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2008年12月 8日 (月)

伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」

今日は12月8日。67年前の昭和16年(1941年)のこの日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった。一説によると、この真珠湾攻撃が成功したのは、ハワイ・オアフ島の山の上にいた米軍監視哨が、飛行機の大編隊が頭上を通過するのを見ても「本土からやってきた編隊だろう」と思って見逃したことが奇襲成功の一因とか・・・。

こんな歌を思い出した。伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」という歌。若い頃、(歌詞とは関係なく)この歌の威勢の良い旋律を良く聞いたものだ。

<伊藤久男の「熱砂の誓い(建設の歌)」>


「熱砂の誓い(建設の歌)」(昭和15年10月)
  作詩:西条八十
  作曲:古賀政男
  歌 :伊藤久男

1)よろこびあふれる 歌声に
 輝け荒野の 黄金雲(こがねぐも)
 夜明けだサ夜明けだ 大陸に
 わき立つわれらの 建設の歌

2)あの山この谷 勇ましく
 血潮流した 兄弟(はらから)よ
 今こそサ微笑め 聞いてくれ
 われらの勝ち鬨 建設の歌

3)日本男児と 生まれたら
 この肉この骨 大陸へ
 埋めよとサ言われた 亡き母の
 瞳が輝く 暁の星

4)砂漠の野菊の 朝露に
 燦(きら)めき拓(ひら)ける 愛の路
 光はサ昇るよ 東から
 世界に轟け 建設の歌

ついでにステレオ再録盤も聞いてみよう。その音の違いは時代の違い・・。(さすがに3番は歌われていない) 

<伊藤久男の「熱砂の誓い」>~ステレオ盤

Netでみると、この歌は昭和15年(1940年)公開の東宝の国策映画「熱砂の誓ひ」の主題歌だという。太平洋戦争の始まる前年の歌だ。

一方、Wikipediaに「1940年(昭和15年)、日劇のアトラクションに出演し、伊藤が歌う「熱砂の誓い」を客席で見た岡本敦郎は、その歌声に感動し、歌手になる決意をしたと述懐している。」との記載があった。
かの岡本敦郎が生まれたのもこの歌のせい・・・と考えると、少しは気持ちが明るくなるかな??

明治維新以降の、日清・日露から中国侵略・太平洋戦争までの日本軍国主義・・。「日本史」大嫌い人間の自分だが、これらの事実をキチンと理解することは、日本人としての「宿題」かも知れない。自分も死ぬまでには、何とかそれらの「宿題」を終えようとは思うが・・・。
ついでに、戦後、仏教界も戦争に協力したとして懺悔しているが、この辺りの事情もそのうち勉強してみようか・・・。

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コメント

先日、男装の麗人と謳われた川島芳子さんのドラマを見ました。主人公の女優さんがとても魅力的だったので飽きずに最後まで見ました。この曲が昭和15年とあったので、同じ頃だったのだな~と思いながら聴きました。この曲は耳にしたこと無かったです。軍歌は歌詞を度外視すればメロディー、リズム共に日本人の心にすんなり入ってきたな~と思います。自分の音楽の原点はビートルズだとばかり思っていましたが、ひょっとしてその前にあったのは軍歌?いやいやそこまでは行ってない、やはり唱歌です。「われはうみのこしらなみの~」・・・ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

投稿: 乙丸朝子 | 2008年12月 9日 (火) 11:24

はじめまして、これからも宜しく
懐かしい歌を有難うございました。
S3年の私は最近の歌より、戦前戦後の歌が好きですが、なかなか聴く機会がありません。
12月8日は忘れることのできない日ですね。若い頃だったので気が逸っていましたけれど、結局は国民が苦労の道を歩み始めとなったことを忘れてはなりませんね。
ポチリと一票入れておきました。

投稿: 千里+楽園たより | 2008年12月 9日 (火) 20:24

乙丸さん

ハハハ・・・
軍歌という事は無いでしょう・・・
しかし自分はこの歌の作曲は古関裕而だと思っていたら、古賀政男とはビックリ。

=========
千里+楽園たより さん

昭和3年とは大先輩ですね。なんと80歳!
それでblogをされているとは、恐れ入りました・・
これを機に当blogにも、たまに寄って下さい。

投稿: エムズの片割れ | 2008年12月 9日 (火) 22:51

1929年生まれ。この歌、非常に懐かしい
たぶん皇紀2600年祝賀、翌年には、真珠湾攻撃になるとき、国民が一人残らず興奮していたな、俺は、小学6年だった。お菓子屋などは、砂糖、小麦統制で週に何回か開店であまいものが、食べたかった。石鹸,衣料など、買い占め禁示、あとで衣料キップになる

でも、不思議な事には、夕がたになると、近所の人々が、三々五々集まって、紅潮した顔で、大東亜建設で、日本が指導者になるんだと嬉しそうだった。今のホクセンの、様子を視聴していると、よく似ている。そっくりだよ。

学校では、一つ下の5年の担任の先生が、この歌を、音楽室で合唱させていたのをおぼえている。さすが、歌謡曲を生徒に教えるのはどうかといった先生がいたが、いい歌だと胸を張って、いた。

投稿: きさらぎ | 2009年6月15日 (月) 16:52

きさらぎ さん

ええっ?1939年生まれとすると80歳??スゴイですね・・。80歳でパソコンとは・・(失礼!)
貴重なお話をありがとうございます。

投稿: エムズの片割れ | 2009年6月16日 (火) 21:18

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