小山明子さんの介護の姿勢
NHKラジオ深夜便「〔こころの時代〕いつだって今が一番幸せ~女優 小山明子」(2008/6/30~7/1)を聞き、小山明子さんの大島渚監督への介護に取り組む姿勢に感心した。
そして、今日の帰りの電車の中で、この番組を聞きながらついメモを取ってしまい、下記のように“文字”にしてしまった。
前半の6月30日の放送では、1996年に大島監督が脳出血で倒れるまで、そして後半の7月1日の放送は、大島監督が倒れてからの12年間の介護の話である。
世の中には、介護に疲れ果てている人がどれだけ沢山居られることだろう。この番組での小山さんの話は、それらの人に「パワー」を与えてくれる話ではなかろうか・・・。その明るい声を聞いてみよう。
<「いつだって今が一番幸せ」~女優 小山明子(前半)>
<「いつだって今が一番幸せ」~女優 小山明子(後半)>
特に後半の介護についての話が心に残った。人は逆境でも、考え方一つでこの様に変われる・・・。その話の断片を記すと・・・・
「1996年2月、大島渚監督はロンドン空港に行く途中、脳出血で倒れた。連絡を受けたとき、自分は映画やドラマの仕事があったので、全てを捨てる決断が出来ずに、飛んで行けなかった。それが後になって、自分のうつ病発症の原因となった。
ロンドンの病院に3週間居て東京に戻ってきたが、右半身不随だった。本当は妻として、毎日付き添わなければいけないのに、今から撮ろうとしていた映画(御法度)はどうなる、お金はどうなる・・と考えてしまい、自分を追い詰めて行った。
そして生きていてもしょうがないと思うようになった。それを息子が病院に入れなければと気がついて、嫁が病院と電話しているのを横で聞いてしまった。それで、家を飛び出して行き付けの病院で睡眠薬を貰い、家に「もう生きていてもしょうがないので死ぬ」と電話した。少しフラフラしたあと、家に電話したら、息子から「パパどうするの。パパが淋しがっている」と言われて、アアそうだった。パパがいた。「じゃあパパに会いに行く」と病院に行き、そのまま入院させられた。
1ヶ月後に退院してから、介護体勢に入ったが、リハビリが大変。1200カロリーの食事を作れと言われても、本にある献立通りに作るしかない。主婦として何も出来ないので悩み、その後も入退院を繰り返した。
一方、大島本人はそうなった自分を受け入れて、グチも言わずに努力した。そして必ず「ありがとう」「すみません」と感謝の言葉を言う。後で考えると、「あなたは奥さんなんだから、やって当たり前」と大島が怒鳴っていたら、私は出来なかった。半年後には、連載していた新聞のコラムを口述で書けるようになった。そして映画が撮れるまで回復した。これには、本人の社会復帰をしようというやる気、病院スタッフの社会復帰させてやろうという熱意、そして家族のサポートの三つが無ければ復帰できない。ウチは映画(「御法度」)という一つの目標があったので早く復帰できた。
2000年のこと、リハビリを3年やって復帰し「御法度」をカンヌ映画祭に出した。その年は色々な賞を頂き、これから・・と言うときに、今度は肺炎と十二指腸穿孔で生きるか死ぬか・・。「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」という諺があるが、幸せと不幸は裏腹で来ると思った。
でも、私のところに生きて帰ってきた、と思うと愛おしくなった。10年来抱いたことも無いのに、愛おしくて抱きしめた。それから車椅子での生活になった。
アルフォンス・デーケンの「よく生き よく笑い よき死と出会う」という本に出会って、手放す心、感謝する心とユーモアを知って、自分のバイブルとなった。なかなか、女優という立場、世界的監督という立場から離れられなかったが、それを手放したら、大島の事をやっている妻としての自分もステキだと思うようになった。
幸せって何?私は幸せの基準が出来た。彼が良い気分で一日を過ごしてくれたら、その姿を見ているのが私は幸せ。介護は大変と思ったら、こんな大変な事は無い。でも楽しんでやる方法はいっぱいある。楽しい会話で乗り切る。ユーモアで自分がやるので、皆も付いてくる。
待っていてくれる人がいる幸せ。それはどんなになっても生きているからこそ。
