中村元の「観音経」(5/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第5回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その5>(CDはこれ)
にゃくうしゅじょう たおいんよく じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ べんとくりよく にゃくたしんに
若有衆生 多於婬欲 常念恭敬観世音菩薩 便得離欲 若多瞋恚
じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ べんとくりしん にゃくたぐち じょうねんくぎょうかんぜおんぼさつ
常念恭敬観世音菩薩 便得離瞋 若多愚痴 常念恭敬観世音菩薩
べんとくりち むじんに かんぜおんぼさつ うにょぜとうだいいじんりき たしょにょうやく
便得離痴 無尽意 観世音菩薩 有如是等大威神力 多所饒益
ぜこしゅじょう じょうおうしんねん にゃくうにょにん せつよくぐなん らいはいくようかんぜおんぼさつ
是故衆生 常応心念 若有女人 設欲求男 礼拝供養観世音菩薩
べんしょうふくとくちえしなん せつよくぐにょ べんしょうたんじょうそうしにょ しゅくじきとくほん
便生福徳智慧之男 設欲求女 便生端正有相之女 宿植徳本
しゅにんあいきょう むじんに かんぜおんぼさつ うにょぜりき にゃくうしゅじょう
衆人愛敬 無尽意 観世音菩薩 有如是力 若有衆生
くぎょうらいはいかんぜおんぼさつ ふくふとうえん ぜこしゅじょう かいおうじゅじかんぜおんぼさみょうごう
恭敬礼拝観世音菩薩 福不唐損 是故衆生 皆応受持観世音菩薩名号
観音さまの福徳
このあと、こんどは内面についての話にはいっていきます。
「もし衆生ありて婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち欲を離るることを得ん。もし瞋恚(しんに)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち瞋(いかり)を離るることを得ん。もし愚痴多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、すなわち痴を離るることを得ん。無尽意よ、観世音菩薩は、かくの如き等の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。この故に衆生は常にまさに心に念ずべし。」
「婬欲」はおわかりですね。「瞋恚(しんに)」は怒り、あるいは憎悪、憎しみです。「愚痴」は迷い、迷妄といったらいいでしょう。この欲と怒りと迷いの三つを「三毒」と申します。人間の根本にある三つの毒というのです。
観音さまを拝むならば、その三つの毒から離れることができる。観音さまは不思議なすばらしい力があって、人のためにはかってくださることがこのように多い。だから衆生は、心のなかで観音さまを念じなさい、というのです。
そしてつぎに、観音さまを拝むと子宝にめぐまれる、といいます。
「もし女人ありて、もし男(おのこ)のを求めんと欲して、観世音菩薩を礼拝し、供養せば、すなわち福音智慧の男(おのこ)を生まん。もし女(めのこ)を求めんと欲せば、すなわち端正有相(たんじょううそう)の女(めのこ)の、宿(むかし)、徳本(とくほん)を植えしをもて衆生に愛敬(あいぎょう)せらるるを生まん。無尽意よ、観世音菩薩には、かくの如きき力有るをもて、もし衆生ありて観世音菩薩を恭敬(くぎょう)し礼拝せば、福は唐損(むなし)からざらん。この故に、衆生は皆、まさに観世音菩薩の名号を受持すべし。」
つまり、観音さまを拝むと、子宝にめぐまれるというのです。男の子がほしいと思って、観音さまを礼拝し供養したなら、福音智慧の具わった男の子を生むであろう。また。もし女の子がほしいと思うならば、容姿端麗な女の子が生まれる。その人は、昔、いいことをしたから、多くの人に愛せられ、敬われるような女の子が生まれるであろう。
こういうわけだから、人々が観音さまを敬い礼拝したなら、その福音はむなしいことはない。だから人々はみな、観世音菩薩の御名を受けたもちなさい、というわけです。
仏教では「淫欲」を禁じている。そして「怒り」も。「愚痴」は、迷いとあるが、広辞苑を引いてみると「〔仏〕理非の区別のつかないおろかさ」とある。観音様を礼拝するとその三毒から逃れられるという。
そして、子宝にも恵まれるという。しかも福音智慧の、または容姿端麗な子宝・・・
確かに、自分が若かった頃は観音経を知らなかったので唱えることもせず、結果、「福音智慧」にも「容姿端麗」にも縁がない“子宝??”に恵まれてしまったが・・・・
●メモ:カウント~19万
| 0
コメント