中村元の「観音経」(13/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第13回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その13>(CDはこれ)
みょうおんかんぜ-おん ぼんのんかいちょうおん しょうひ-せけんのん ぜ-こ-しゅ-じょうねん
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
ねんねんもっしょうぎ- かんぜ-おんじょうしょう お-く-のうし-やく のうい-さ-え-こ-
念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙
ぐ-いっさいく-どく じ-げんじ-しゅ-じょう ふくじゅ-かいむ-りょう ぜ-こ-おうちょうらい
具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼
に-じ- じ-じ-ぼ-さつ そくじゅうざ-き- ぜんびゃくぶつごん せ-そん にゃくう-しゅ-じょう
爾時 持地菩薩 即従座起 前白佛言 世尊 若有衆生
もんぜ-かんぜ-おんぼ-さっぽん じ-ざいし-ごう ふ-もんじ-げん じんづうりきしゃ-
聞是観世音菩薩品 自在之業 普門示現 神通力者
とうち-ぜ-にん く-どくふ-しょう ぶっせつぜ-ふ-もんぼんじ-しゅうじゅう はちまんし-せんしゅうじょう
当知是人 功徳不少 佛説是普門品時衆中 八萬四千衆生
かいほつむとうどう あのくたら-さんみゃくさんぼだいしん -
皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心
妙(たえ)なる音・世を観ずる音 梵の音・海潮の音
彼の世間に勝れたる音あり この故に須(すべ)からく常に念ずべし。
念念に疑を生ずること勿れ 観世音の浄聖(きよきひじり)は
苦悩(くるしみなやみ)と死厄(しのわざわい)とにおいて 能く為に依怙(たより)と作(な)らん。
一切の功徳を具して 慈眼を以って衆生を視(みそなわ)す
福の聚(あつま)れる海は無量なり この故に応に頂礼(ちょうらい)すべし』と。
その時、待地(じじ)菩薩は、即ち座より起(た)ちて、前(すす)みて仏に白(もう)して言わく「世尊よ、若に衆生の、この観世音菩薩品(ほん)の自在の業(ごう)たる譜門示現(ふもんじげん)の神通力を聞く者あらば、当に知るべし、この人の功徳は少なからざることを」と。
仏、この譜門品を説きたもう時、衆生の八万四千の衆生は、皆無等等(むとうどう)の阿耨多羅(あのくたら)三藐(みゃく)三菩提の心を発(おこ)せり。
「観音さまは、妙音などのすばらしい音声の持ち主であられます。このことをゆめゆめ疑わないようにしなさい。苦しみや悩み、死と煩(わずら)い、このようなものがわれわれ人間にはたえまないけれども、観世音というこの浄き聖は、そのような苦しみのなかにあって人々のよき頼りとなってくれるであろう。」
観音さまを心から信じてゆめゆめ疑ってはいけない、という。
「観世音菩薩は、ありとあらゆる功徳を具えておられ、優しい慈愛に満ちたまなざしで、生きとし生けるものを深く見守っています。その無限の慈愛によって、わたしたち人間をあふれるような慈愛で包んでいます。観世音菩薩は、無量の福のあつまった海のようなおかたです。それゆえ、わたしたちは観世音菩薩を心から拝むことにしましょう。」
「そのあとで、持地菩薩がすばやく自ら座っていた座から立ち上がって、仏の前に進み出て「世尊よ、私は深い感銘を受けました。もしも人々のうちで、「法華経」の観世音菩薩についてこの章すなわち<観世音菩薩の神変(じんぺん)による奇跡を内容とする、あらゆる方向に顔を向けていているもの(普門)と名づける章>が説かれるのを聞くものがあるならば、その者が得るところの功徳ははかりしれないものとなるであろう」といいました。」
持地菩薩は別名「地蔵菩薩」といい、お釈迦さまが亡くなってから弥勒菩薩が成仏するまで現れて人々を救う菩薩。
「仏が「観世音菩薩普門品」の教えを説かれた時に、いっしょにいた八万四千という多くの人々はすべて比類のない無上のさとりへの心をおこしました。」
~(阿部慈園著、中村元監修「あなただけの観音経」(これ)より)
何とか最後まで辿り着いた。でも観音経は般若心経に比べると、よっぽど具体的で分かり易い。それはただひとつ、観音さまへの礼拝を勧めているだけからか・・・。
お経の世界は、(亡くなった親父が良く言っていた)ヘソが曲がって付いている自分が、不思議と素直になれる世界である。
先日、昼休みに良く散歩する高野山東京別院の観音さまの前を歩いていたら「何をグズグズしているのだ。早く最後まで行け」と叱られたような気がした。つまり、この記事は自分の勉強そのものなのである。それが遅々として進んでいなかった・・・・。
でも今回、「書く」ことを通して少しは観音さまの世界に近付けたような気がしたが、どうだろう・・・。(何かあったらタスケテね!観音さま・・・) 合掌。
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コメント
はじめまして。
観音経について調べているうち、こちらのサイトに辿り着きました。
観音経1~13、全て拝読させて頂きました。大変、ありがとうございます。
このお経については、お寺のを含め多くありますが、原文に沿って、ここまで詳細に訳と解釈が書かれたところは、ありません。その意味で、本当に、助かりました。
ありがとうございました(-人-)
投稿: 非神通力者 | 2009年10月 8日 (木) 15:50
非神通力者さん
お経の記事でコメント頂けるとは思ってもいませんでした。何せ自分の勉強の為の記事なので・・・。
当blogの先生は中村元先生なので、青文字部分だけは信用できると思います。
投稿: エムズの片割れ | 2009年10月 8日 (木) 21:49
はじめまして、地蔵菩薩本願経の中村元氏による口語読みがないか探してこちらにまいりました。
この観音経に登場される持地菩薩は、私の感じたところ地蔵菩薩ではなく、持世菩薩(ヴァスンダラー)ではないかと思います。
投稿: 梅ピンク | 2016年6月12日 (日) 11:44