息子は、自分も妻がそうしてくれるかな?というので、「私たちには歴史がある。それは一度も裏切られていない。女性問題も無いし、ギャンブルも無い。一度も泣かされたことがない。自分はパパに育てられたと思っている。だからそれが出来る。夫婦の歴史。奥さんを裏切らない夫であれば、心ある人だったらやってくれるのでは?」・・・と」
番組でも言っているように、普通は、大監督・大女優であればあるほど、「その後」を隠すものであろう。それをこの様に開き直って堂々と話をする。このスタンスこそが、前向きに明るく進む小山さんのエネルギーの源泉なのだろう。
自分も、“その時”は先ず「ありがとう」を連発することにしよう。
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コメント
本当に素敵なお話で、小山さんの生き生きとした様子がうかがえました。現実はそれ程容易な事ばかりではないでしょうができるだけお二人で長生きして頂きたいと願う気持ちで一杯になりました。
(この記事は放送で聴き取りにくかったところの補足に大助かりでした。ありがとうございました)
癇癪持ちの気難しい印象しかなかった大島監督の真っすぐで勇気ある生き方にも感動しました。
大変な事を愉しんでやる方法はいくつでもある・・「・・にもかかわらず笑う」と云う言葉を思い出しました。。
投稿: ロバ | 2008年7月 5日 (土) 22:30
ロバさん
介護の問題は、どの家でも発生すること。でも自分は、笑い飛ばす自信は到底ありません。
小山さんも開き直るまでは、悶々としたのでしょうね。
投稿: エムズの片割れ | 2008年7月 6日 (日) 19:44
数日前、徹子の部屋に出てました。。私は小山明子がよくやってると、びっくりしました。というのも、昔、大島監督が徹子の部屋に出た時のことを覚えていたからです。こう言ってました。「僕の奥さん、小山明子は全く片付けなどしない人なんです。服を着替える時も脱いだのはそのまま。放っておくとどんどん積もっていきますから、僕がハンガーに掛けたりして片付けてます」と。ふむ~、、自分には決して怒鳴ったりしない優しい大島監督へ感謝していたんでしょうねぇ。
投稿: 寅年女 | 2008年7月 9日 (水) 23:34
寅年女 さん
・・・という事は「人間、その時は変われる!」という事でしょうか?
だとすると素晴らしい・・・。自分など「そう簡単に人間は変われない」と思っていましたから・・
投稿: エムズの片割れ | 2008年7月11日 (金) 23:44
大島監督は、小山さんと一緒になれて本当に良かったと思います!お二人の姿を見てとても感動しました!これからも仲良くお幸せにお過し下さい☆ミ
投稿: ゆき | 2008年7月29日 (火) 03:36
ゆき さん
大島監督は、結局“ラッキー”だったのでしょうか?それとも、今まで自分が(小山さんに)してきたことが、単に自分の戻っただけなのでしょうか?
これは当事者にしか分からないことですね。
投稿: エムスの片割れ | 2008年7月29日 (火) 22:33
パパはマイナス50点 今読んでいるところです。私は51才 介護3の母と同居しています。考えさせられることがたくさんありすぎて 心が萎えているときに 図書館でこの本に出あいました。
映画 テレビで拝見する小山さん 大島監督に大変な 御苦労があったこと 本をよんで知りました。
講演会聞きに行きたいです。 自分の時間をもっと大切に使いたい 使わせていただこうと 思いかけています。私も 鬱のドァを開き始めているので これだけは避けたいと願っています。母の為に 主人のために 子供の為にパワーを いただけたことに感謝です。
これからも 精力的に頑張ってください。
心より 応援しています。私もパワーを人様へ分けられるように なりたいです。
がんばります。
【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
この記事には、zipファイルで、小山明子さんの話の番組そのものを聞けるようにしてあります。
良かったら“オリジナルの番組(後半の7月1日放送分)は、ここ(ZIP)をクリックする・・・”の部分の橙色の「ここ」という文字をクリックしてみて下さい。ダウンロードに少し時間が掛かりますが、小山さんの苦労話が聞けます。
投稿: むちむちむっちゃん | 2011年2月14日 (月) 10:14