるのである。ウソだと思うだろうが、本当の話なのである。パソコン然り、食洗機然り、VTR然り・・・。
分析すると、多分こんなことだ。
今入院中のdynabook Satellite  T31というパソコンは、定価18万円のものを、7万円で買った事でも分かるように、どこかの企業で資金繰りが苦しくなって放出したか、または倒産した会社から出たモノかも・・・。出所は分からない。だから、幾らピッカピカの新品であっても、このパソコンの「ココロにキズ」があった事は否めない。だから我が家に来て、トラウマが発症した。まずキーボードが(本来の持ち主でない)自分に反旗を翻し(腱鞘炎)、そして別のキーボードを買って使い出すや、今度はブルースクリーンを出して、使わせなくする。それはリカバリ(購入したときの状態に戻す作業)しようが、本人に“動く気”が無いので直らない。そして先週入院したが(メーカ修理)、医者(サービス)も原因が分からず、お手上げ状態(いつまで経っても「故障箇所診断中です」)に陥っているのである・・・

よって、自分としての“再発防止”は、「(一番理想的な、会社と同じ使い慣れた新パソコンが手に入った現在)このパソコンを何としても“過去と決別”させ、我が家に慣れさせなけらばならない・・」。
よって、昨夜家に帰るや、着いたばかりの“新パソコン”の荷物を玄関から外に出して、塩を振りかけて「禊(みそ)ぎ」を行った。本当は神主さんに“お払い”をしてもらって、“過去に決別”させると良いのだが、素人が思い付くのは、葬式から帰った時の塩でのお清め位・・・・。(なぜ“塩でお清め”か・・は、良く分からないのだが・・・・)(カミさんが言うに、塩は岩塩など“天然塩”でないとダメらしい・・・)

その甲斐あってか、昨夜から順調に動き出した。この文を打っている手も、使い慣れたキー配置・キータッチなので早いこと早いこと・・・
何とかこのパソコンがウチに馴染んでくれると良いのだが・・・。
(実は、前の高級パソコンが3年で壊れたり、入院中のパソコンも買って1カ月半でブルースクリーンが出た事もあり、パソコンが長期間動くように思えなくなってきた。よって今回は自分としては初めて「5年保証」を1.4万円出して付けた。このパソコンに命を掛けるため・・・!?)

ところで、入院中のパソコンが戻ってきたらどうしよう・・・。我が家にはフィットしなかったパソコンだが、まだまだ若い。活躍できる場所は必ずあるはず・・・
使い出した新型(後妻?)が、先妻が戻った時に、ねたんでヘソを曲げるといけないので、早く嫁(里子?)のクチを探さなければ・・・
「悉有仏性」・・・。自分は誰が何を言おうと、モノには命があると信じている!!
(なお今のところ、我々夫婦は“病院に収容されていない”ので、念のため・・・)

(関連記事)~我ながら、同じような事を何度も書いているな~
機械にも魂(生命)はある?(2006年11月 4日)
やはり家の機械には“意志”がある?(2006年11月11日)
D-VHSデッキがヘソを曲げた(2007年1月 6日)
我が家の食洗機(2008年1月16日)

我が家のパソコン(東芝G10)の反逆(2008年7月21日)
我が家のパソコン復活記(2008年7月27日)
パソコンのリカバリを決行!(2009年1月12日)

●メモ:カウント~29万

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2009年1月22日 (木)

新田次郎/藤原ていの娘・藤原咲子氏の数奇な人生

いつものNHKラジオ深夜便「こころの時代」で「よく大きくなってくれました~エッセイスト 藤原咲子」を聞いた。(2009/1/15~16放送)

<「よく大きくなってくれました」~エッセイスト 藤原咲子(その1)>

<「よく大きくなってくれました」~エッセイスト 藤原咲子(その2)>

藤原咲子さんの両親は、新田次郎/藤原ていさん。次兄は「国家の品格」の藤原雅彦氏とのこと。
もちろん自分も、「新田次郎」や「藤原てい」という名前だけは(?)良く知っている。この放送は、その娘である藤原咲子さんの、両親との葛藤の(?)お話である。

両親は、1943年に満州の首都・新京(長春)の気象台に赴任し、咲子さんは1945年7月にその新京で生まれた。そしてその1ヶ月後にソ連が参戦、攻めて来たため、日本への逃避行が始まった。夫(新田次郎)は、まだ仕事が残っていたため気象台に残った。よって、藤原ていさんが当時5歳の長男、2歳の次男、そして生後1ヶ月の咲子さんを連れて逃げる事になった。1年後に日本にたどり着くまでの逃避行は壮絶で、その経緯を書いた藤原ていの小説「流れる星は生きている」は、戦後としては珍しいミリオンセラー、100万部を売ったという。

当時1歳の咲子さんは、荷物のようにリュックに入れられ、“まだ生きている・・・”と母親がつぶやく毎日・・。もちろん母乳は出ないので、大豆を煮た上澄みとか雑草を煮た上澄みをミルク代わりに飲み、とうとうミルクは10ヶ月間一滴も飲まなかったという。そのため栄養失調でお腹はパンパンに脹れる状態。(題の「よく大きくなってくれました」は、生後1年の赤ちゃんが逃避行のすえ、生きて日本に戻れたことが奇跡であり、その赤ちゃんが育ってくれた奇跡に感謝・・・ということ)
昭和21年9月に、何とか日本に戻ってからは、信州の両親の生家に身を寄せ、その後はヤギのミルクで育ったという。その後、父が戻ってから東京に移ったが、母親(藤原てい)は疲れが祟ったせいか、3年間結核で病の床に。ペニシリンで治ったが、娘にとっては2~4歳の切ない子供時代だったという。そして、結核の母親から引き離され、逃避行のトラウマや栄養失調のためか、小学校3年位まで言語障害が残ったという。そして母親への強い反抗心・・・
そして小学校6年生の時に母親のベストセラー「流れる星は生きている」を読んでショックを受ける。「(リュックを開けると)まだ咲子は生きている」「咲子が生きていることが幸せだとは思わない」「咲子を犠牲にして兄二人を生かすことにためらっている」といった箇所に・・・。もちろん深読みは出来てなかったが、これらの文言から、母親への反抗は益々強くなる・・・。「お母さんは私を愛していない。だったら自分を棄ててくれば良かったじゃない・・・」と。それは大人になっても続いていた。

それが解けたのは、60歳近くなった時に実家の書庫で「流れる星は生きている」の初版本を見つけたときだった。茶色くなった昭和24年の初版本に、30歳頃の若い両親の字で、自分宛の言葉が記されていた。
母は「お前は本当に赤ちゃんでした。早く大きくなってこの本を読んでちょうだい。本当によく大きくなってくれましたね。母 昭和24年9月」
父は「この本は生まれたばかりで不幸の星のもとに生き抜いた咲子がまだ青白く細かった頃、書いたものです。父」

それを読んだとき、書庫の中で泣き崩れたという。悔恨という言葉では言い尽くせないほど・・・。なぜ自分はそこまで反抗してきたのか・・・と。
藤原ていは現在90歳。今は認知症を患ってはいるが、施設で元気に暮らしているという。
そして藤原咲子さんは、厳しい両親の教育のもと、天下の名門・桜蔭中学校に入学し、立教大学を出てから、二児の母として現在に至っているという。

「満州からの引き揚げ」という言葉は良く聞く。ウチの家族では伯母が一人いる。伯母も終戦の時に、同じように夫に先立って満州から引き揚げた。夫はやはりシベリア抑留に逢ったというが、それ以上の話は聞いていない。
しかし、満州からの引き揚げがどれほど大変だったかは、母親(藤原てい)の足に小石が食い込み、ずっと足に石の痕があった・・・・、との話で良く分かる。子供を3人連れて、履くものも擦り切れて無くなり、裸足での逃避行の結果・・・。

 

自分が若かった頃、死んだ親父が良く言っていた・・・。「戦争の時の事を考えると、今の事態(逆境)など、まだまだ甘っちょろい・・・」。
戦争を知らない我々世代は、“平和ボケ”の真っ最中・・・・。先日のパレスチナ・ガザ地区の戦争も、自分の問題として捉えようとしていない。何か出来ることがあるかも知れないのに・・・

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2009年1月21日 (水)

