灰田勝彦の「鈴懸の径」
今日は、灰田勝彦の「鈴懸の径」。この歌は古い歌だが、実にモダンな歌だ。
自分がこの歌を知ったのも古い。高校生の頃か?昭和30年代の末・・・
この歌が発売されたのが、昭和17年(1942年)9月というから、まさに戦争の最中。軍歌一色の時代によくもまあこんなモダンな歌が出たものだ。
<灰田勝彦「鈴懸の径」>
「鈴懸の径」
作詞:佐伯孝夫
作曲:灰田晴彦友と語らん
鈴懸の径
通いなれたる
学校の街
やさしの小鈴
葉かげに鳴れば
夢はかえるよ
鈴懸の径
この単純とも言える歌詞。そこには戦争の影は無い。学徒出陣は昭和18年という。その前年に「友と語らん・・・」とは・・・。それさえも難しくなってきた時代を先読みしていたのだろうか? 戦争とこの歌詞に、何か違和感を感じる・・・
ところで、灰田勝彦はハワイ・ホノルル生まれの二世だという。作曲は兄の灰田有紀彦(灰田晴彦)。灰田兄弟はハワイで父親が急逝したあと、帰国。そして2人は立教大学に入ったという。この歌は立教大学の道をモデルに作曲されたそうで、立教大学には歌碑があるという。
そして、鈴懸とはプラタナスの別名だという。まるで鈴のような実?が付くらしい。もちろん知らなかったが・・・。
まあ今の人は歌わないだろうが、こんな歌を聞きながら、若い頃を懐かしむのも良いかもね・・・・(今日はかなりいい加減だな・・・)
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コメント
「鈴懸の径」大好きな曲の一つです。灰田勝彦の歌もですが、鈴木章治とリズムエースの演奏がとりわけ好きでした。最近めったに耳にしなくなりましたが、この曲が戦争の真っ最中に出来たというのは、その頃小学生だった私にもかなり不思議な気がします。
大崎にあった小学校(当時は国民学校でしたが)の近くに鈴懸の木があって、秋になると安宅関の弁慶の胸にかかっているような実がなっていたのも懐かしい思い出です。
投稿: 雪爺 | 2008年10月25日 (土) 22:42
出ました、”鈴懸の道”。
私も雪爺さんと同じくビブラフォーンのイントロで始まり鈴木章治さんの軽快なクラリネットのリズムエースの演奏のほうも好きでした。
投稿: 兼太郎 | 2008年10月26日 (日) 00:07
新緑の頃、「鈴懸」の葉陰に小さなかわいい実がなる頃になると、この歌と自分の大学生の頃を思い出します。
そして何か、心が騒ぎます。
いつも大好きな曲を取り上げて頂いて、ほんと、ありがとうございます!
「苦しき夢」も、聴きたくって仕方がなかった曲なんです。
投稿: 雫 | 2008年10月26日 (日) 07:28
雪爺 さん
そのうち、注意して鈴懸の実を何とか“目撃”してみますね。どうも自分の頭の中で、木・花の名前と実物が一致しないので・・・
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兼太郎 さん
自分もリズムエースの演奏は知っていますが、持ってはいないな・・・
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雫 さん
学生の頃を思い出すと、色々とありましたよね。
しかしその頃の時間の密度の濃さと、大人になってからの時間の密度の薄さとの違いに、自分ながらビックリです。
投稿: エムズの片割れ | 2008年10月26日 (日) 18:15
灰田勝彦の歌った一連の青春の歌は、歌詞もメロディも爽やかで胸に響くものがあります。ちょっと難点を言えば、鼻にかかった声でしょうか。最近、BS日テレの「心の歌」という番組でフォレスタという男性コーラスが歌う「新雪」は本当にすばらしいとおもいました。この2番の歌詞「汚れを知らぬ新雪の 素肌に匂う 朝の陽よ」のところで、私の友人は身が震えたと言いました。
歌い手の声と、メロディと、繊細な神経の通った歌詞がマッチしたのでしょうか。爽やかな歌が皆無になってしまった今の歌謡界に幻滅している私には、彼らが歌うこの歌が宝物のように思われます。
投稿: 白萩 | 2009年6月 9日 (火) 23:34
『鈴かけの道』は倍賞千恵子さんの歌が多分これ以上ない絶品。広島大学工学部にはアカシヤ(ニセアカシアの方)の林があって白い花がホロホロと散った。この歌を聴くとすぐに想い出す。
投稿: yakata1578 | 2011年4月 5日 (火) 21:40
お久しぶりです。立秋もすぎ、鈴懸の実が昔見た夢のように掛かっているように見えてきます。
いつまでも若かった灰田勝彦のように、若く生きるために、自分も昔の甘い思い出を忘れないようにしたいと思います。
「時計台の鐘」について感想を書こうと思っていて、こちらの感想を書いてしまいました。
ちなみに、「時計台の鐘」の歌は妻が歌ってくれて知りました。
【エムズの片割れより】
どちらの歌も、遠い青春・・・。自分も、色々と昔を懐かしむトシになりました。
投稿: ラファエロ | 2011年8月 9日 (火) 00:53
本当にいい歌ですね!
以上の方以外にダーク・ダックス、バッキー&アロハハワイアンズ、ザ・ピーナッツetc.
そして私がJazz大フアンになったきっかけの今聴いても最高に痺れる演奏は、1957年にピーナッツ・ハッコー来日時に収録した
『鈴木章治&リズム・エース+P.ハッコー』
の名演奏で、日本の歌をJazzにアレンジしてジャパニーズ・ジャズ(J.J)を確立した「鈴懸の径:Platanasu Road」でした。
洒落たイントロ(エンディングも)とセカンド・リフ、そしてハッコーと鈴木との2クラリネットの掛け合い、ギター永田曉雄、ヴィブラホン松崎龍生、ピアノ鈴木敏夫、ベース吉場常雄、ドラムス原田勇が各々沈着冷静にしかし秘めた情熱をぶつけ合いエネルギッシュでテーマのメロディを超越したアド・リブのフレーズにただただ感動・・・。
今72歳で6年前から3年間サックス(SsaxとT.sax)のレッスンに通い、4グループに所属し年12~3回地域のコンサート(ボランテァ)で楽しんでおり、P.ハッコーのアド・リブを最近やっと写譜しソプラノ・サックスで練習中です。
もし<日本Jazzの殿堂>があるならば、このメンバーのレコード(17.4cm:33回転)と写真を最中央に展示すべきであると思います。
加えて、佐伯孝夫・灰田有紀彦(晴彦)・灰田勝彦氏他に心から・・・
ありがとう!
【エムズの片割れより】
いやはや音楽の世界は広いですね。ジャズのファンとか・・・。羨ましいです。自分には、ジャズが分かりません。自分にもジャズの世界が分かれば、どんなにか音楽の世界が広がるかと思っています。たぶん自分のDNAにジャズに反応する因子が無いのでしょう。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年9月23日 (日) 16:58