今日は「原爆の日」・・・・
今日(08/8/6)は、63回目の「原爆の日」。NHKの「ラジオ深夜便」でも「ヒロシマの心を伝える元広島平和記念資料館・館長 高橋昭博、妻・史絵」(08/8/5~6放送)という番組をやっていた。
ふと思い出した。自分が「原爆」という言葉を知ったのはいつだったか・・・・。それは多分、初めて原爆の映画を見たときだろう。
子供の時の強烈な印象というのは、このトシになっても良く覚えているものだ。その原爆の映画を見たのは、多分小学校低学年の頃だった。その頃は埼玉県の大宮(現さいたま市)に住んでいた。すぐ近くに、車のワイパーのモータを作っていた田中計器という会社があり、週末の夜になると社内で従業員用に映画を上映していた。自分も近所の子供達と一緒に闖入したものだ。そこで見た原爆の映画・・・。ただ「怖い」という印象・・・。それは強烈な印象だった。人が溶けて・・、皮膚を垂らしながら歩いている・・・。そのシーンを見ることが出来ず、下を向いてそのシーンが終わるのをジッと待った・・・・。
大人になって、その映画は何だったのだろうかと調べたことがあった。たぶん「原爆の子」という映画らしい。そしていつだったか、その映画をテレビで見たが、子供の頃の「怖さ」は感じなかった。
原爆の映画は、「黒い雨」「父と暮せば」など色々あるが、どれもテーマが重い・・・。
話は飛ぶが、このように子供の頃の印象というものは、強く心に残るものだ。自分は小学校5年になる時に茨城に引っ越したが、その時、修学旅行で千葉の銚子に行ったことがあった。そこで醤油工場の見学をしたが、その名が「ヒゲタ醤油」。帰りに小さな醤油ビンをお土産にもらった。今ではあまり見かけない?「ヒゲタ醤油」だが、そのマークと名前は、その時以来自分の心にしっかりと根を下ろしている。
またこんな事もあった。やはり小学校の頃、ゴム動力の模型飛行機に「SONY号」というのがあった。SONYのマークはまぶしく、エサキダイオードという名前を聞いて、SONYに大胆にも手紙を出したことがあった。そしたら、子供であるにも拘わらず、エサキダイオードの難しい資料とともに返事をくれた・・・。自分はそれでSONYへのイメージが出来てしまった。もちろん“良い”イメージだ。
結局SONYには行かなかったが、今の企業も、子供(将来のお客さん)を大切にすることは、非常に重要なことだと思う。
話は映画に戻るが、自分が子供の時に見た映画のなかで最も強烈な印象が残っている「しいのみ学園」は、前に当サイトでも書いたが(ここ)、この映画も心に深く残った映画だった。
まあ、還暦を機に?、トシとともに心は子供に帰って行くものらしい。昔の記憶に残る映画をもう一度味わうのも、還暦を過ぎた者ならではの楽しみなのかも知れない。
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コメント
こんばんは~
六日は私のネット友達の間でも原爆の話が出ました。
私などと違って 詳しい人は本当に詳しくよく考えておられます。
>子供の頃の印象というものは、強く心に残るものだ
はい、仰るとおりです。
「日本にも技術はあった、でも日本の科学者は是としなかった、日本の科学者には良心があったのだ」と 幼かった私に 父が話してくれたことを 今でも私は覚えてています。
どういう経緯でその話になったのか また 使われた言葉は正確には覚えていませんが 父の言葉の趣旨は私の心に響いたのだと思います。
既に風化されつつあり 特に若い人には単なる歴史の一こまとして忘れ去られようとしている第二次世界大戦と原爆投下 あらためて 思うこの六日でした。
六日の朝日新聞にも 悲惨な写真が載りましたね、
「目をそむけるな」と。
社説も被爆63年と世界の軍縮を扱ったものでした。
投稿: 見切り発車 | 2008年8月 7日 (木) 23:10
あらら また 忘れちゃったみたい、HN入れるの。
ブログ投稿はなれてなくて・・・と
すぐ良いわけをする
失礼致しました。
「原爆の日」の投稿 見切り発車です。
早とちりで そそっかしくて 申し訳ございません
投稿: 見切り発車 | 2008年8月 7日 (木) 23:21
見切り発車 さん
今日は長崎の原爆の日。先日NHKスペシャルで「解かれた封印 ~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」を見て、その写真に衝撃を受けました。2008年8月27日(水)の深夜0時45分から再放送があるので良かったら・・・
投稿: エムズの片割れ | 2008年8月 9日 (土) 11:40