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2008年9月 7日 (日)

伊藤久男の「夕月の歌」

もう9月。そろそろ秋だな・・・。涼しくなった夕方、犬を連れて散歩・・。そしたら月が・・。“夕月”かな?(←・・ナンテこれウソ。またまた外は雷だ。今年はおかしい。台風が来ない代わりに雷雨が多い・・)
まあ言い訳はさて置き、また懐かしのメロディーである。
自分が伊藤久男の「夕月の歌」を知ったのも古い。高校時代だったか・・? もう40年も前・・・。この歌は昭和27年10月発売というから56年も前だ。てっきりNHKラジオ歌謡だと思っていたら、そうではないらしい。日本ラジオ歌謡研究会のHP(ここ)にも載っていない。なお、この歌は再録音されていない。

<伊藤久男「夕月の歌」>~昭和27年10月発売


「夕月の歌」
  作詞:寺尾智沙
  作曲:田村しげる

1)ふるさとの 丘に来て
 ひそかにも 君想う
 夕月の
 ほのかにかかる あの梢
 あああの梢

2)さよならと 頬よせる
 白樺の 白い木肌
 夕月の
 やつれた影に 湧く涙
 ああ湧く涙

3)思い出は はるかなる
 浮き雲の なお彼方
 夕月の
 うるんでいつか 消えてゆく
 ああ・・・

この歌の、作詞 寺尾智沙、作曲 田村しげるというコンビは、前に当blogで取り上げた「さざん花の歌」(ここ)や、岡本敦郎が歌った「白い花の咲く頃」「リラの花咲く頃」(そのうち取り上げる)と同じ夫婦コンビだ。
しかし、夫婦で作詞作曲というのも素晴らしい。このコンビはたくさんの叙情歌を残している。Netで調べて見ると(ここから引用)経歴は以下のようだ。

寺尾 智沙(本名寺尾富子:大正6年3月6日~昭和42年11月14日)広島県出身。
日本画家の父・寺尾通夫の娘として生まれ、幼くして上京。故郷を持たずに育つが、郷里を愛する田村しげるの影響で"ふるさと"を主題にした「白い花の咲く頃」がラジオ歌謡として大ヒット。コロムビアの専属作詩家として迎えられる。優しく温かい詩の多くは夫の田村の手により曲が付けられた。「白い花の咲く頃」は現在も日本人の心のふるさととして歌い継がれる。

田村 しげる(明治41年12月20日~昭和55年10月14日)京都府出身。
武蔵野音大卒業。昭和6年ビクターから「酔って笑って」を吹込み作曲家デビュー。翌年キングの専属となり、東海林太郎などに曲を提供。昭和24年に作曲した「白い花の咲く頃」がラジオ歌謡として大ヒット。作詩を担当した寺尾智沙とともにコロムビアの専属となる。郷里を深く愛し郷土に関する歌を多く残した。その叙情的な美しいメロディーは今も多くの人々に愛唱されている。

ウチも何かの才能があったら、夫婦で何かを残しただろうが、結局「ドラ息子」位しか残せなかった・・・。でもまあ「日本人の標準」なので許して頂こうか・・・

(関連記事)
NHKラジオ歌謡「さざん花の歌」

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コメント

「夕月の歌」ラジオ歌謡のようですよ。
ラジオが岡本敦郎さんで、レコードが伊東久男さんのようです。
研究会の表は所有している音源と楽譜だけの表です。
「未収集の曲の音源を求めています。」と書いてありますよ。

夫婦で作詞・作曲は、神津善行・中村メイコ
「夾竹桃の咲く頃」「髪」「新妻に捧げる歌」「ママ横を向いてて」・・

投稿: なち | 2008年9月 7日 (日) 19:47

なち さん

そうですか。するとラジオ歌謡は岡本敦郎が歌って、伊藤久男はレコードを出しただけなのでしょうかね?岡本敦郎のこの歌を聞いてみたいものです。(本文訂正します。ありがとうございました)

