小説「氷点」が出来るまで~三浦光世氏の話
今夜は、世界中が米大統領選挙でのオバマ氏当選の話題一色である。しかし当blogはそんな事とは関係なく・・・・
TVに続いてラジオで、小説「氷点」等の三浦文学を支えた夫君 三浦光世氏の話を聞いた。そして正に三浦文学は“おしどり夫婦”の努力の結晶だった事を改めて知った。
番組のひとつはNHK教育「こころの時代~宗教・人生「祈り 苦難をともに40年」(2008年10月26日AM5:00)、二つ目は同じく11月1日のNHKラジオ深夜便〔こころの時代〕「三浦綾子と歩んだ40年」三浦綾子記念文学館館(ここ)長 三浦光世(深川市のつどいで収録)である。両方とも、話されている内容はダブルが、TVの方は対談、ラジオの方は講演であった。素人の(失礼)三浦氏は、対談の方はアナウンサーが話を引っ張ってくれるので話し易いが、講演の方は自分で進めるため、大分苦労されていた。しかし、どちらの話も三浦文学の生みの過程を話されていて面白かった。
二人の出会いのきっかけは、結核療養所の交友誌「いちじく」の札幌の主催者が、「旭川には、(旧姓)堀田綾子と三浦光世がいるので、“女性通し”励まし合ったら良い」と手紙をくれたこと。それは、主催者が「光世」という名前から女性と勘違いされたもの。仕方なく、1955年6月18日、三浦さんは堀田さんの家に行くが、綾子さんの母親が、男性が訪ねてきたというので追い返せばそれで終わったが、どうぞどうぞと、家の奥の病室に案内してくれた。そのとき、綾子さんは33歳、(24歳で結核を発病し)脊椎カリエス等で7年間寝返りが打てない状況だった。病床の綾子さんから、聖書の一番好きなところを読んでくれと頼まれ、ヨハネによる福音書14章を読んでやった。そこには「天国に行っても、そこには住む所が沢山あるので心配することが無い」と書いてあった。これは、いつ治るか分からない病人相手にふさわしい内容ではなかった。しかし、綾子さんは怒りもしなかった。その後、「祈ってくれ」と言われて「神様、堀田綾子さんをお癒し下さい。もし私の命が必要であればどうぞ取り上げて下さい」と余計なことを言ってしまった。そしたら綾子さんはビックリしていた。
1959年元旦、綾子さんがが「来年もこうして来てくださるんでしょうか?」と聞くので、「来年は、あなたと二人で、お父さんとお母さんに元旦の挨拶に参りましょう」。これがプロポーズの言葉だったとか・・・
1959年5月24日結婚式。時に綾子さん37歳、光世さん35歳。綾子さんは病気で、結婚できると思っていなかったので、非常に喜んでくれたとか。そして9畳一間で、新婚生活が始まった。数ヵ月後、営林署の出張のついでに行った層雲峡の保養所が新婚旅行だった。それでも綾子さんは非常に喜んでくれたという。
1963年元旦、堀田さん宅に元旦の挨拶に行った際、朝日新聞の懸賞募集の記事を綾子さんの弟に見せられた。それから1年掛けて小説を執筆。題の「氷点」は光世さんが思い付き、締め切りギリギリの12月31日の消印を郵便局で押して貰って、原稿は放たれて行った。そして731作品の中から「氷点」が当選した。でも、貰った1000万円の懸賞金のうち、450万円が税金で持って行かれた。・・・などなど、なかなか面白く話されていた。
講演は、そこまでの話だが、TVでの対談の番組は、二人の口述筆記の様子も映していた。光世さんは、初めて口述筆記をしたとき、「ものすごく楽なのでこれからそうしてほしい」と頼まれ、それから口述筆記を始めたとか・・。光世さんは、綾子さんの「流れ」を乱さないために、なるべく早く書くようにし、そして決して否定的な反応はしなかったとか・・・。
そして1966年に営林所を辞めて、綾子さんの執筆の手伝いをしたが、合計で世に出した本が90冊以上。その一冊一冊に、綾子さんの光世さんへの謝辞が書かれている。
小説「氷点」は、自分にとってTVドラマが思い出深い。両親役の芦田伸介、新珠三千代、そして、陽子役に内藤洋子。これが放送されたのが1966年1月という。映画も同じ年・・・。
自分が大学に入った年だ。自分はこの「氷点」をきっかけに、その後「塩狩峠」など、何冊か三浦文学を読んだ。
そして自分も若かったので、「陽子」には何か惹かれた・・・。
その後、初めて子供が出来たとき、「女の子だったら陽子と付けようか?」と言って、何故かしらカミさんに反対されたっけ・・・。(もしかしたら“語源”が「氷点」だったことがバレていた?? まあ男だったので、何事も無かったが・・・・)
でも、この三浦光世氏の話は、三浦夫妻のお互いの「尊敬の念」が強く感じられ、そして、この真に思いやり合う夫婦の姿に、三浦文学が、光世さんの存在があったからこそ生まれた文学であることを知った。なかなか我々凡人には真似が出来ない事である・・・
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コメント
♪妻のごとく想ふと吾を抱きくれし君よ君よ還り来よ天の国より 綾子
こんなに慕っていた恋人を失って独りベットに生きる綾子さんの心情を思い、
自分が綾子さんの恋人(前川さん)の身代わりになろうと決心された光世さん。
光世さんは、前川さんの写真をいつも胸のポケットにしのばせておられたようですね。
24年前に読んだ本ですが、今は綾子さんとお2人の写真でしょうか?
♪吾影と妻の影長く重なりて暑き夕べの道をふたり行く 光世
テレビの「氷点」は母が観ていたので、
横から難しいドラマだなーと思って観ていました。
「氷点」柏木由起子・マヒナスターズ
「冬の雲」でアドレスを入れてるサイトで聴けます。
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-1373.html
投稿: なち | 2008年11月 8日 (土) 12:59
なち さん
前川さんの事は書きませんでしたが、光世さんはすごい人ですよね。キリスト教が全ての支えになっているらしいですが、凡人には、なかなか分かりません・・・。
でも結婚が決まってから、綾子さんは見る見る病気から回復したというので、精神力は大きいと思いました。
投稿: エムズの片割れ | 2008年11月 8日 (土) 20:54