「派遣労働者の解雇と会社法」~日経より

今朝の日経新聞の「大機小機~派遣労働者の解雇と会社法」というコラムに、重たい指摘があった。曰く・・・

派遣労働者の解雇と会社法
世界金融危機は実体経済を大きく覆い、社会の最も弱い層から犠牲者が続出し始めている。とりわけ日本で目立つのは大企業による派遣労働者の解雇だろう。日ごろ、株主価値よりも雇用が第一と言っている企業が、人間の生存を脅かすような決定を下すことには、強い違和感を禁じ得ない。しかしそこには、会社法制における労働者の位置付けが正社員についてさえも軽視される日本の実情が背景となっているようだ。
会社は株主のものであり、経営者は株主の代理人である、といった会社法の古い見方からすると、会社法と労働との接点は乏しい。土地や建物を買うのと同様の感覚で労働を「買う」という発想が中心である。あとは社会政策的な保護の対象として労働法があるにすぎない。
・・・・・
会社の目的とはそれぞれの会社が有する使命、ミッションの最大実現であると考えるなら、労働者も経営者も派遣労働者もそうしたミッションの実現組織の正当な構成員ということになり、権限の相違は立法政策の問題にすぎないことになる。派遣労働者も生身の人間としての生存がかかる会社法上の特殊な債権者であり、会社として十分な配慮義務があることになる。
特に欧米のように株主が個人である点にこだわる社会では、株主とは人間であり、消費者であり労働者である。ドイツでは労働者は経営の中枢に位置付けられる。フランスでも合併などには労働者の合意が必要だ。英国も法制上労働者の地位は非常に高い。米国も個人株主中心の社会である点で欧米と軌を一にする。
会社法が労働を論じるのは当然のことである。会社法に労働概念がなく、労働法に企業概念のない日本の法制の基本的考え方が、派遣労働者の犠牲を安易に肯定する発想の基礎にある。厳しい生活を強いられる労働者よりも株主の方が大事という発想が正しいのかどうか、しかと考えるべきであろう。(盤側)」(2009/1/21 日経P19) 

数年前、ある企業買収の話から「会社は株主のもの」という論が一般化されてしまった。しかしこれには“解せない”と思う人が多い。本当に会社は株価だけを見て株を売買だけをする人たちの「もの」か?
株を持っている人は、「株を持っている」という意識はあっても、「自分の会社」という意識はほとんど無い。一方で社員たちは「我々の会社」「我が社」という言い方をする。
会社が株主のものであり、法人としての会社が、持ち主である“株主の為にある”存在だとすると、今回の派遣切りは当然の動きかもしれない。
しかし、法人としての「会社」の実力は、トヨタの08年度の未処分利益(剰余金=貯金)が12.4兆円、キャノンは2.8兆円もあるように、充分らしい。つまりトヨタの“貯金”は、グループ会社員(31万6千人)1人当たり4千400万円もあるという。(出典はここここ
そんなに(過去の社員の苦労の賜である)貯金が存在しながら、少し業績が悪くなると、直ぐに人員削減に走るとしたら、何か「会社」は変だ・・・。

今日のテレビ・新聞は、オバマ新大統領就任式のニュースで大騒ぎ。確かに組織はトップの資質次第で良くも悪くもなってしまうので重要だ。同じくトヨタの社長交代が正式に発表されたが、過去にどのような業績を出していても、トップは直近の結果責任を取らされるので厳しい。同時に、“神風を吹かせるのも実力のうち”とも言われる・・・。
しかし逆に、組織はトップのスタンスで変わるもの。ひとつの企業だけが変わる事は(周囲の目があるので)難しいだろうが、“日本株式会社”が、全体として“所有者である社員(労働者)のため”に動くようになると、労働者の環境も変わり、日本もより良い国になるのだが・・・・。(ところで、麻生首相のあとの“日本のオバマ”は誰なのだろう?)

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2009年1月20日 (火)

加山雄三の「旅人よ」

先日、橋幸夫の「霧氷」について書いたが(ここ)、同じ頃に売れていた歌手に加山雄三がいた。。これも大学1年のときの下宿部屋、そして洗濯と太陽の光を思い出す。
何のことは無い。休みに洗濯をして日に干していた時に、同じ下宿の友人と、加山雄三の話をした事がまだ記憶に残っているだけのことである。
当時、まさに「君といつまでも」が大ヒットしていた。昭和41年のことである。加山雄三は、芸能人としては珍しくちゃんと(?)大学(慶大法)を出てから東宝に入社している。そんな芸能界スタートは珍しく、まあ“毛並みが良いからだろう”、という話になった。
自分は特に加山雄三が好きなわけではないが、加山雄三から来る湘南のイメージ、若さのイメージは眩しかった。もちろん今でも眩しい。でも加山雄三ももう72歳。それでも未だにイメージは若い。
自分は、加山雄三の歌では「旅人よ」が好きだった。この歌は「夜空を仰いで」のB面として1966年10月の発売だという。

<加山雄三の「旅人よ」>

   「旅人よ」

      作詞 :岩谷時子
      作曲 :弾 厚作
      歌 :加山雄三

    風にふるえる 緑の草原
    たどる瞳かがやく 若き旅人よ
    おききはるかな 空に鐘がなる
    遠いふるさとにいる 母の歌に似て
    やがて冬がつめたい 雪をはこぶだろう
    君の若い足あと
    胸に燃える恋も 埋めて
    草は枯れても いのち果てるまで
    君よ夢を心に 若き旅人よ

    赤い雲ゆく 夕陽の草原
    たどる心やさしい 若き旅人よ
    ごらんはるかな 空を鳥がゆく
    遠いふるさとにきく 雲の歌に似て
    やがて深いしじまが 星をかざるだろう
    君のあつい想い出
    胸にうるむ夢を埋めて
    時はゆくとも いのち果てるまで
    君よ夢を心に 若き旅人よ
    ム・・・・

繰り返しになるが、加山雄三のように「いつまでも若い」という人は羨ましい・・。たぶん相当にエネルギッシュな人なのだろう。それよりも、トシとは関係なく、趣味でも何でもいつでもやる事が多いのだろう。意欲的に生きる人、常に興味が湧く人・・・。
ん?自分・・・? もちろん若いさ・・・←ホント??
でもこの歌のように、“聞いていて心が明るくなる歌”は貴重だよね。

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2009年1月19日 (月)

おすすめの「企業博物館」ベスト10

またまた当blogの好きなベスト10である・・・。
日経新聞に「産業の歩み 肌で感じる~おすすめの企業博物館」という記事があった。(2009/1/17 s3p)それによると、ベスト10は・・・・

<おすすめの企業博物館>

鉄道博物館   1200
(さいたま市、東日本鉄道文化財団)
大人には36両の実物車両が人気で、一部は中に入れる。明治5年の新橋駅なども再現、タイムスリップした感覚を味わえる。1000円。℡048-651-0088

印刷博物館   960
 (東京都文京区、凸版印刷)
 現存する世界最古の印刷物など、本物志向の展示が充実。50近くある映像・音声モニター解説もわかりやすく、落ち着いた雰囲気。300円。℡03-5840-2300

産業技術記念館   780
 (名古屋市、トヨタグループ13社)
大正時代に建設した旧豊田紡績本社工場を活用。機織から自動車まで工場のものづくりを疑似体験できる。500円。℡052-551-6115

トヨタ博物館  680
 (愛知県長久手長、トヨタ自動車)
 世界中から集めた19世紀以降の自動車140台を展示。走行を見学できる日もある。1000円。℡0561-63-5151

たばこと塩の博物館  560
 (東京都渋谷区、JT)
 古代アメリカ発祥の喫煙文化が世界に広まった様子や塩の作り方を学ぶ。100円。℡03-3476-2041

インスタントラーメン発明記念館  540
 (大阪府池田市、日清食品ホールディングス)
 安藤百福の足跡を通じ、発明や発見の大切さを学べる。即席めん製造の体験工房も。無料 ℡072-752-3484

貨幣博物館  500
 (東京都中央区、日本銀行)
 「和同開珎」をはじめ、国内外の4000点を展示。紙幣1億円の重さも体験できる。無料 ℡03-3277-3037

松下幸之助歴史館  480
 (大阪府門真市、パナソニック)
 1933年の本社社屋を復元。松下幸之助の生き方を懐かしい家電とともに振り返る。無料 ℡06-6906-0106

ミキモト真珠島  420
 (三重県鳥羽市、ミキモトグループ)
 真珠王・御木本幸吉の生涯をたどり、真珠を使った美術工芸品も目で楽しめる。1500円。℡0599-25-2028

食とくらしの小さな博物館   400
 (東京都港区、味の素)
 1900年から現代までを4つに分け、それぞれの食卓風景から身近な歴史を学ぶ。無料 ℡03-5488-7305

Image02281 今回も同じく、自らの防備録である。(リタイアしたら行ってみたい所を、忘れないようにメモしている次第・・・)
今回の企業博物館は、所在地が全国に亘っているので、全部踏破するのは難しい。東京は5カ所か・・・・・。でも実際に行くかというと、意外と実現が難しそう・・・。だいたい自分は一人で行くのがいやなので、カミさんを誘う・・。でもこれらは、女性が興味を持つとは思えないので、ウチのカミさんも簡単には付き合いそうもない。
まあ“マゴ”でも居れば、行く口実も、相手も出来るがウチはトンと関係がないし・・・
まあそのうち、行くところが無くなったら一人で行ってみるとするか・・・。(写真はクリックで拡大)

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2009年1月18日 (日)

同期の友人宅を訪問~リタイア後はどうする??

