「野口雨情」と「青い眼の人形」
先日(08/9/24)「野口雨情記念館」に行った。今日は、野口雨情についてである・・・
「野口雨情記念館」は北茨城市にある(ここ)。行ったとき、ロビーにチラシがあり、11月に「青い目の人形」展が開催される、とあった。そうか、この歌も野口雨情なのだ・・。
そのチラシに、こうある。
「1924年(大正13年)アメリカで排日移民法が成立、日米関係が悪化して行くのを憂いた親日家のギューリック博士が以前から親交のあった実業家渋沢栄一氏に呼びかけ12,739体の「青い目の人形」を日本の子どもたちに送り、日米の相互理解を通して両国の平和と友情が育っていくことを願いました。
1927年(昭和2年)、「青い目の人形」は全国の小学校や幼稚園に送られ歓迎を受けました。
日本からも返礼として、58体の「市松人形」を贈りました。」
もちろんこの歌は知っていたが、その背景に、このような話があったとは知らなかった・・・。
ところで、恥ずかしながら「市松人形」って何だ?・・・と調べたら、こんな人形らしい・・。なるほど、これなら日本らしくてアメリカでも喜ばれるだろうと思った。
前にも書いたが、帰りに寄った常磐道中郷SAにあった、歌碑の写真を幾つか・・
というわけで、今日は、童謡の「青い眼の人形」である。
この曲は、5種持っていたが、聞き比べると井上裕子とコロムビアゆりかご会の歌が、一番素直で良かった。
<井上裕子の「青い眼の人形」>
「青い眼の人形」
作詞:野口雨情
作曲:本居長世青い眼をした お人形は
アメリカ生まれの セルロイド日本の港へ ついたとき
一杯涙を 浮かべてた
「私は言葉が わからない
迷ひ子になつたら なんとせう」優しい日本の 嬢ちやんよ
仲よく遊んで 遣つとくれ
「野口雨情記念館」で貰った冊子にはこんな記述もある。
「この曲は、本居長世と三人の娘たちによって全国に広がり、大正12年のアメリカでの演奏旅行でも歌われました。発表時には「青い目の人形」でしたが、童謡集収録の際「目」が「眼」に変更されました。・・・・・・」
なるほど・・・、上の古い写真で「本居みどり」とあるのは、本居長世の娘で、この歌を歌った人らしい。
ひょんな事で立ち寄った素朴な「野口雨情記念館」・・・。別段どうって事無い話だが、こんな事を機に、昔の偉人を知るのも、また良いのではないか?
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コメント
昨夜のソプラノ・リサイタルは、アンコール曲が「七つの子」「ゆりかご」でした。
本格的なソプラノで聞く「七つの子」は初めてでしたが分からない原語で聞くオペラより親しみが持てましたァ~♪
投稿: 花舞 | 2008年9月26日 (金) 22:56
こんばんは、お久しぶりです。
いつも、多種多彩な範囲でのご意見の発信、なるほどと頷きながら読ませていただいております。有難うございます。
今日もまた、鳥肌がたつほどの感覚で、「青い眼の人形」を読ませていただきました。以前の、阿寒湖、鎌倉とは別の意味でのニアミスでしょうか。
「青い目の人形」の後日談があるのです。
海を渡った58体の「市松人形」の現在の状況(もちろん70有余年もたつのですから、きちんと保存展示されているものはなかった??のは、当然かもしれないですね。戦争もありましたし。)を目の当たりにして驚き、今後の日米間の親善にも是非必要との観点から東奔西走され、何体かの市松人形をアメリカで探しだし、日本への里帰りを実現させ修復し、日米各地で「青い目の人形」「市松人形」の合同展示会を実現された方がおられるのです。現在はM女子大の教授で、実は小生の中2の担任のT先生(旧姓M先生)なのです。
あまりに私的なことなのではばかられますが、非の打ち所のないすばらしい先生でした。
先生との再会も、姫路でひらかれた合同展示会のテレビ放映がきっかけでした。チャンネルを適当に回していて、偶然、ある方の後姿がうつり何気なく引き込まれ見ていると市松人形の修復展示のことであり、日米の歴史が語られ、T先生T先生と呼ばれている方が、そうやM先生のことや、と気づくのにほんの瞬間で、うれしいやら会いたいやらで大変だったことを覚えています。
ほぼ10年くらい前のことだったでしょうか。そのときの感激がよみがえってきたのでした。あの時、我々を教えてくださった先生。なりたてのきれいな先生。この先生はこどもながら、何かをされる先生と思わせる特別なものをもっておられたのですね。今もがんばっておられるご様子です。
感激、感激です。有難うございました。
このところ、塞ぎこみがちな日々でしたが、
この感激で前にふみだせそうです。
http://www.mukogawa-u.ac.jp/mfwi/ningyou.htm
http://www.general-museum.fks.ed.jp/teima_tenji/2007/rekibi_2007_08.html
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年9月28日 (日) 23:34
能勢の赤ひげ さん
いやはや、童謡一曲の裏には(現在にも続く)壮大なドラマがあるのですね。ビックリしました。
自分もこれを機に、もう少し詳しく研究?してみます。
いままでは何となく聞いていた「青い眼の人形」という歌が、まるで生き物のように見えます。
投稿: エムズの片割れ | 2008年9月29日 (月) 22:54
私もにっぽんのうた 世界の歌とラジオ深夜便 日本の歌 心の歌を約1年程ほぼ毎日FMタイマー録音機能付ICレコーダー(三洋製)で録音しています。マイクロSDで録音して整理はしていません。これをどう整理するのか決めてはいません。
今夜はこのすばらしいブログで楽しませて戴きました。
私は先生とは2年下の昭和24年生まれです。
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
FM放送をノイズ無しに受信するのは結構大変です。ウチはマルチパス歪みに手を焼いています。NHK FMが民放の中波やFMと同じくネットで配信されると良いのですが・・・
投稿: 寺島 幸一 | 2010年5月30日 (日) 23:09
「青い目の人形」の返礼の人形は2000年ごろ里帰りし、「薩摩昭子(ミス鹿児島)」が鹿児島にも2002年12月に来ました。私もデパートに見に行きました。割と大きな、そう、実物大の大きさの可愛い人形でした。
青い目の人形-Wikipediaに詳しく出ていますが、セルロイドの人形ではなかったそうですね。
【エムズの片割れより】
事実に基づいた歌は、永遠の命を持っているのかも・・・
歌の“その後”。なかなか興味深いですね。
投稿: 河南 勝 | 2017年10月22日 (日) 23:13