「原爆詩集」を読んで
先日、ラジオで詩の話を聞いたが(ここ)、本屋に行ったら「原爆詩集 八月」(これ)という本があり、つい買ってしまった。そこには、前に吉永小百合さんが「原爆詩の朗読会」で紹介していた詩がいくつも載っていた。
NHK TVで「吉永小百合 言葉で平和を紡ぎたい -思いを受け継ぐ子どもたちへ-」という番組を見たのは昨年の夏だった(ここ)。吉永小百合さんが、21年に亘って続けているという原爆詩の朗読会。詩集を買っても、そこで聞いた詩につい目が行く。先日のラジオで、横浜YMCA山根誠之氏が紹介された詩(ここ)以外の詩を、「原爆詩集 八月」から紹介してみる。
圧巻はこれ・・・
「げんしばくだん」
坂本はつみ(広島市比冶山小3年)
げんしばくだんがおちると
ひるがよるになって
人はおばけになる
「やけあとで」
水川スミエ((広島市比冶山小6年)
目の見えなくなった母親が
死んでいる子供をだいて
見えない目に
一ぱい涙をためて泣いていた
おさないころ
母に手をひかれてみたこの光景が
あの時のおそろしさとともに
頭からはなれない
「生ましめん哉(かな)」
栗原貞子
こわれたビルディングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
くらいローソク一本ない地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりの中でどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
と云ったのは、さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめん哉(かな)
生ましめん哉
己(おの)が命捨てつとも
(この詩は架空の物語ではない。栗原貞子は広島市千田町の郵便局地下壕で実際に起こった出来事に脚色を加え、「生ましめん哉」を創作した。現実の産婆は生存し、子どもと再会したと伝えられる。・・・)(P74)
話は変わるが、自分が知らなかった逸話がこの本に載っていた。
「原爆詩集 8月」(P53)から
「8月1日、テニアン島――
トルーマン大統領による人類史上初の原爆投下命令は、日本の降伏を促す「ポツダム宣言」発表の1日前、7月25日に行われていた。その命令は、極秘裏にテニアン島のポール・ウォーフィールド・ティベッツ大佐に伝えられた。
8月1日、ティベッツ大佐は朝食のあと、米軍第509航空部隊司令部の自室に引っ込み、手早く書き物を始めた。彼が搭乗員を指名するための極秘命令書を起草するのには、数分あれば十分だった。・・・・
前日8月5日、テニアン島北飛行場――
午後3時過ぎ、一人のペンキ工がB29の機首にはしごをかけ、ペンキの缶とブラシを持って、ふくれっ面でのぼっていった。彼はソフトボールに興じている最中に、機長のティベッツから命令を受け、引っぱり出されたのだ。
ティベッツはペンキ工に一枚の紙を渡し、「これをあの機に大きくきれいに書け」と言った・
その紙には「ENOLA GAY(エノラ・ゲイ)」と書いてあった。ティベッツの母親の名だ。機体に書かれた「ENOLA GAY」は、彼の母親に対する尊愛のしるしであったが、また彼自身にとって、この攻撃任務が決して安全なものではないと思っていたことの表れでもあった。・・・」
日本人なら誰もが知っている広島に原爆を落とした飛行機の名前の「ENOLA GAY(エノラ・ゲイ)」。それが機長ティベッツ大佐が、直前に自分の母親の名前から命名して機体に書かせたものだったとは、自分は知らなかった・・・・
この母親は、自分の名が永遠に残ったことを、どう捉えたのだろう? 自分の息子の、命令完遂に対する誇りだろうか? それとも・・・・・
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