我々1970年入社組は、(全員リタイアしたものの)未だに同期会を行っているが、その同期会の案内メールを機に、独身寮で隣の部屋に住んでいたYの家に、同じ部屋に住んでいたTを誘って遊びに行く事になり、今日行って来た。(当時は6畳に2人住んでいた) 今日はその顛末記である。

訪問の目的(?)は、家を新築したという“敵情視察”と、“主夫業”の視察。
Yはリタイアしてから1年余。その間、家の新築と“日曜大工”の本格バージョンである“DIY(Do It Yourself)”にいそしんでいたという。だいたい自分は、「日曜大工」という言葉は知っていても、「DIY」なんて言う言葉は知らなかった。まあ時間にかまけてどんなものを作っているかが興味の的・・。その結果が、下記の写真。(写真を左クリックすると拡大します)

P10308981 P10308951 P10309041

家をなるべく引っ込めてウッドデッキを自作。それはもう本格的。CAD(Computer Aided Design=コンピュータでの設計)を駆使して自分で設計し、材料を集め、自作したという。枕木のインテリアや益子焼きの手洗い、手作りのポスト等、それはもう玄人はだしの腕前。おかげで腱鞘炎になったとか・・・。

P10309261_3 P10309251 P10309161

家に入ると、玄関口には自作のインテリア。全部自作で、土台は板で作ったものに和紙を貼ったとか。後の板はテーブルをそのまま利用。そしてこの家の“目玉”が特注のステンドガラス。屋上から見える富士山を描いている。
まあ、(子供のことをもう考えなくて済むリタイア後の)夫婦二人用に作った家だけに、楽しみながら自由自在に作った家、という感じがしたピッカピカの家であった。(長年の夫婦共稼ぎのご褒美?)

さてこれからが本題・・。“毎日が日曜日”を1年余続けているYから、どんな生活をしているかの取材である。結果、こんな生活のようだ。
共稼ぎでカミさんが最も忙しい今、「主夫」業は当然。得意料理は、カレー・焼き魚・おでん・焼き肉・・・。だいたい毎週土曜日は、山仲間との趣味の山登り。DIYで家の周囲の製作がほぼ終わったが、忙しい生活らしい。
そして、そろそろ延長戦が終わってリタイア間近のTは、最近ゴルフを始めたという。先生に付いての練習から、そろそろ本格的にコースに出るフェーズとか。Tもゴルフ以外にはあまり材料は無いらしいが、”何とかなるさ”と達観していた。

それらを前提に肝心の自分だが、“毎日が日曜日”対策の結論は、二人は、自分は「ボランティアが合っている」という。
「リタイアすると、『料理の担当は、月水金?それとも火木土?・・・』とカミさんに脅かされている」と言うと、Tは「料理位は出来るようになっておかなくては・・」と言う。Tは今はやっていないが、そうなればやるという。まあ「議論」の末、自分なりに出した結論は、「(月)=カレー、(水)=焼き魚、(金)=おでん、を毎週繰り返していたら、テキ(カミさん)が音を上げて“自分でやるからどけ!”と言い出すだろう・・」←ナンテ甘いかな?
それ以外の時間の使い方としては、自分が「前に、先輩に“他人のために時間を使え”と言われた」と言うと「それだ。我々はエンジニアの端くれ。ボランティアでそれを生かせばいい」とのこと。つまり自分は、“ボランティアで世の中の役に立て・・・”か??

ともあれ、リタイア先輩組の実体(?)を見てきた。でもYのように、確固とした趣味・スタンスを持っているヤツは、むしろ自分たち凡人の参考にはならないかも知れない。それに対して、Tは“どうにかなる・・”がスタンス??
う~ん。まあとりあえず、現役引き延ばし作戦が挫折したとき、“その時、ボランティアで何が出来るか”を、少し探って見ることにでもしようか・・・。

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2009年1月17日 (土)

「本当に苦しむ死に直面」~柳澤桂子さんの話

昨日の朝日新聞夕刊に、「生きて死ぬ智慧」の著者・柳澤桂子さんの「本当に苦しむ死に直面」という記事が載っていた。どうも柳澤さんは、最近体調を崩されているらしい・・・。曰く・・・

Image02271 「――40冊余りの著書のうち、歌集も2冊。近頃、どんな短歌を作られましたか?
『正常な呼吸が突然崩れだすこうやって死に近づいていく』『彼岸へと入りにくき人の苦しみにコスモスの花窓辺をゆらぐ』――。昨年10月、老人病院に入院した時の歌です。
同室の女性3人のうち2人は100歳前後で寝たきりでした。1人はほとんど眠っていてガーガーという呼吸音が止まったり聞こえたり。「寒い」「死にたい」くらいしか言えない。もう1人も「アー、アー」としか声が出ないけれど、死にたい気持ちが伝わってきました。
あんなになっても死ねない。一方でポックリ死ぬ人もいる。死はもっと美しいものだと思っていましたが、死ぬに死ねない人たちと1ヶ月暮らし、本当に苦しむ死を見て、ものすごいものだと実感しました。
――最初に入院したのが40年前。その後も様々な病気で入院や手術を繰り返しました。
今はベッドの上で寝たり、起きたりの生活。脊椎の8カ所がつぶれ、長時間座っていられませんが、調子が良い時は午前と午後に40~50分ずつベッドわきのパソコンに向かいます。
・・・・
――最近の著書を読むと、宗教を学ぶことで悟りに達しているようにも感じます。
十数年前に車いすで外出した時、通りかかった女性に「お気の毒ですね」と言われました。「みじめだ」という目で見られているのか、といやな感じがして、木陰で考え込んだ時にふっと、「私がいなければ、この考えはない」「自我がなければいいんだ」と気がつきました。ジェット機で雲を突き抜けて真っ青な空に出る時の感じでした。
悩みも苦しみもない世界がある、と分かったら、もう怖くはない。入ろうと思えば、自我のない世界に入れる。雑念がすべて取り去れれば、真っ青な空の中に自分なしでいられます。
――ご自身の死についても?
「あなたも宇宙のなかのほかの粒子と一つづきで・・・・実体はない」。般若心経の「空(くう)」の世界を、私はこう訳しました。実体のない自分。その死も別に怖くはありません。
死にたくても死ねない老人病院の女性たちを見て、正直なところ、死についての感じ方は揺れています。でも、人間の死も散っていく紅葉と同じで、自然のなかの一つの景色として眺めれば、ささやかな出来事。静かであってほしいものです。
・ ・・・・」(2008/1/16 朝日新聞夕刊より)

柳澤さんの壮絶な病気のとの戦いは有名だが、何とかそれを克服されたものと思っていた。しかし、「死に直面・・」といった記事のタイトルを見ると、ドキッとする。

「どう死ぬか」は人生最大のテーマだが、これほど自分の意志と無関係なテーマも珍しい。多くの人にとって、自分の意志とはほとんど関係がない。
昨夜、久しぶりに昔の同僚と飲んだが、やはり親の介護の話が出てくる。まあ誰にでも順番に巡ってくる課題ではあるが、何ともやっかいな課題だ。そして、誰もが「せめて自分が死ぬときは、子供に迷惑を掛けたくない・・」と言う。しかし“その時”になって、その思いがどれだけ実現できるか、だれも自信がない。自分の意志とは無関係に動く可能性が大きいので・・・

今まで何度も死に直面し、何度も自身の尊厳死をも考えた柳澤さんだけに、この記事は何とも“重い言葉”として読んだ。
だれも、「理屈」「言葉」「頭」で分かっているつもりの「死」でも、実際はそんなに簡単なものではない・・・ということだろう。気の弱い自分なればこそ、それを考える機会が遠いことをつい祈ってしまう・・・

(関連記事)
「般若心経」と「穏やかな心」
「生きて死ぬ智慧」のDVD BOOKが出ていた

●メモ:カウント~28万

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2009年1月15日 (木)

合唱組曲「月光とピエロ」と「水のいのち」

昨年買ったCDの中で、お買い得の筆頭が「ベスト合唱100」というCD。(これ)このCDは、日本の有名な合唱曲を100曲集めてCDに詰め込んだもの。CDが6枚で4500円は安い・・・

自分は、学生時代に1年だけ男声合唱をやったことがあるが、むしろ歌うよりも聞くほうが好きである。それで、若い時に合唱のレコードを買い集めた・・。このCDの半分くらいは知っている曲だった。もちろんレコードで持っている同じ演奏も多い。しかしさすがに音質の差は歴然だ。
このCDから、男性合唱曲と女声合唱曲を一つずつ選んでみると、次に2曲になってしまう。あまりにも有名な曲だが・・・

男声合唱組曲「月光とピエロ」は、やはり何度聞いても名曲だと思う。人間の声だけ、しかも男声だけだが、この迫力! 特にこの曲はダイナミックだ。

<男声合唱組曲「月光とピエロ」から“Ⅱ.秋のピエロ”>
  作詞:堀口大学 作曲:清水 脩
  北村協一(指揮)/関西学院グリークラブ

次に女声合唱だが、このCDから「水のいのち」の“川”を選んでみた。この曲も非常に有名な曲で、混声合唱としても良く歌われている。この第3曲の「川」もまた、実にダイナミック。川のように流れる旋律が好きだ。

<女声合唱組曲「水のいのち」~Ⅲ.川>

    女声合唱組曲「水のいのち」

      作詞:高野喜久雄
      作曲:高田三郎
      木下保(指揮)日本女子大学合唱団

    Ⅲ.川
     何故 さかのぼれないか
     何故 低いほうへゆくほかはないか

     よどむ淵 くるめく渦のいらだち
     まこと 川は山にこがれ
     きりたつ峰にこがれるいのち
     空の高みにこがれるいのち

     山にこがれて 石をみごもり
     空にこがれて 魚をみごもる
     さからう石は 山の形
     さかのぼる魚は 空を耐える

     だが やはり 下へ下へと
     ゆくほかはない 川の流れ

     おお 川は何か
     川は何かと問うことを止めよ
     わたしたちもまた
     同じ石を 同じ魚を みごもるもの
     川のこがれを こがれ生きるもの

この詩が何とも良い・・・。実に哲学的な歌詞ではないか??
趣味で合唱をやっている人以外では、たぶん殆ど聞かないだろう合唱曲・・・。でもクラシック音楽のひとつのジャンルとして聞いてみると、意外と名曲が多くある。こんなCDでその世界を探索してみるのも一興では?

