中村元の「観音経」(10/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』を元に味わっていくもので、今日はその第10回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その10>(CDはこれ)
わくひょうる-ご-かい りゅうご-しょ-き-なん ねんぴ-かんのんりき は-ろうふ-のうもつ
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
わくざいしゅ-み-ぶ- い-にんしょ-すいだ- ねんぴ-かんのんりき にょ-にちこ-くうじゅう
或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
わくび-あくにんちく だ-らくこんごうせん ねんぴ-かんのんりき ふ-のうそんいちもう
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
わくち-おんぞくにょう かくしゅ-とうか-がい ねんぴ-かんのんりき げんそくき-じ-しん
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
わくそうおうなんく- りんぎょうよくじゅじゅう ねんぴ-かんのんりき とうじんだんだんね
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
或いは巨海(こかい)に漂流(ひょうる)して 竜・魚・諸の鬼の難あらんに
彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わざらん。
或いは須弥(しゅみ)の峯にありて 人のために推し堕(おと)されんに
彼の観音の力を念ぜば 日の如くにして虚空に住(とどま)らん。
或いは悪人に逐(お)われて 金剛山(こんごうせん)より堕落せんに
彼の観音の力を念ぜば 一毛も損すること能わざらん。
或いは怨賊の繞(かこ)みて 各刀(おのおのつるぎ)を執りて害を加うるに値(あ)わんに
彼の観音の力を念ぜば 咸(ことごと)く即に慈(いつくしみ)の心を起さん。
或いは王難の苦(くるしみ)に遭(あ)い 刑(つみ)せらるるに臨みて寿(いのち)終わらんと欲(せ)んに
彼の観音の力を念ぜば 刀(つるぎ)は尋(にわか)に段段に壊(おれ)なん。
引き続いて、観音さまを念じた時の御利益を述べている。(散文部分には七難が述べられていたが、この偈の部分では③④⑧⑩⑪の五難が加えられて「十二難」が述べられる)
②「水難」=大海に漂流して竜魚に襲われようとする難
③「堕須弥山難(だしゅみせんなん)」=須弥山のような大きな山から突き落とされようとする難
④「堕金剛山難(だこんごうせんなん)」=金剛山のような高い山から突き落とされようとする難
⑤「怨賊難(おんぞくなん)」=盗賊に取り囲まれて刀で危害を加えられようとする難
⑥「刀杖難(とうじょうなん)」=王に捕らえられて刑場で首を切られようとする難
(中村元監修「あなただけの観音経」より)
「水難」は、まさに鑑真和上を彷彿とさせる。和上は日本行きの決心から12年目、何と6回目にやっと日本に辿り着いたという。その船内では、「乗っていた人たちはみなはげしく船酔いし、ただただ観音菩薩の名号を称えるばかりであった」(「唐大和上東征伝」)という。
「堕須弥山難」では、虚空にとどまって助かるという。これは当時(西暦紀元前後)は「天動説」であったのでそこから来ているという。
「怨賊難」では、良く言われるように「賊に全てを与えても、命さえ無事なら良い」。観音さまを念じて、賊の慈しみの心から命さえ奪われなければラッキー。特に海外旅行では・・。
「刀杖難」は、相手が「王」である所が面白い。もしかすると、今回の米大統領選でブッシュ政権が否定されたのも、国民がイラク戦争等を「王難苦」と断じたのかも・・・(以下続く)
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