中村元の「観音経」(11/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第11回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その11>(CDはこれ)
わくしゅ-きんか-さ- しゅそくび-ちゅ-がい ねんぴ-かんのんりき しゃくねんとくげ-だつ
或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼観音力 釈然得解脱
しゅうそ-しょ-どくやく しょ-よくがいしんじゃ- ねんぴ-かんのんりき げんじゃくお-ほんにん
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
わくぐ-あくら-せつ どくりゅうしょ-き-とう ねんぴ-かんのんりき じ-しつぷ-かんがい
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
にゃくあくじゅ-い-にょ- り-げ-そうか-ふ ねんぴ-かんのんりき しつそうむ-へんぼう
若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
がんじゃ-ぎゅうふっかつ け-どくえんか-ねん ねんび-かんのんりき じんしょうじ-え-こ
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去
うんらいく-せいでん ごうばくじゅ-だいう- ねんぴ-かんのんりき おうじ-とくしょうさん
雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 応時得消散
或いは枷鎖(くびかせくさり)に囚(とら)え禁(とど)められ 手足に柱械(てかせあしかせ)を被(こう)むらんに
彼の観音の力を念ぜば 釈然(とけさり)て解脱(まぬか)るるを得ん。
呪組(のろい)と諸の毒薬に 身を害(そこな)われんと欲(せ)られん者は
彼の観音の力を念ぜば 還(かえ)って本の人に著(つ)きなん。
或いは悪しき羅刹(らせつ) 毒竜(どくりゅう)・諸の鬼等に遇わんに
彼の観音の力を念ぜば 時に悉く敢えて害(そこなわ)ざらん。
若し悪獣に囲繞(いにょう)せられて 利(と)き牙爪の怖るべきあらんに
彼の観音の力を念ぜば 疾(ふ)く辺(はてし)無き方に走らん。
蜥(とかげ)・蛇及び蝮(まむし)・蠍(さそり)の 気毒(けどく)の煙火(えんか)の燃ゆるごとくならんに
彼の観音の力を念ぜば 声に尋いで自ら廻(かえ)り去らん。
曇りて雷(いかずち)鼓(な)り掣(いなずま)電(ひらめ)き 雹(あられ)を降らし、大雨を濡(そそ)がんに
彼の観音の力を念ぜば 応時(ただちに)消散することを得ん。
引き続き、観音さまを念じた時の御利益を述べている。
⑦「枷鎖難(かさなん)」=捕らえられて首かせ・手かせ・足かせ・鎖をつけられる難
手かせ・足かせ・・・・。特にサラリーマンは、目には見えない手かせ足かせがあるのは仕方が無いか・・・
⑧「毒薬難(どくやくなん)」=のろいをかけられまた毒殺されようとする難
自分に返る・・・。道元禅師は「大凡(おおよそ)因果の道理歴然(どうりれきねん)として私なし」(およそ因果の道理というのもは、明々白々としたもので、われわれの私見をはさむ余地はまったくない)と言われたとか・・・
⑨「羅刹難(らせつなん)」=羅刹・毒殺・悪鬼に遭遇する難
黒澤明の「羅生門」。羅刹が生じる門なので、悪鬼が出没する門・・・?
⑩「悪獣圍繞難(あくじゅういにょうなん)」=鋭い牙や爪をもった猛獣に囲まれる難
猛獣よりも人間のほうがよっぽど恐ろしい・・・・?
⑪「玩蛇蝮蠍難(がんじゃぶっかつなん)」=とかげ・へび・まむし・さそりにであう難
とかげ・へび・まむし・・にも観音さまの慈悲の心は及ぶ・・・。虫も人間も平等。
⑫「雲雷雹雨(うんらいばくいなん)」=黒雲・かみなり・ひょう・大雨にあう難
(中村元監修「あなただけの観音経」より)
今日のニュースで、特に自動車産業を筆頭に、派遣社員の大量契約打ち切りが進んでいる、と報道されていた。だから、今なら「不況になっても、観音さまを念じれば、派遣社員もクビを切られない・・・」ナンテいう例えになったかも・・・
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