*当サイトのパソコンが明日から入院することになりました。よってこれから1週間位は、記事が飛びとびになるかも・・・。
(つまりリカバリしても相変わらずの障害発生。メーカに電話したら、HDDの障害の可能性・・・。よって入院。先日、暴飲暴食(プログラム)だとばかり思っていたら、本当の病気(ロタウィルス・HDD?)だった自分の姿と、良く似ている・・・)

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2009年1月13日 (火)

吉幾三の「雪國」~カラオケは不快?

今朝は寒かった。有楽町の駅前のビルにある温度計で2℃だった。帰るときは7℃。これでは「雪國」だ!??(←無理がある?)

先日の日経に「カラオケ 英では厄介者? 『不快な発明』1位~英紙調査」という記事があった。(2009/1/9付け「日経」) 曰く・・・

「8日付(2009/1/8)英紙インディペンデントは、英国人を対象にした調査で「最も重要と思いつつも最も不快に感じる発明品」として、日本発祥のカラオケが携帯電話などを抑えて1位になったと報じた。
調査は英政府が2500人以上の大人を対象に実施。22%がカラオケを最も不快な発明品に挙げた。24時間スポーツチャンネル(17%)、ゲーム機(12%)、携帯電話(11%)が続いた。
英国では、日本のように防音設備が整った個室型のカラオケボックスがまだあまり広まっていない。多くの人が飲酒するパブにカラオケが置かれていることが多く、音痴の人や酔っぱらいの歌声が“騒音”被害を招いているという。
同紙はカラオケは日本の井上大佑氏が1971年に発明したと伝え、特許を申請していれば約1億5千万ドル(約136億円)を得ていた可能性があったとの試算があるとした。「カラオケは十人歌いたい人がいれば、その後ろには被害を受ける人が150人はいる」との声を紹介。「人々を街に繰り出させ、楽しませている」とのカラオケ機器会社幹部の反論も伝えた。(ロンドン=共同)」

この論は正解だと思う。最近はスナック等に行く機会が少ないので、日本の現状は分からない。でも、少なくても20年前の日本はこれと同様だった。考えてみると、確かに聞かされる方は迷惑な話だ。
カラオケは1971年の発明だという。でも自分が学生時代、つまり1960年代後半のテレビの歌番組は、全て口パクのカラオケだったので、何が特許要件なのかと調べてみたら、システムとして纏めたことにあるらしい。
手前味噌で恐縮だが、自分のカラオケの歴史は古い。1970年代初め、世の中にカラオケが流行り出す前、自分の歌をカラオケで録音しては悦に入っていたもの。普通の音源(レコード)では、まず歌声を消すことが必要であり、自分が持っていたTRIO(現kenwood)のステレオアンプには、左右の信号を逆相にして加え合わせて中央の音源を消すスイッチが付いていた。その内にカラオケのレコードが発売されるに至り、素人でも自分のカラオケの歌を録音できるようになった。そこで一番の問題が、どうやって“エコー“を付けるか・・。スプリング式とか色々なエコー装置が発売されたが、やはりオープンテープによるフィードバック方式が一番音が良かった。(ここ

その時の録音が今でも少し残っているが、まあ聞くに堪えないな・・・。自分の結婚式(1976年)でも、自分たちで持ち込んだ装置で、友人たちがカラオケで歌ってくれたもの。でも、1970年代後半から世の中でカラオケが一般的になると同時に、自分のカラオケへの情熱は急速に冷めて今に至っている。
Image02261 しかし、少なくても今から20年前頃は、まさに英国と同じように飲み屋で順番に歌うのが普通だった。考えてみれば、迷惑な話だった。うるさくて話も出来なかった事を思い出す。今でもそうだろうが、皆一曲くらいは「十八番(おはこ)」を持っている。
当時、自分が皆に“迷惑を掛けた歌”が、吉幾三の「雪國」だった。この歌は好きで、何度歌っただろう。・・・テナわけで、今日の歌は吉幾三の「雪國」・・・。定番の録音ではなく、“アルバムバージョン”で聞いてみよう。この編曲は自分も好きである。

<吉幾三の「雪國」~アルバムバージョン>


「雪國」
  作詞・作曲:吉 幾三
  歌:吉 幾三     

好きよあなた 今でも今でも
暦はもう少しで 今年も終わりですね

逢いたくて恋しくて 泣きたくなる夜
そばにいて少しでも 話を聞いて
追いかけて 追いかけて 追いかけて・・雪國

窓に落ちる 風と雪は
女一人の部屋には 悲しすぎるはあなた
酔いたくて泣きたくて ふるえるくちびる
そばに来て少しでも わがまま聞いて
追いかけて 追いかけて 追いかけて・・雪國
   
好きな人はいるの あなた
バカねバカな女ね 意地をはってた私
逢いたくて夜汽車乗る デッキの窓に
とめどなく頬つたう 涙のあとを
追いかけて 追いかけて 追いかけて・・雪國

*くりかえし

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2009年1月12日 (月)

パソコンのリカバリを決行!

今日は、意を決してパソコンのリカバリを行った。(この記事も自分のための備忘録なのでスミマセン・・)
7月に7万円で買ったdynabook Satellite T31(PST311SCWSR1K)(ここ)。それが何と1ヶ月半経った10月の初めに、ブルースクリーンが出た。青一色の横文字の画面はロクな現象ではない。電源を落として復活したものの、これが前兆。
それから3ヶ月で11回。東芝のサポートに電話すると、エラーコードによると、現象がバラバラなのでリカバリしかないだろうとの事。しかしマイクロソフトのエラー報告では「Device Driver が原因で発生した問題」。

現象が必ずNetをしている時なので、無線LANの子機のドライバーかと疑って、バッファローに問い合わせ。すると、USB型の子機と、カード型の子機の両方を使えるようにしてあるので、それらが競合しているのだろう・・との事。シメタ、と子機を両方いったん削除して再セットアップ。ここからが問題。何とUSB子機がつながらない。仕方なく、パソコンの「システムの復元」で状態を元に戻し、両方つながった状態から一つだけ削除した。これで良いだろうと思っていたら、再発・・・。ウーン手ごわい・・・・

でも発生率が大分少ないので、騙しだまし使おう、とリカバリの面倒さを避けた。でも”いつ止まるか”の恐怖はなかなかのもの。
そして正月になってからは、Net以外の時にも発生。そしてとうとう昨夜は、“カツン”と言ったきり、画面が真っ暗。勝手に止まってしまった。幸いにも電源スイッチを入れたら復帰したが・・・・
さすがに潮時・・・と、今日、頑張ってリカバリした・・・、という訳。

いつも、この手の作業が始まると自分は夢中になってしまって他の事が頭に入らない。カミさんもその事は心得ていて、前々からモールに買い物に行く予定を早々にドタキャンしたが、了解。午前中からデータの退避から始める。そして、意を決して復帰のボタンを押す。
買った時の状態から、最初に行ったのが、無線LAN子機の設置。案の定、USB型の子機が繋がらない・・・。リカバリ直後のピンピンの状態でも・・・。7月にこのパソコンを買ったときには難なく繋がったのに・・・。そしてやっとカード型の子機で繋がったので、何とか前に進めた。
前と、まったく同じ状態なのに状況が違う・・・。なぜだ?