投稿: エムスの片割れ | 2008年9月 7日 (日) 20:13

楽しみに拝見してますが、いつも高尚な記事にコメント記入、躊躇してしまいます・・・
でも、所々、ウィットに富んだ所がホッ!として良いんですよねェ~♪

作詞作曲の変わりに、御夫婦で夫唱婦随のブログ発行ステキですねェ~!
ところで‘ドラ息子’さんなんて御謙遜を~!素晴らしい御子息達ですよォ~♪

投稿: 花舞 | 2008年9月 8日 (月) 12:46

歌の大好きな私ですが、この歌は全く知りませんでした。

最近、ヒョンなきっかけで本間千代子さんの「夕月の歌」をNETで聴き、綺麗な歌だなぁ!、とすっかり気に入っていたところです。

幼さの残る彼女の声で聴くと、ふるさとの丘に佇んでいるのはてっきり女性だ、と思っていたのですが、伊藤久男さんの声からは、少し不器用な男性も想像されて、楽しませて頂きました。

この時代の歌は、美しいメロディー・ラインがきちんとあって、良いですねぇ。

投稿: 雫 | 2008年9月 8日 (月) 19:42

花舞 さん

大きな声では言えませんが、昔、何かで子供の頭をポカッとたたいた事があります。(今は身長が10~15センチも違うので、そんな恐ろしいことは出来ませんが)
その時、確かに「ジャーン」と音がしたのです。だからやはり“ドラ”息子だと思うのです。(←これ語源として本当にあるようです。ホント・・・⇒放蕩息子が遊郭でお金を使い果たすとドラ(銅鑼)を鳴らす・・)

投稿: エムスの片割れ | 2008年9月 8日 (月) 21:09

雫 さん

Netで聞けるというので、自分も本間千代子の「夕月の歌」を聞いてみました。伊藤久男の歌以外では初めて聞きました。いやいや世の中広い・・・

投稿: エムスの片割れ | 2008年9月 8日 (月) 21:10

伊藤久男の「夕月の歌」はラジオ歌謡ではないそうです。7月8日午前3時過ぎの、NHKラジオ深夜便懐かしのラジオ歌謡集をテープにとってありましたので確認しました。そこでは、ラジオ歌謡ではないとことわって、この歌が放送されました。ラジオ歌謡の「夕月の歌」は藤山一郎の作曲とのことでした。

投稿: かえるのうた | 2008年9月10日 (水) 18:00

かえるのうた さん

ありがとうございます。自分も、7/8の放送で確認しようと思ったのですが、消してしまって確認できませんでした。

投稿: エムズの片割れ | 2008年9月10日 (水) 21:55

そう書いてあるページがあったので、
「・・・ようです。」と書いていたのですが、
あの後「夕月の歌」はラジオが藤山一郎さんで、
レコードが井口小夜子さん、のページがありました。
あっ、と思って来てみたら、もう書き直しておられたし、
2ヵ月近く経っていたので、そのままにしていました。
引っ張り出して来られたので遅くに書いておきます。お手数を掛けてすみませんでした。

投稿: なち | 2009年4月23日 (木) 22:43

なち さん

分かりました。同じ名前の曲が二つあるようです。
「夕月の歌」伊藤久男/寺尾智沙/田村しげる 27年11月 COL A1497  

「夕月の歌」井口小夜子/高橋掬太郎/藤山一郎 30年07月 KIN C1196

http://www.geocities.jp/rojin1937/__yu.htm

投稿: エムズの片割れ | 2009年4月23日 (木) 23:04

憧れ続けていた伊藤久男の「夕月の歌」に接して感無量です。それにしても田村・寺尾夫妻、八州秀章といった方々による真の抒情歌の世界がだんだん失われてゆくかのごとき感じがするのは筆者ばかりでしょうか。いまだ生きてはいますが、人生の終末を見据えざるをえない年代の筆者自身にとっては、この方々の曲はまさに「鎮魂歌」以外の何ものでもありません。それだけに「夕月の歌」を筆頭に多くの抒情歌の名曲がカラオケナンバーから漏れているのは何とも残念です??

投稿: オーロラ | 2010年5月16日 (日) 12:04

オーロラさん

確かに、こんな歌はカラオケナンバーには無いかも・・。でもオジさんはこんな歌しか歌えません。
まあ、もはやカラオケもオジさん向けでは無くなっていて、若い人用のリズムが主体の歌ばかりなのでしょうね。

投稿: エムズの片割れ | 2010年5月16日 (日) 21:11

伊藤久男先生の「夕月の歌」叙情歌心に沁みてふるさとを懐かしむ。歌えば今も若かりし日を目の当りにしてくれる。
あの日先輩から指導受けたこの歌は私の心の歌として大切に歌っています。

投稿: | 2010年6月 3日 (木) 09:10

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