中村元の「観音経」(4/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第4回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その4>(CDはこれ)
せつぶうにん にゃくうざいにゃくむざい ちゅうかいかさけんごしん
設復有人 若有罪若無罪 杻械枷鎖検繋其身
しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ かいしつだんねそくとくげだつ にゃくさんぜんたいせんこくど
称観世音菩薩名者 皆悉断壊即得解脱 若三千大千国土
まんちゅうおんぞく ういちしょうしゅ しょうしょしょうにん さいじじゅうほう
満中怨賊 有一商主 将諸商人 齎持重宝
きょうかけんろごちゅういちにん さぜしょうごん しょぜんなんし もつとくくふ
経過険路其中一人 作是唱言 諸善男子 勿得恐怖
にょとうおうとういっしんしょうかんぜおんぼさつみょうごう ぜぼさ のういむい
汝等応当一心称観世音菩薩名号 是菩薩 能以無畏
せおしゅじょう にょとうにゃくしょうみょうしゃ おしおんぞく とうとくげだつ
施於衆生 汝等若称名者 於此怨賊 当得解脱
しゅうしょうにんもんぐほつしょうごん なむかんぜおんぼさつ しょうごみょうこ そくとくげだつ
衆商人聞倶発声言 南無観世音菩薩 称其名故 即得解脱
むじんい かんぜおんぼさつまかさつ いじんしりき ぎぎにょぜ
無尽意 観世音菩薩摩訶薩 威神之力 巍巍如是
「たといまた人ありて、もしくは罪あるにもあれ、もしくは罪無きにもあれ、杻(てかせ)械(あしかせ)・枷(くびかせ)鎖(くさり)にその身を検(とじこ)め繋(つな)がれんに、観世音菩薩の名(みな)を称(とな)えば、皆ことごとく断壊(だんね)してすなわち解脱(まぬが)るることを得ん。もし三千大千国土に、中に満つる怨賊(おんぞく)あらんに、一(ひとり)の商主有りて、諸の商人を将(ひき)いて重宝(とうときたから)を齎持(もたら)して険(けわ)しき路を経過(きょうか)せば、その中に一人、この唱言(となえごと)を作(な)さん、『諸の全男子よ、恐怖するを得ること勿れ。汝等(なんだち)よ、まさに一心に観世音菩薩の名号を称うべし。この菩薩は能(よ)く無畏(むい)を以って衆生に施したもう。汝らよ、もし名を称うれば、この怨賊よりまさに解脱るるを得べし』と。衆(もろもろ)の商人は聞きて倶に声を発(あ)げて、『南無観世音菩薩』と言わん。その名を称うるが故に、すなわち解脱るるを得ん。無尽意(むじんに)よ、観世音菩薩摩訶薩は、威神の力の巍巍(ぎぎ)たること、かくの如し。」
「また、捕らえられて、手枷(てかせ)・足枷はめられて拘禁束縛(こうきんそくばく)されている場合でも、観音さまの御名を称えると、免れるであろう」、という。
こういう趣旨のことはあとにも出てきます。それにしても、罪のない人がのがれることができるというのはわかるけれども、罪のある者ものがれられるというのは、ちょっとおかしいじゃないか、と思われるかもしれません。わたしも以前、ここに疑問を持ちました。しかし、これはインドないし南アジアの社会の実態をご了解いただければ、理解していただけると思うのです。
南アジア、ことにインドの奥地には盗賊がおりまして、人のものを奪う。しかし、奪うといっても、ただ人をあやめるのではなく、お金持ちから奪って、貧しい人に配ってしまうという、いわば一種の義賊(ぎぞく)がたいへん多くいるのです。近年のインドにもおりました。政府軍が討伐してもなかなか捕まらない。なぜかというと、民衆がそっちのほうへついてしまう。そういう賊が昔からいまして、盗賊の物語などは有名なのですが、それが強くなって、そして都を占領して支配者になる、そうするととたんに大さまになるわけです。だから、インドでは、国王の難と盗賊の難ということを、二つ並べます。民衆の人たち自身は楽しい生活を享受していて、そこを力のある連中がじゃまをする、そういう考えが彼らの生活のなかにずっとしみついているものですから、とにかく捕らえられるのは災難だ、と思う気持ちが彼らのあいだにはある。そういう点を頭にとどめると、こういう念願があったことがよくわかります。
また、怨みをいだく賊が満ちているなか、一人の商主が他を率いて、貴重な交易品を運び、険しい道を過ぎて行く。隊商ですね。このとき、だれかが、この称えたとしよう、「ああ、皆さん、恐れてビクビクなさるな。皆さん、さあ、一心に観世音菩薩の名号を称えましょう。そうすれば賊からまぬがれることができるでしょう」。それで、みんなが声を出して「南無観世音菩薩」という。そうすると、その災難からまぬがれることができる、というわけです。
なお、従来の漢文読みでは「無畏(むい)を以って衆生に施したもう」となっていて、ここでもそうしましたが、「無畏」とは「畏れのないこと」、つまり安全にしてくださるという意味ですから、「無畏を衆生に施したもう」と読んだほうがわかりやすく、また、筋が通ると思います。
このように、観音さまが難儀を救ってくださることを述べるのですが、いままで読んだところでもお気づきのように、このお経では船で貿易している人々、あるいは隊商を組織して通商を行っている人々のことが出てきます。おそらくは、最初、こういう人々のあいだでとくに観音さまの信仰が拡がっていったのでしょう。」(「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」P190-193より)
この観音経は、言うまでもなく法華経の第25品(章)であるが、法華経の成立は、釈尊の入滅後ほぼ500年以上の後、つまりBC50年からBC150年の間に成立したと推定されているという。(中村元は、法華経が成立した年代の上限は西暦40年であると推察している)
よって、この当時の様子(社会・経済)を思い浮かべると、分かってくる。
「お経」に書いてある色々なエピソード?を聞きながら、悠久の流れに身を置くのも、また愉快ではないか・・・・
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