鬼門は無線LANだけなので、後は単なるコピーの時間で何とか復帰した。居間のパソコンとも共有設定が出来た。これは前に東芝のサポートに電話で教えてもらった時に、音声を録音したおいたが、それが役立った。

とにかくパソコンは、Netに繋がらないと手も足も出ない。真っ暗闇の状態・・・。電話を掛けようにも、電話番号も調べようがない・・・・
まあ何とか3時間掛けて復帰した。でも、今回手順書(設定記録)が出来たので、もうリカバリも怖くない。FFFTPなどの設定を、メモに残しさえすれば良いものを、色々やって、いったん繋がるとそれで良いことにしてしまうので、後で設定が分からなくなり、リカバリが怖くなる。まあ少しの前進だ。
今回のリニューアルで、このパソコンも機嫌を直してブルースクリーンが出なくなってくれれば良いのだが・・・・。

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2009年1月11日 (日)

真の豊かさ・幸福とは?~ブータンの国作り

BS朝日で放送された「ZOOM ASIA~奇跡の国ブータンから学ぶこと」を見た。(2009/1/10放送~2008年7月の再放送)(詳細はここ
石川次郎がブータンをナビゲートする。そして初代首相にインタビュー・・・

自分がブータンに興味を持ったのは、ちょうど2年前に「NHKハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅」第3回「幸福の王国をめざして~ブータン」という番組を見てから。(ここ)(番組はこれ
それから1年前に「ブータン 手探り初選挙~前国王主導 民主化完成へ」という新聞記事が載った。(ここ
今回のBS朝日の番組は、自分にとって“その後のブータン”の姿を伝えてくれる。取材は2008年6月7日~18日だ。この番組を見て「ヘエー」と感じたことを、番組の進みに合わせてナレータ・字幕を元にメモしてみた。

・ブータンへの旅行は、現地旅行会社とルート・ホテル・ガイド・車などを予め決める。現地での調整は全てガイドが行う。
・2008年3月に初の国民議会選挙が行われ、1世紀近く続いた王室統治が終りを告げ、民主化がスタート。
・しかし道路の信号機が1台も無い首都はティンプーだけ。
・ホテルはアマンリゾートが近代的なアマンコラを建設中も含めて6箇所建設。
・ブータン料理は辛いのが普通。トウガラシはスパイスではなく野菜の扱い。
・宗教上ブータン人は殺生を許されていないので、釣りや網を使った漁をしないのでインドから輸入している干し魚は高価な食材。
・ブータンの学校は英語が必須科目であり、小学校の授業も国語とブータン史を除けば授業は英語で行われる。だからブータンの若者は英語が実に堪能。コーヒーショップで隣の席で話していた若者たちも、ブータン語ではなくて英語で話している。何故かと聞くと「その方が楽だから」と答える。彼らは西洋の便利さを知った上で、それでもブータンが一番と言う。今やブータンは遅れているのではなく、あえて遅らせているのだ。
・ガイドの奔走で、2008年3月に選出された君主制民主主義国家初代首相のジグメ・ティンレイ首相に会うことが出来た。
・そのガイドも言う。「ブータンが自ら課した鎖国状態から解き放たれたのは1960年のこと。非常に短い期間で多くが変わった。電力も無く、靴も履かず道路も無かった。それが今やジェット機を保有し、人々はニューヨークに飛ぶ。しかしブータンの王は聡明でこう言う。「ブータンは近代化しなければならない。しかし西洋化してはいけない」と。そして王は東洋の精神・目で物事を見て言う。西洋の科学や技術を使うことは受け入れなければいけない。そして自然を尊重し、人を尊重しなければいけない。そして人生のすべてはお金ではない、と。そして、我々は豊かにならなければならないが金持ちになってはいけない。金持ちと豊かさは違う。西洋の国々は金持ちかもしれないが必ずしも豊かではない、と。

そして日本のテレビとして初めてのジグメ・ティンレイ首相へのインタビュー。
「首相選任、おめでとうございます」
「ありがとうございます。まだ始まったばかりですからね。新しい政府を始めるというのは、簡単なことではありません。政府が新しいということだけではなく、このシステム自体がまったく新しいものです。私たちが制定したのは、民主的に選出された政府です。ならうべき先例がありませんから、想像力豊かに挑戦することが多くあります。新たな道を一から作っているわけですから、大変なことです。私も分刻みで働いています。」
「国民総幸福量について、ブータンの人たちはどのような形で幸福を追求しているのでしょう?」
「まず、GNH国民総幸福という理念が世界中で注目され、人気を博しているのは、新しいミレニアムを迎えた今、人々が気づいたからだと思います。私たちが特にこの50~60年で成し遂げた科学的、経済的、物質的、技術的な発展が、結局より良い社会を築き上げることが、できなかったということに気付いたのです。そのような発展は、人が幸せになる、真の幸福を得られる、そんな状態を作り上げることができませんでした。世界中の人々は、これまでの発展が物質主義すぎたと気づいたのだと思います。発展の過程で、人間の精神というものは軽視されてきました。だからこそ人々はすDNHに人間の発展の新たな規範は、パラダイムを見出だしているのだと思います。人間の真の発展のためには、身体的な成長が必要だという信念に基づいた考えです。身体のニーズに応え、精神を発展させ、そして心の欲求にも応えるのです。私たちの国民総幸福という理念は、国民一人一人に、物質的および精神的な成長のバランスを取るよう努力することを求めています。このことに関して第4代国王は、すべての国民が幸せを追求できる国づくりをするのは、国家の、政府の義務であると考えておられました。・・・」

そしてインタビューが終わるや、走って議事堂の中に戻って行った。
首相は、非常に忙しい中で時間を割いてくれて、日本人にメッセージをくれたのかも知れない。しかし、リーダーの大切さ、ブータンという不和雷同しない国作りに感銘。

・ポジブカの谷。電気が来ていない。それは電線が、ここに冬に渡ってくるオグロヅルの邪魔になるのではないか、という話になり、ポジブカの民は電気のある生活よりも鶴のいる生活のほうを選んだという。
・寄った民家は質素な生活。実はアマンコラの建つ土地の持ち主で、大金を手にしたはずだが生活は何も変わらない。つまりここで暮らす人にとって、お金は意味が無いのだ。
・ブータンにはお墓が無い。荼毘にふされた骨まで灰にし川に流される。輪廻転生が当たり前のブータンでは、生まれ変わるのだから、先祖の霊や死者の霊を祭ることはしない。死への恐怖の薄さは、生への執着の薄さと比例する。
・パロの村に、日本人西岡京治氏(1933~1992)を称えるチョルテンと呼ばれる仏塔があった。西岡氏はブータンに1964年から1992年まで住んで日本式農業をブータンに根付かせた。彼はブータンの人々に「何かをやらせよう」としたのではなく、やり方を見せた。野菜の植え方を見せた。だからこの地の人々は彼を尊敬している。
・自給自足の生活、篤い信仰心、物欲とは無縁であるからこその自由。ブータンの人々は皆自分が幸せだと言っていた。自分より他人の幸せを願うブータン人。それを実感したのは4人のガイドからだった。

“競争に疲れた”世界中の人々の目が、今、ブータンに向かっているという。しかしブータンは遠い。先日カミさんの知人がブータンに行ったというが、(日本からの入国ルートである)バンコクから5時間近くかかったという。
だから、実際に行く事は難しくても、これらの番組から「豊かさとは?」「真の幸福とは?」を考えるきっかけだけでも貰おうか・・・

(関連記事)
「ブータン」前国王の素晴らしい姿勢
NHK「五木寛之 21世紀・仏教への旅」ブータンの幸福観

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2009年1月10日 (土)

日本の観光地満足度 ベスト10

当サイトの恒例“ベスト10シリーズ”のうち、今日は日本の観光地満足度ベスト10だ。
今日の日経夕刊に「観光地の満足度 沖縄の離島 上位3位に」という記事が載っていた。曰く・・・

「訪ねた人の満足度が高い観光地の上位三位は沖縄の西表島、竹富島、石垣島――。日経リサーチが実施した「地域ブランド戦略調査」で、こんな結果が出た。亜熱帯の自然が体験できる西表島は満足度が100%。沖縄勢では宮古島も六位に入った。沖縄の離島は旅先として人気が高いが、実際に行った人も豊かな自然環境などその魅力に満足しているようだ。
都道府県別の満足度でも沖縄(94.5%)が北海道(93.6%)や京都(84.8%)を抑えトップ。観光立県としてリピーター客増大を目指す沖縄県は「もてなし」の重視を政策に掲げている。
調査はインターネットを使って全国の約2万3千人を対象に昨年秋に実施。全国の観光地や自治体のうち、20人以上が訪問したことがあると回答した地域について、「満足」と答えた人の割合を満足度として集計した。」(2009/1/10「日経」夕刊p1より)

<観光地の満足度 ベスト10>
①西表島(沖縄県) 100.0%
②竹富島(沖縄県) 96,6%
③石垣島(沖縄県) 94.0%
④立山(富山県)  93.7%
⑤北アルプス(富山・長野・岐阜県)93.4%
⑥宮古島(沖縄県 )92.8%
⑦五箇山(富山県) 91.6%
⑧上高地(長野県) 91.5%
⑧尾瀬(福島・群馬・新潟県)91.5%
⑩知床(北海道)  90.8%
(日経リサーチ調べ~2008年秋)

そういえば、昨年の夏に山口の友人が、娘さんが沖縄の航空会社のスチュワーデスをしているとかで“沖縄にの島に行った”とメールをくれたっけ・・、と探してみたら、あった。曰く・・
「・・・今回は那覇の他に、石垣島、竹富島、西表島の島々も巡り、南国の海のエメラルド色の美しさ、食べ物のおいしさに感激。・・・
石垣島の新鮮なマグロは安く、大トロもしっかり味わいました。また、高かったけれども、石垣牛は最高でしたよ。・・・」(
写真はその友人からの暑中見舞いの一部)

