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2008年10月 3日 (金)

子が親を語る・・・2つの例

この所、子から親を見た色々な記事・番組を見聞きすることがあり、色々と感じた。今日はそれらを紹介する。

1)「父を語る先輩」
先日(08/10/1)の日経朝刊(p44)の「交遊抄」というコラムに「父を語る先輩~日本製粉社長 青崎 済」という記事があった。読んでいて、父親との関係について何か甘酸っぱかった。曰く・・・

「『社長になったんだってな。一度飲もうよ』。突然、そんな電話がかかってきたのは2年ほど前。電話の主は・・・・・高校の1年先輩。もっとも高校時代に直接交流があったわけではない。父が同校の教員で、教え子として我が家を訪ねてくれていたのだ。
戦後、中国から郷里に戻り教員となった父は常に怖い存在で、あまり会話も交わさなかった。学生時代、一度議論をふっかけたこともあったが「お前はまだ青い」とあっさりいなされた。以来、就職や結婚も決めてから報告する程度だった。
就職先も私の父に相談して決めた福重さんは様々な話を知っていた。・・・・そこには私の知らない父の姿があり、福重さんは父の人生観を伝えてくれるありがたい先輩だ。・・・」

この話は、(全くといって良いほど、まともに話をするチャンスが無かった)自分と親父との関係に似ている。しかし、自分の場合は「私の知らない父の姿」は誰も教えてくれず、そのままだ。

2)Netで亡父を語る・・・
話は変わるが、こんなサイトを見つけた。 「五味比左志~合唱とともに~」(ここというサイト。2003年に61歳で亡くなった父親の三回忌を機に、息子さんが父親の音楽の遺産を整理してHPにアップしているもの。その精緻さ・努力に感心した。読むと、親子の関係は必ずしも良好では無かったようだが、父親の死後、息子はその父を良くも悪くも“仰いで”いる。息子にとって父親の存在が如何に大きいか・・・・(このサイトは引用禁止であり、許可を得ようとメールを送ったが、アドレスエラーのために内容を引用できない・・)
父親が逝った後の家族・親子の関係について、何か考えてしまった記事であり、サイトであった。

前に、長崎の原爆で子供を失って精神を病み、人間が変わってしまった後藤みな子さんの母親の話を書いたが(ここ)、家族の問題は大きい。解決策が無いので・・・・。

しかし我が家でも、「その時」「その場」に遭遇した時、どれだけ対処できるか、まったく自信は無い。“その時”に、それぞれの「家族」の真価が問われるのだろう。

(関係記事)
家庭での障害者の率~障害者自立支援法を考える(1)
長崎原爆での家族崩壊~作家 後藤みな子氏の話

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コメント

紹介してくださってありがとうございます。
HPおよびメールは放っておかれ、遺品の片付けは滞っております。
控えめに公開していたのですが、気に留めてくださった方がちらほらいらっしゃるようで、うれしいです。

【エムズの片割れより】
ご本人からのコメントを頂き光栄です。
しかし実に羨ましい。息子が自分の人生を振り返ってくれる・・。これほどの供養は無いのでは?
ありがとうございました。

投稿: 五味の息子 | 2011年6月 4日 (土) 08:52

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