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2008年9月 6日 (土)

「目的の明示こそ行動力の源」~硫黄島の栗林中将

今日のニュースで、またまた「現場が独断でやった」と責任を部下に押し付けていた社長が「自分が指示したことに間違いありません」と謝罪記者会見をしていた。(「事故米」を食用に転用した三笠フーズの冬木社長) この事件の発覚も、農水省の「食品表示110番」への通報だったという。
繰り返されるトップの違法指示。それに従わざるを得ない従業員の姿・・・。ふと、組織を動かずトップの有り方・人格について考えてしまった。

この話とは内容が少し違うが、トップが組織を動かすことについて、先日の日経(08/8/25)の「リーガル映画館」(P25)というコラムに、「硫黄島からの手紙~目的の明示こそ行動力の源」という記事が載っていた。これは戦場での話だが、ビジネス世界でも全く同じ事が言える。曰く・・・

硫黄島からの手紙~目的の明示こそ行動力の源
ビジネスの現場では胃が押しつぶされるような思いで必死の努力をしなければならない時がある。そのとき最も大切なことは「何のための努力なのか」が明確であることだ。人は努力の意味を理解した時、初めて力を発揮できるからだ。
映画「硫黄島からの手紙」。渡部謙が扮する硫黄島守備隊司令官、栗林忠道中将は、米軍との激戦を前に将兵に振り絞るような声で訓示する。「もし硫黄島が敵の手に落ちれば、この地から本土への攻撃が始まる。最後の一兵になろうともこの島で敵を食い止める」と。中将は「子供たちが日本で一日でも安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には意味がある」と考えていた。
戦う意味を明らかにしたからこそ、これに続く中将の「敵兵十名を倒すまで死ぬることは禁ずる!」という言葉が実践的な「行動基準」の意味を持ってくる。中将はほかにも、「一発必中の射撃」「爆弾による敵戦車粉砕などの具体的な戦い方を掲げ、これらを「敢闘の誓い六カ条」として兵士に持たせたという。その結果、硫黄島の戦いでは米軍の死傷者が日本軍の死傷者数を上回った。・・・」

人生を振り返ってみて、「尊敬できる人」が何人いただろう・・。逆に、上司に「尊敬できる人」が居た人は、非常にラッキーな人ではないか? それほど少ないのが現状だろう。
部下の能力を最大限引き出してくれる上司は、部下に「働き(戦い)甲斐」を与え、「達成感」を与えてくれる。
もちろん、違法行為を先導する社長たちと栗林中将とを比べるつもりなど毛頭ないが、トップの資質に頼らざるを得ないのが組織員・・・。
しかし今は上記の事件のように、国や会社の「内部通報制度」などによって、トップが糾弾される仕組みが出来つつあることは幸いだ。
せめて「自分が組織を預かったら、こうする」という夢を持ちながら、(人を動かす)力(=人格)を蓄えたいもの。(まあ還暦の自分にはもう機会が無いけど・・・。たぶん)

追)前に書いた(ここ)「ただ餓死で死んでいったニューギニア」と、この「硫黄島の戦い」の違いを考えてしまった。もう少し勉強することにしよう。

(関連記事)
太平洋戦争を考える(7)~ニューギニア帰還兵 川村正風氏の話

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コメント

伊藤久男の「暁に祈る」の歌は栗林中将の監修で出来たそうです。
曲はすぐOKでも歌詞がなかなかOKでない。
野村俊夫も苦心の挙句「あ~あ」とため息が出たところで歌詞の頭が出来たんだ。
と伊藤久男がラジオで笑いながら言っていました。

投稿: たーちゃん | 2008年9月11日 (木) 15:20

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