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そうか、その島か・・・と思っても、場所がピンと来ない。それで地図(&地球儀)を調べてしまった。何と、沖縄の遥か彼方にあった(失礼)。鹿児島から沖縄までの2倍ほども遠い。もう、台湾の直ぐ隣・・・。
しかし、宮古島・石垣島・西表島は見つかったが、竹富島が見つからない。Netでヒントを得て探してみると・・・、あった! 西表島と石垣島の間にある小さな島(失礼!)。
そういえば「ちゅらさん」も沖縄のどこかの島だった・・・、と探してみると、「小浜島」だという。あった! その竹富島の隣、西表島との間にあった!
それで大体イメージが湧いた。そういえば“ちゅらさん”が可愛くて、普段は全く見ない朝ドラを見てしまったっけ。それは2001年のことだという。でもその時の風景は目に焼きついているので、大体分かる。
“エメラルド色の海”と聞いて緯度を調べるとこれらの島は北緯24°、ハワイは・・と調べてみると北緯19°位。つまり殆ど同じだ。

実は、自分は“エメラルド色の海”の大ファン。初めてハワイに行った時、ワイキキビーチの海の色に息を飲んだ。「ハワイなんて・・」と馬鹿にして行ったのだが、「ウーン。この海の色を一目見ただけで、ハワイに来た甲斐があった・・・」とカミさんに唸りながらつぶやいたもの・・。ハワイはそれからのファンで、我が家の“海外旅行の〆はハワイ”と今から決まっている。
つまり、日本にもそれに匹敵する観光地があるということか・・・
何だか急に行ってみたくなったな・・・。(←これ、実にミーハーの自分らしい!)
国内旅行は高いのが残念だが、そのうち必ず行くぞ!と誓った今日の記事ではあった。

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2009年1月 9日 (金)

中村元の「観音経」(13/13)

この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連Image01281 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第13回目である。

<こころをよむ/仏典「観音経」~その13CDはこれ

みょうおんかんぜ-おん ぼんのんかいちょうおん しょうひ-せけんのん ぜ-こ-しゅ-じょうねん
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
ねんねんもっしょうぎ- かんぜ-おんじょうしょう お-く-のうし-やく  のうい-さ-え-こ-
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙

ぐ-いっさいく-どく  じ-げんじ-しゅ-じょう ふくじゅ-かいむ-りょう ぜ-こ-おうちょうらい
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼

に-じ-   じ-じ-ぼ-さつ  そくじゅうざ-き- ぜんびゃくぶつごん せ-そん にゃくう-しゅ-じょう
爾時 持地菩薩 即従座起 前白佛言 世尊 若有衆生

もんぜ-かんぜ-おんぼ-さっぽん じ-ざいし-ごう  ふ-もんじ-げん  じんづうりきしゃ-
聞是観世音菩薩品 自在之業 普門示現 神通力者

とうち-ぜ-にん く-どくふ-しょう ぶっせつぜ-ふ-もんぼんじ-しゅうじゅう はちまんし-せんしゅうじょう
当知是人 功徳不少 佛説是普門品時衆中 八萬四千衆生
かいほつむとうどう  あのくたら-さんみゃくさんぼだいしん -
皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心

妙(たえ)なる音・世を観ずる音 梵の音・海潮の音
彼の世間に勝れたる音あり この故に須(すべ)からく常に念ずべし。
念念に疑を生ずること勿れ 観世音の浄聖(きよきひじり)は
苦悩(くるしみなやみ)と死厄(しのわざわい)とにおいて 能く為に依怙(たより)と作(な)らん。
一切の功徳を具して 慈眼を以って衆生を視(みそなわ)す
福の聚(あつま)れる海は無量なり この故に応に頂礼(ちょうらい)すべし』と。
その時、待地(じじ)菩薩は、即ち座より起(た)ちて、前(すす)みて仏に白(もう)して言わく「世尊よ、若に衆生の、この観世音菩薩品(ほん)の自在の業(ごう)たる譜門示現(ふもんじげん)の神通力を聞く者あらば、当に知るべし、この人の功徳は少なからざることを」と。
仏、この譜門品を説きたもう時、衆生の八万四千の衆生は、皆無等等(むとうどう)の阿耨多羅(あのくたら)三藐(みゃく)三菩提の心を発(おこ)せり。

「観音さまは、妙音などのすばらしい音声の持ち主であられます。このことをゆめゆめ疑わないようにしなさい。苦しみや悩み、死と煩(わずら)い、このようなものがわれわれ人間にはたえまないけれども、観世音というこの浄き聖は、そのような苦しみのなかにあって人々のよき頼りとなってくれるであろう。」
観音さまを心から信じてゆめゆめ疑ってはいけない、という。

「観世音菩薩は、ありとあらゆる功徳を具えておられ、優しい慈愛に満ちたまなざしで、生きとし生けるものを深く見守っています。その無限の慈愛によって、わたしたち人間をあふれるような慈愛で包んでいます。観世音菩薩は、無量の福のあつまった海のようなおかたです。それゆえ、わたしたちは観世音菩薩を心から拝むことにしましょう。」

「そのあとで、持地菩薩がすばやく自ら座っていた座から立ち上がって、仏の前に進み出て「世尊よ、私は深い感銘を受けました。もしも人々のうちで、「法華経」の観世音菩薩についてこの章すなわち<観世音菩薩の神変(じんぺん)による奇跡を内容とする、あらゆる方向に顔を向けていているもの(普門)と名づける章>が説かれるのを聞くものがあるならば、その者が得るところの功徳ははかりしれないものとなるであろう」といいました。」
持地菩薩は別名「地蔵菩薩」といい、お釈迦さまが亡くなってから弥勒菩薩が成仏するまで現れて人々を救う菩薩。

「仏が「観世音菩薩普門品」の教えを説かれた時に、いっしょにいた八万四千という多くの人々はすべて比類のない無上のさとりへの心をおこしました。」
 ~(阿部慈園著、中村元監修「あなただけの観音経」(これ)より)

何とか最後まで辿り着いた。でも観音経は般若心経に比べると、よっぽど具体的で分かり易い。それはただひとつ、観音さまへの礼拝を勧めているだけからか・・・。

お経の世界は、(亡くなった親父が良く言っていた)ヘソが曲がって付いている自分が、不思議と素直になれる世界である。
先日、昼休みに良く散歩する高野山東京別院の観音さまの前を歩いていたら「何をグズグズしているのだ。早く最後まで行け」と叱られたような気がした。つまり、この記事は自分の勉強そのものなのである。それが遅々として進んでいなかった・・・・。
でも今回、「書く」ことを通して少しは観音さまの世界に近付けたような気がしたが、どうだろう・・・。(何かあったらタスケテね!観音さま・・・) 合掌。

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2009年1月 8日 (木)

ロタウィルス闘病記

正月早々汚い話だが、やっと病名が分かった。今自分が罹っているのは「ロタウィルス下痢症」だった。(と言っても自分で勝手に判断しているに過ぎないが・・・)

正月3日、普通に朝食を食べた後、昼になっても腹が張って食欲なし。それに吐き気。本当に吐けるのかと思ってトイレに行ったら本当に吐いた。酒の飲み過ぎや食中毒で吐いたことはあるが、それ以外はない。いつもと違う・・・。とにかく絶食だ、と水分のみ補給。ほどなく下痢。便意はそれほど強くないのであわててトイレに駆け込むほどではない。結局、夜寝るまで、水を飲むと、20~30分ほどで水のまま出てしまう状態。それほど苦しくないが水様便。
最後の休日の4日は、明日から会社なので少し食べないと・・と、夕食にはご飯一杯は食べた。しかし消化悪し。自分の下痢止めの特効薬である「ワカマツA錠」も全く効かない。これはおかしい・・・(出社恐怖症かな???)夜になって軟便になったが、今度は何と色が白っぽい。
5日出社。何とか普通に・・・。便も黄色っぽく一安心。でも7日、やはり便が白っぽい。
Netでみると「白い便」は「A型急性肝炎、B型急性肝炎、胆石症、胆管がん、先天性胆管拡張症、膵がん」「灰色の便だと肝臓やすい臓に異常がある可能性があります」・・・と恐ろしい事が書いてある。
決して全身状態は重篤ではないと思っているが・・・

そして今朝(8日)、駅のトイレに行ったら、やはり便が白っぽい。やはり胆汁の病気か?と思いつつ、前にNetでみた恐ろしい病名を思い出し、会社の隣のビルの内科医院に行ってみるかと・・・。
同僚は、「9時に開院しているし空いているので行ってみたら?」と気楽に言う。仕事そっちのけで「白い便」についてNetで見ていたら、あった。自分の病状にピッタリのが・・・。
その名は「ロタウィルス下痢症」(ここ)。~病名が分かるとこんなにも安心できるのか・・
1)突然の嘔吐で発症します。2~10数回嘔吐し、同時か少し後から下痢が始まります。
2)ロタウィルスによる経口感染。唾液や便などの排泄物から口に入り、1~3日の潜伏期間をへて下痢が始まります。
3)水のような多量の下痢便が特徴で、便の色も白っぽくなることから、白色便性下痢とも言われます。激しい嘔吐を伴うこともあるため嘔吐下痢症、小児仮性コレラ、白痢などとも呼ばれています。
4)ウィルスが原因なので、特効薬はありません。 合併症がなければ、普通嘔吐は1~2日で、下痢は1週間くらいでおさまり、だんだん黄色くなって治ります。

