マイケルズの「坊や大きくならないで」
マイケルズの「坊や大きくならないで」を聞くと、いわゆる「ハモる」ということが良く分かる。前に男声合唱のグリークラブについて書いた事があったが(ここ)、そこで男声合唱での“ハモる”事を書いた。
このマイケルズはジャケットでも分かるように、男性3人のグループ。そしてこの歌は、1969年発売のベトナム反戦歌であるという。作曲したトリン・コン・ソン(1939-2001)はベトナムの作曲家で、「Trinh Công Son」と書き、チン・コン・ソン と発音するようだ。前に当blogでも取り上げた「雨に消えたあなた(美しい昔)」(ここ)や「ユエの子守唄」でも有名である。心地よいハーモニーを聞いてみよう。
<マイケルズの「坊や大きくならないで」>1969年2月1日発売
「坊や大きくならないで」
作詞:浅川しげる
作曲:トリン(チン)・コン・ソン
歌 :マイケルズ坊や 静かにおやすみ
私の坊や
来る日も 来る日も
いくさが続く
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさいお前が 大きくなると
いくさに行くの
いつかは きっと
血に染まるだろう
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい青空 とびかう鳥よ
お前は自由
いつかは 坊や
平和が来るわ
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
坊や 大きくならないで
そっと 眠りなさい
眠りなさい 眠りなさい
改めてこの歌詞を読むと、母親の子供に対する深い情愛が歌われており、当時のベトナム戦争の状況を思うと心が痛む。戦争に子供を送り出す母親の気持ちは皆同じだ。
しかし先日のムンバイでのテロや世界各地の内戦も含めて、まだまだ世界には戦争が存在する。
早く、こんな歌の“当事者”が居なくなる世の中にならないものだろうか・・・。
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グリークラブの思い出
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コメント
マイケルズの「坊や大きくならないで」をyou tube で検索したところ見つからず、偶然こちらのサイトを見つけ楽曲を久しぶりに聴くことが出来ました。
マイケルズの一人は私の義兄です。
当時私は高校生でしたが、レコードを持っていません。
とても懐かしく聴かせていただきました。
ジャケットも見れて本当に懐かしかったです。
残念ながら、義兄は16年前に48歳の若さで病死しました。
亡くなるまで音楽を愛し、家族や親族の集まりの席では、よくギターを片手に歌ったり、当時のフォークソング会場さながらに、皆での合唱を楽しくリードしてくれた姿を思い出します。
余談ですが・・・、私も偶然ですが5月21日(土)に夫・長女・次男の四人で「ブラックスワン」をナイトショーで見てきました。
感想を家族で見せていただきました。
私も同じ感想を持ちましたが、言葉に表すのは難しく、拝見させていただいて感心しました。
ありがとう ございました。
【エムズの片割れより】
コメントをありがとうございました。義兄さんは自分と同じような世代のようですね。
まだまだ若かったのに残念でしたね。でもこの歌の中に、永遠に生きています。
投稿: ぶっちゃん | 2011年5月24日 (火) 15:55
還暦が過去のものとなったおじさんです。
「坊や大きくならないで」は、私が会社に入ったころ発売され、好きな曲でした。 その後、「マイケルズで歌ってました」という方が少し後に偶然に同じ会社に入ってこられました。どなたかかコメントされていましたがこの方は病死されました。 私は今二胡という楽器に凝っていまして、この曲は二胡にぴったりだなと思って今回採譜させていただきました。
何とかレパートリーの一つにしようと老体に鞭打って練習している今日この頃です。 彼も喜ぶんではないだろうかと思いながら。
【エムズの片割れより】
そうですか・・・。縁とは不思議なもので・・・・。
それに採譜とは大変な・・・。
ぜひ演奏されて、ご冥福を祈ってあげてください。
投稿: ロートル | 2011年9月 3日 (土) 16:43
数字譜ですが。よろしいでしょうか?
よろしければ少し時間を・・・。 少しは見やすくします。
投稿: ロートル | 2011年9月 5日 (月) 00:19
Uチューブが削除され、ここにたどり着きました。
最高のハーモニー哀愁・・・最高です。
投稿: 高橋 | 2016年9月25日 (日) 22:18
2021/4/29 NHK FMを聴いていたところ、「坊や大きくならないで」が流れてきました。
懐かしくて、検索したところ、このサイトに会いました。
さらに、2011に投稿している方が、マイケルズのメンバーだったH君の義妹の方、もう一人はH君と私が相模原で勤務していた3Mに勤めていた方ということでビックリしました。どなたでしょうかね。
H君は私とは別部門でしたがアパートが斜め向かいで、良く行ったり来たりしていました。そこで、ゴールデンディスクが飾ってありました。もう、50年前のことです。
その後、3Mを辞め、故郷の企業に入り、米国勤務を経て、田園都市線の街で暮らし始めたころ、3Mの友人からH君が亡くなっていたと聞きました。
投稿: Kazararai | 2021年4月29日 (木) 15:45
上溝のアパートに遊びに行った時に
ギター弾きながら聴かせてくれた
パフ、プロは違うなって思いました
飲み会で歌った、黒の舟唄も良かったな、思いでですが?
亡くなったのは56才だと思いますが?
投稿: 上溝で聞いたパフ | 2024年9月 3日 (火) 20:31