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2008年7月12日 (土)

えりも辺地医療の鈴木陽子医師

「NHKアーカイブス」(08/6/28)で放送された、NHKスペシャル「たったひとりの医師として ~えりも・辺地医療の11年~」(2001/5/26放送)と、ドキュメンタリー'90「安心をあげたい ~えりも岬に母さん医師がきた~」(1990/7/11日放送)(HPはここ)を見て、世の中には大変な人がいるものだと感心した。(もちろん自分など比較の対象にならないが)

医師の鈴木陽子さんは、もともと厚生省の麻薬取締官として7年間勤務していたが、出産を機に退職して娘と息子の二人の母として専業主婦をしていた。しかし、33歳の時にテレビでたまたま見たへき地医療の番組で、自転車に乗って往診に行っている医師の姿を見て、「誰かが必死になって待っている人がいるというのは、いいな・・・」と自分もやってみたいと思うようになった。そして4才の子供を抱えながら猛勉強し、36歳で大阪市立大学医学部に合格。42歳で医師の資格を取る。その後、大阪の総合病院で経験を積んだ後、娘が高校を卒業したのを機に、えりもで医師を探していることを知って、辺地の医師になる夢を実現させることにした。1990年5月、49歳単身での旅立ちであった。行き先は、北海道のえりも町立診療所。この時、診療所に二人いた医師が辞めてしまい、住民の不信感が高まっていた。それから、たった一人で20人近い入院患者の回診から、毎日100人以上の患者の診察、夜間の急患の対応まで、24時間何が起きるか分からないピリピリした生活が続く。
080712erimosuzuki_2 全国では600人に一人の医師がいるが、えりもでは住民6400人に一人。しかし、手術が出来る設備も無く、急患は応急処置だけで大きな病院に送るしかない・・・
でも念願の往診をしてみて、「在宅の寝たきりの人は初めて見たが、みんな良い顔をしている。やはり、自分の家が良いのだ。医者の仕事の大部分は安心をあげることだから、結構聴診器をあてるだけでも意味があるのかも知れない」・・・

しかし、襟裳は遠い。父親が倒れた時も、徳島まで23時間もかかり、結局2時間間に合わず、死に目にも会えず。そして、2年間の契約が終わり、大阪に帰ろうとしていた時、息子が会社で倒れる。脾臓に12センチの腫瘍・・・・
「あきらが育っていくと同時に、私の中にも変化が起きてきた。あきらと同じ位の子供にも、その母親にも親しみを感じた。私の母性愛が沸々と毎日湧き出し、自己中心的だった私を、それではいけないと思うように変えていった。私の医師になった原点であるあきらが死んだら、すべて何の意味もない。私自身の人生さえ・・・・」
そして手術の結果、良性と分かった。
「身近な者が病気をして、医者としてのあり方が大分変わった。患者の周囲の人の不安が良く分かった。」そして町との契約を延ばしてえりもに残った。
それから数年後、39歳の藤戸収作医師が入り、この人なら後を任せられると思い、大阪に帰ることにした。そして2001年3月に大勢の人に見送られてえりもを去る。時に60歳。
その後、夫(受付・医療事務)と二人で淡路島に診療所「神陽台クリニック」を開き、今に至るという。
最後に(今の)鈴木さんは言う。「知らない人ばかりの所に来て、しまったと思い、いつ大阪に帰ろうかと思っていたとき、新聞で養老孟司さんのお母さんが90何歳で現役の女医(小児科医)と聞いて、“これだ”と思った。自分も100まで生きて現役を続けようと思ってから気が楽になった。ここで灰になるという覚悟が決まった」
今は、えりもの診療所は外科と消化器科の2名によって守られているという。

番組後、辺地医療に60年間携わっている早川一光医師(84歳)のコメント。「鈴木医師をえりもに止めたものは、有難うという医者と患者の結びつき、えりもの住民の笑顔、感動の涙。これが鈴木さんを11年えりもに止めた」「地域医療とは、暮らしの中に病気がある。暮らしの中に医療がある。暮らしの中に治療がある」「みなさん、最後は家に帰りたいという。家が病室。間の道は病院の廊下。一番大切なのが家族の支え。これを作っていくのが我々の仕事。それが医療。“治し”の医療ではなくて“癒し”の医療が大切」「辺地医療はソロではなくてシンフォニー。ひとりの人の良心・赤ひげだけに頼っているのではなく、その先生の周りを固める協力体制が必要」・・・

また、長々と番組を文字にしてしまった。
(40年前の学生時代に襟裳岬に行った事がある。電車は途中までで、襟裳岬にはバスで行った。あの襟裳かと、その当時の景色を目に浮かべながら見てしまった)

この番組は、鈴木さんの姿勢はもちろんだが、同時に辺地医療、地域医療や在宅看護についても考えさせられる番組であった。
しかし、鈴木陽子さんの“想い(&スタンスと実行力)”には言葉が無い。(もはや、評論する対象ではない・・)
しかし夫の鈴木茂夫さんの言葉に救われる?・・・「すごいですね。バリキがね・・。うらやましいです。私にはちょっとマネができない」
この言葉にホットしてはいけないのだが、なぜか自分はホットする・・・。(夫婦が鉄人であるのではなく、夫は我々と同じだった・・・。ホッ・・)

仏教では「生老病死」を四苦という。(参考ここ) 我々にはまだこれから「老病死」 の4つがめぐってくる。自分も、まだまだ他人事と思っているが、そのうち、覚悟させられる時が来るのだろう。
とにかく、生涯現役医師を目指す鈴木陽子医師に合掌である。
(本も出ているらしいので(これ)、そのうち読んで爪の垢でも煎じよう)

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コメント

拝啓、藤戸先生お元気ですか?
今でも、えりも町立病院を拠点に地域医療をされているのですか?NHKの番組が流れて、どのくらいの月日が流れるのでしょうか?
 私は栃木県で助産師として勤務しています。何とか一人でやっております。
                 かしこ

投稿: ふくちゃん | 2010年10月14日 (木) 23:11

突然お邪魔します。
ふと森進一の「襟裳岬」が聴きたくなり、襟裳岬といえば・・・
そうだあの(テレビで拝見した)先生・・・
と何気なく検索していたらこちらに辿り着きました。
~えりも岬に母さん医師がきた~私は初回放送を見ました。その時、鈴木医師の「人にただ親切にすると気持ち悪がる人もいるでしょ?だから医師の肩書きがあれば皆親切を不審がらないからね」みたいな、確かこのようなお話をされていたと記憶しています。
この言葉を聞いて、サラリと言えるこの方に驚き、またなるほど、と感動したのを覚えています。
その後の私の人生の方向も決まりました
医師ではないですけど

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。そうですか、人生の方向まで影響されましたか・・。このようにエライ人は、色々と良い影響を与えるのですね。自分のような凡人には到底まねの出来ない事ばかりです。

投稿: ふみ | 2010年10月21日 (木) 14:28

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