しかしNetはスゴイ。白色便について、こんな原理も書いてある。(ここ
「・ロタウイルス胃腸炎では、白色便になることが多い(血中・尿中のビリルビンが病初期に上昇する)。
・ロタウイルス胃腸炎で、白色便が出現する機序として、ロタウイルスが胆道系に感染して、炎症が引き起こされ、胆汁の排泄が低下する(胆道閉鎖が起こる)ことが示唆されている。」

カミさんは暴飲暴食とばかり言っていたが、これは立派な病気じゃないか・・・

他の同僚が「子供の学校で集団発生したことがあったが、それは給食係の子供が、牛乳瓶のフタを開けて、ビンの口を付ける上の所を持って皆に配っていたため、そこから感染したらしい」ナンテいう話をする。
その話を聞いた別の同僚が、わざわざマスクをして席に話に来る。「風邪?」と聞くと「いや**さんからロタウィルスがうつらないように・・・」「テメー・・・」

しかしNetを良く見ると、こんな怖い事も書いてある。(ここ
<感染経路 >
・患者の便1g中には10~100億個ものウイルスが排出されます。ロタウイルスは感染力が非常に強く、10個以下のウイルスで感染が起こります。このため、患者の便中のウイルスがなんらかの形でほかの人の口に入って感染します。
・ウイルスは環境中でも安定なので、汚染された水や食物を介して、あるいは汚染された物の表面(ドアノブ、手すり等)を触った手などから口に入り感染します。

しばらくしてフト思った。「発症して1週間はウィルスを撒き散らしているという自分は、皆のお邪魔虫・・・」。仕事よりも人にうつさない事が最重要では?
例え、うつった大人は発症しなくても、家に帰って子供が発症する場合だってあるし・・・

人にうつす可能性があるのはトイレか・・。自分がトイレに行かなければ良いのだ。でも我慢できなくなった時は・・・?6Fは女子が居ないので、いつも電気が消えている6Fの女子トイレに行くか?いや、もし誰かに目撃されたら、なんて言い訳する??
Netで見る限り、出社を控えるのがエチケットのようだが・・・
(この記事は、お分かりのように“自分用の備忘録”~スミマセン)

良く考えると「今年の風邪はお腹に来て、上げて下げて大変だった」なんていう話もよく聞くが、これってウィルス性の腸炎であって、インフルエンザや風邪ではないのかも知れないな・・・。
しかし今回は、殆ど子供しか発症しないロタウイルスに、(正月休みで)睡眠時間たっぷりだった自分が何故発症する? “還暦を過ぎて、子供に帰ったので・・・”と考えると納得できるが、では何故自分だけ?と考えると、何とも哲学的に奥が深いテーマだ。

どこで移ったかって? 疑いはあっても確実な証拠があるワケでは無いので、それは書かない。とにかく早く治ってくれ~!(今夜の食事は殆ど普通に戻ったが、もう一歩!)

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2009年1月 7日 (水)

NHK特集「大黄河」の再放送が始まった

昨日(2009/1/6)から、NHK BS2の「蔵出し劇場」で、「大黄河」の再放送が始まった(ここ
NHK特集「大黄河」は、「シルクロード」に続く日中共同取材のドキュメンタリーで、1986年4月から翌年3月まで10回シリーズで放送されたもの。(詳細はここ

久しぶりに見た「大黄河」。昔のオリジナルの放送は、もちろんVHSテープには録ってある。しかし取り出して見たことは無い。まあ、いつものパターンだ。緒形拳のナレータ、宗次郎のオカリナのテーマ・・・。
23年も前の番組となると、断片的にしか覚えていない。しかしテーマソングだけはCDを買い集めた事もあり馴染みだ。

第1集「遥かなる河源に立つ」を改めて見たが、当時の中国は実にのどか・・・。まあ取材地が中国の辺境の地ということもあるが、少数民族の厳しい高地での生活は慎ましい。
これら遊牧民の生活は、改革開放の影響も受けずに意外と今も変わっていないのかも知れない。

この「大黄河」は、「シルクロード」に次いで自分には印象深い。何故だろう?と考えてみると、やはり音楽だ。「シルクロード」の喜多郎にはかなわないが、この番組で知った宗次郎も、何枚かCDを買った。オカリナという楽器も、これで知った。しかし構造的にも何と素朴で優しい音色だろう・・・。逆に、構造が単純なだけに、作曲も演奏も難しいのだろう。

先日、ウワサのオカリナを、初めて目にして触ってみたが、やはり何とも難しい楽器だ。音は出るものの、曲にならない。オカリナにバカにされてしまった。これは、もう少し本気になってやらなければ音楽にならない。“サンデー毎日”になってから本気になってやってみようか・・。
ところで、“オカリナ”とはイタリア語で「ガチョウの子」という意味だそうだ。宗次郎はこの単純な楽器で、実に優しい音楽を作り出す・・・。

ともあれ、NHKが昔の名番組を再放送してくれるのはありがたい。毎週(火)の夜、というのも見ていてテンポがよい。そういえば「海のシルクロード」というのもあったっけ。これも引き続き再放送を期待することにしようか・・・。もちろん今回は全てDVDに落としておこう。
・ ・・という訳で、宗次郎の「大黄河」のテーマを聞いてみよう。

<NHK特集「大黄河」のテーマ~宗次郎>

(関連記事)

NHK特集「シルクロード-2」がアンコール放送される

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2009年1月 6日 (火)

「宇宙短歌」と「スターウォーズ」のテーマ

NHKラジオ深夜便「こころの時代」で“宇宙は子どもたちのもの 財団法人日本宇宙フォーラム 参与 寺門邦次”を聞いた。(2009/1/1~2放送) 元旦にふさわしい宇宙の話・・・
その話の中で、向井千秋さんと行ったイベントの話をしていた。一つは手話による話し掛け。そしてもうひとつが短歌。
090106mukaiwaka_3 これは1998年10月29日~- 11月7日の、スペースシャトル・ディスカバリー号での向井千秋さん2度目の宇宙飛行で、飛行中に向井さんが「宙がえり 何度もできる 無重力」という短歌の上の句を詠み、これに続く下の句を募集した。すると全国から14万通を超える応募があり、大変な苦労をして選んだという。
選ばれた幾つかを紹介していた。(ここ

< 一般の部 >内閣総理大臣賞・向井千秋賞
  宙がえり何度もできる無重力 湯船でくるり我が子の宇宙
     坂本一郎(68) 東京都国分寺市

< 小中学生の部 >内閣総理大臣賞・向井千秋賞
  宙がえり何度もできる無重力 水のまりつきできたらいいな
     丹野真奈美(小4) 長野県大町市

そして寺門さんが、感動で嗚咽しながら紹介していたのがこの歌。
< 一般の部 >宇宙開発事業団理事長賞
  宙がえり何度もできる無重力 乗せてあげたい寝たきりの父
     清水綾子(51) 東京都板橋区

「この方と電話で話した事があるが、お父さんが嬉しくてベッドの上で泣いていたという。私もそういう環境になったら・・・。娘が父を想う心。非常に印象に残った歌」。直ぐその後、お父さんは亡くなったとか・・・

その他、悲しいが今でも通用する(?)のが・・・
「宙がえり何度もできる無重力 ボクもリストラ 今無重力」

これらは、もう10年も前の話だが、こんな話題は知らなかった・・・。しかし、宇宙と聞くと、何かワクワクする・・・・。

まあそんな訳で、宇宙にちなんだ音楽を探してみた。こんなのは如何?ズービン・メータ指揮 ロサンジェルス・フィルの素晴らしいデッカ録音である。

<映画「スターウォーズ」のテーマ~ジョン・ウィリアムズ作曲>
~ メータ:ロス・フィル

次も有名な曲だ。映画のオリジナルではないが、この映画で使用されたので有名になった曲。最初の部分が、オルガンの超低音だけなので、再生装置が悪いと「曲が始まらない・・」と勘違いする。

<映画「2001年宇宙の旅」テーマ>
 リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」冒頭
~ メータ:ロス・フィル

今日の新聞にも、2011年から国際宇宙ステーションに長期宇宙滞在が決定した古川聡宇宙飛行士が記者会見を開いたという記事があった。

“宇宙で金を遣う位なら、難民を救え”という議論もあるが、まあ正月ぐらい、夢を見よう・・・。

(関連記事)
「宇宙飛行士の亭主」~向井万起男氏の話

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2009年1月 5日 (月)

増上寺境内に「熊野神社」があった

今日は仕事始め。世の中がいつもの通りに動き出した。
会社では、毎年恒例で芝大神宮(港区大門)に安全祈願に行く。この神社は一条天皇の御世(寛弘2年=1005年)の創建だそうで、既に1000年を越えた由緒ある神社だそうだ。今日は仕事始めとあって、たくさんの会社がベルトコンベアー式に、次々にお払いを受ける。15分おきに10社位をひとまとめに・・・。
やっと順番が着て中に入る。音楽が始まる。その笛の音(笙(しょう)・篳篥(ひちりき))の大きいこと。神主さんの祝詞の声がかき消されるくらい。雅楽楽器であるこれらの楽器は、リード楽器であることを改めて知った。横笛のような構造だと、あまり大きな音が出ないが、リード楽器だと音が大きい。

