模擬原爆「パンプキン」
NHKの「その時 歴史が動いた」で「模擬原爆パンプキン~秘められた原爆投下訓練~」(08/8/27放送)を見て(ここ)、戦争の目的、爆撃の目的といったものを考えさせられた。
太平洋戦争末期、昭和20年7月から8月にかけて、巨大爆弾が山間の町を含めて全国で49発落とされ、400人以上の命が奪われ、1200人以上の負傷者が出た。近年発見された米軍の極秘資料から、その目的は「原爆投下の予行演習」だった事が分かったという。
発見された米軍の巨大爆弾の投下地図には、広島と長崎が二重の枠で囲まれていた・・・。
原爆投下の舞台裏の舞台裏は・・・
・昭和20(1945)年3月10日東京大空襲。米軍はこの時から市街地への無差別爆撃を開始。
・その1カ月後(1945/4/12)ルーズベルト大統領が在任中に死亡し、副大統領のトルーマンが大統領に就任。その直後に原爆開発の「マンハッタン計画」の存在を知らされる。
・「マンハッタン計画」は1942年、ルーズベルト大統領の決断により開始。20億ドルと選りすぐりの科学者を集めた国家プロジェクト。
・原爆開発は「ウラン型」と「プルトニウム型」の2種類が進められた。広島に投下されたウラン型原爆「リトルボーイ」は、核分裂の連鎖反応を引き起こす仕組みが単純で確実に爆発させることが出来る反面、量産が出来ない。一方、長崎に投下されたプルトニウム型の原爆「ファットマン」は、威力が大きく量産が可能であり、原爆開発の本命だった。
・1944年9月、ユタ州ヴェンドーヴァー基地に原爆投下部隊が密かに集められた。「ここで見聞きしたことは、ここを出るときに置いていけ!」。この第509混成群団は、「B29」15機による戦闘部隊に、輸送、補給部隊を加えた群団で、自前で特殊任務を行えた。
・後に広島原爆投下のB29「エノラゲイ」の機長も勤めた第509混成群団の指揮官ティベッツ大佐が、「実践訓練として日本本土の目標を爆撃したい。その為に原爆ファットマンと同じ形の大型爆弾を作って欲しい」と主張。それで作られたのが「模擬原爆パンプキン」。重さ1万ポンド(約4.5トン)、普通の大型爆弾の4倍以上。
・昭和20年4月に、米軍は沖縄に上陸したが、米軍にも多数の犠牲者が出ていたため、日本の早期降伏へ拍車がかかった。
・1945年5月1日、トルーマンの諮問機関が原爆投下に関する3項目の答申を出した。「①できるかぎり速やかに日本に対して ②二重の目標、すなわち軍事施設と一般の家屋に対して ③事前の警告なしに 原爆を使用すべきである。」
・1945年7月16日、米アラモゴート砂漠でプルトニウム型原爆の試験爆発成功。
・1945年6月、第509混成群団は太平洋のマリアナ諸島テニアン島で実践訓練に入る。
・最初の訓練は昭和20(1945)年7月20日、B29 3機が富山市の上空からパンプキンを投下。50人が犠牲。
・15年前、山口県の研究者がアメリカで入手した極秘資料「第509混成群団の作戦任務報告書」によると、原爆投下の候補地は、それまで空襲を受けていない「京都」「小倉」「広島」「新潟」。無傷の都市が選ばれた理由は、原爆の破壊力を正確に測定するためと広い地域を効率的に破壊するため。
・パンプキンは名古屋市など、4都市とは関係の無い都市にも落とされたが、それは目標の4都市の次の目標は「任意の市街地」となっており、当時のレーダーは精度が悪かったため「白昼」「視界のいい状態で」「人間の目で確認」が条件だった。よって、4都市を目標に訓練に向かったB29は、第一目標の天候が悪くて落とせなかったとき、帰り道で、適当な都市に落としていたのだった。
・模擬爆弾で犠牲になった人の遺族は言う。「原爆を落とすためのモルモットにされた。戦争というむごいものの中に、まだもう一つむごいものがある」。米軍内の評価は「隊員たちへ、心理的高揚を与えた」
・1945年7月25日、ポツダムにいたトルーマンに原爆投下命令書が届き、承認。
・8月6日の原爆投下の直後にトルーマンが出した声明の一部。「7月26日の最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日本国民を救うためであった。彼らの指導者はたちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今、われわれの条件を受け入れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それはこの地上でかつて経験したことのないものとなろう」
またまた、長々と書いてしまったが、このメモを取りながら、つい「戦争目的は何だろう?」素朴に考えてしまった。国の指導者の「目的」を達成するため?それとも。相手国民の「命を奪う」ため?
もちろん、相手国(敵)の命を奪うのは、「戦争に勝つ」ための一つの「手段」ではあるが、「練習」のために命を奪われた人の無念さは察して余りある。
今日で8月も終わる。もちろん戦争体験の無い自分ではあるが、「8月」という日本にとって「原爆・終戦」という忘れられない月に、少しでも過去を振り返って今後の(国の?)生き方を考えてみるのも良いかも知れない、と思った。
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