帰りに、直ぐ近くの増上寺に寄った。さすがに正月も5日ともなると、閑散・・・。大殿の阿弥陀様に“御挨拶”をして、帰ろうと思ったらテンポの良い読経の声・・・。隣の安国殿からだ。行って見ると、何と般若心経を太鼓と一緒に唱和している。自分も一緒に唱えてしまった。そしてそれが終ると、会社の名前が唱えられる。まあ神社も寺も同じ・・・。
フト思った。浄土系の宗派は、般若心経は唱えないのでは?? 調べたら、それは自分の勘違いで、般若心経を唱えないのは、浄土真宗と日蓮宗・法華宗だけで、浄土宗は唱えるようだ。
ぶらぶら境内を歩いて行くと、片隅に神社。何と「熊野神社」と書いてある。寺に神社??
手水舎(手洗所)には、堂々と熊野の象徴である3本足の「八咫烏(やたがらす)」までもある。これにはビックリ・・。

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Netで調べてみると、増上寺のHPにこうあった。
「元和十年(一六二四)、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東Zoujyoujikumano4_2 北の鬼門に勧請したもの。『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称がありますが、当山では「ユヤ」権現として親しまれています。」
何のことは無い。自分の常識が非常識だっただけ・・・。
正式には「熊野三所大権現宮(ゆやさんしょだいごんげんぐう)」というのだそうだ。
「熊野」さんを「ゆや」と読む事も知らなかった・・・・。能に「熊野」という曲があり、それを「ゆや」と読むそうだ。

事務所が引っ越す前に、昼休みに良く行った芝増上寺。同じ境内でも、今まで気が付かなかった色々なものがある。
今年は、分かりきったものでも、少しじっくりと観てみる事にしようか。そこには今までの上辺だけでは分からなかった別の魅力があるかも・・・

●メモ:カウント~27万

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2009年1月 4日 (日)

「余命1年にいくら払う?」

今朝の朝日新聞のトップは「米の社会保障、民間任せに限界」だった。日本と違って、民間保険任せの米医療保険の実態が書いてあった。

「・・・・「治療費が払えないなら、ご親族が家を売る必要があるかもしれませんね」。ニューヨーク州に住むクレア・トーマスさん(28)は病院の職員からこう言われ、ショックを受けた。白血病と診断され、骨髄移植を受けて9ヶ月近く入院した。入院・治療費は合計で100万ドル(約9000万円)近いというが、夫の保険からどの程度払われるかは、まだわからない。患者の自己負担を一定額以下に抑える仕組みがある日本の健康保険と違い、米国の民間保険は、カバーの範囲にも限りがあるからだ。・・・」(2009/1/4朝日新聞P2)

命に値段は無い。しかしこれは前からよく言われている米国の医療制度の話だが、こんな話を聞くと、命に値段が付いて回るような気がしてならない。

タイミング良く、今朝の日経に「余命1年にいくら払う?」というコラムがあった。曰く・・

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「あなたの余命はあと1年です。ただし**円払えば健康な状態でもう1年だけ生存することができます」――。仮に医師からそう告げられたら「1年延長」にいくらまで払うだろうか。市民調査では、「払わない」と回答した人が32.8%で最多だった。「100万円以上500万円未満」が27.2%、「100万円未満」が24.3%で続いた。「1000万円以上」でも払うとしたのは4.1%にとどまった。このうち「1億円以上」払うとの回答は全体の0.1%。
「払わない」とした人の割合は世代間でばらつきがみられた。20代男性。70代以上の男女で40%を超えたのに対し、30代女性、40代女性、60代男女で3割を下回った。「払う」とした人も金額は500万円未満に集中。期限付きの余命延長に大金を積もうという市民の意識はそれほど高くなかった。厚生労働省のある幹部は「日本人は病気にかかった場合、根治したいという願望が強い。健康な状態だとしても1年だけの延長に価値を感じる人は少ないのでは」と話した。」(2009/1/4「日経」P27)

このアンケート記事が、週刊誌でもテレビのバラエティー番組でもなく、あの“マジメ”な日経に載っているのが、何とも可笑しい・・・。しかし結果は意外・・・
「自分だったら・・・」ナンテいうヤボな事は書かない。

東京大空襲の焼夷弾で背中に大やけどを負っても、「子供のために絶対に死ねない」と思った母親は生き延びる。つまり、人それぞれ、何としてもやらなければならない事があれば、どんな手段を使っても(金を積んでも)延命を望むだろう。逆に、特にする事が無ければ、生への執念はそれほど強くないのかも知れない。
こんな記事を読んで、「生きる」という事について考えてしまった。真に「生きる」という事は、何なのか・・・
(昨日、正月の暴飲暴食で(?)体調を崩して、いっとき気弱な“エムズの片割れ”ではある)

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2009年1月 2日 (金)

橋幸夫の「霧氷」

犬を連れて散歩しながら「正月にちなんだ歌は何だろう」とカミさんと話していると・・・、出てこない。出てくるのは「もー幾~くつ寝~る~と~、お正月~・・」だけ。
仕方が無いので、冬にちなんだ歌を探してみた。それで気が付いたのがこの歌。(正月とは全く関係ないが・・・)

橋幸夫の「霧氷」は、昭和41年(1966年)の第8回日本レコード大賞受賞曲である。最近はレコード大賞も権威が無くなってきたが、当時は大変な栄誉であった。改めて聞いてみると、しみじみした“名曲”ではないだろうか。

<橋幸夫の「霧氷」>


「霧氷」
  作詞:宮川哲夫
  作曲:利根一郎

1)霧氷 霧氷
 思い出は かえらない
 遙かな 遙かな
 冬空に 消えた恋
 霧の街角で 告げたさよならが
 僕を 僕を 僕を 泣かす

2)霧氷 霧氷
 なにもかも 夢だった
 今でも 今でも
 愛しては いるけれど
 どこにいるさえ 今は知らぬ人
 僕を 僕を 僕を 泣かす

3)霧氷 霧氷
 美しい 恋だった
 消えない 消えない
 悲しみを 胸にだき
 霧の街角を 一人今日もゆく
 僕を 僕を 僕を 泣かす

090102muhyou この歌を聞くと、決まってある情景を思い出す。昭和41年の冬。当時大学1年生だった。大学の裏の、長屋風の部屋に間借りしており、そこには4人の同級生がいた。洗濯は共同の洗い場。そこでタライで洗濯をしていると、後から洗濯に来た友人が「今年のレコード大賞は“霧氷”だろう」と言う。また「この歌は、歌うのが難しい」とも・・・。
ほどなく発表されたレコード大賞は「霧氷」だった。
たったそれだけの事だが、この歌を聞くと、冷たい水での洗濯、ガランとした四畳半の部屋。まさに18~19歳の“外に飛び出した”ばかりの自分を思い出す。

サラリーマンに成り立ての頃、正月休みに友人と蔵王にスキーに行った。そこには「樹氷」があった。「霧氷」は・・・・?無かった。

Muhyou1 ところで、霧氷と樹氷とは何が違うのかと、広辞苑を開いてみた。広辞苑に曰く・・・
【霧氷】=樹木の表面に水蒸気や過冷却水滴が凍結してできる白色・不透明の氷層。樹氷・樹霜・粗氷などがある。

Jyuhyou  【樹氷】=霧氷の一種。過冷却水滴から成る霧が風に送られて樹枝その他の寒冷な地物に衝突し、そこに凍りついて氷層をなしたもの。気泡を多く含んでいるため白色に見える。

そう言えば、スキーも独身の時に行ったきりで、それ以降は行っていないな・・。何故かって? いつもの理由=才能が無いのさ・・・・
このトシになると、“正月”だからって、何も無い。普段と同じ。でも「普段と同じ」がどれほど有り難い事かが、段段と分かってきた気分がするこの頃ではある。

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2009年1月 1日 (木)

新年好!(=明けましておめでとう)

新年好!(=明けましておめでとうございます)←これ中国語・・・

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上の写真は、当blogの親サイト(?)である、「クラフト☆ギャラリーM's(エムズ) 」(ここ)にアップしたカミさんの作品。
詳細の解説は、兄弟blog(?)の「エムズのひとり言」(ここ)や、「クラフト☆ギャラリーM's(エムズ) 」(ここ)に書いてあるが、対句の意味は「至る所 春の良い景色があり、どこの家にも喜ばしい様子で満ちている」という事らしい。

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この「熊手」は結構凝っていて、「大入り」のお札以外は全て一つひとつ手作り。「家内安全」は分かるが「良・・・」の後は何が書いてあるか・・・?
現在の我が家の“唯一(?)の願い”が書いてあるのであ~る。

ともあれ、2009年は世界的に大変な年になりそうだが、今日の“穏やかな晴天”に少しでも近付く事を願おう。

(付録)正月らしい音楽は?・・こんな曲はいかが?(前に書いた「宮城道雄の生涯」(ここ)から転載)

<宮城道雄自演の「春の海」(vn:ルネ・シュメ-)/「さくら変奏曲」/「水の変態」>>

(関連サイト)

クラフト☆ギャラリー M's(エムズ)
エムズのひとり言

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