井上陽水の「人生が二度あれば」~還暦版
今日(08/7/23)の日経夕刊(P22)に「井上陽水コンサート~巨人の風格と安定感」というコラムがあった。先日の7月11日に渋谷で行われた全国25公演の最終日のレポートだ。
たまたま先日、何かで同じような記事を目にして、ちょうど発売になったばかりのCD「弾き語りパッション~井上陽水」というアルバムをamazonに頼んで、ちょうど来たところだったので、この記事も興味深く読んだ。
実は、先日当blogで、「心もよう」と「傘がない」は他の演奏を聞いたことが無い・・・と書いたら、このCDに両方とも入っている事が分かり、早速買ったというわけ。
ところが、今朝初めて電車の中で聞いたら、一番印象に残ったのが「人生が二度あれば」だったのである。このコラムによると、・・・
「・・・この日、アンコールでまず「この歌が似合う年齢になりました」と老いた両親をモチーフにした「人生が二度あれば」を歌った。彼がまだ23歳の時の作品である。続いて・・・」
この弾き語りの録音は、トシ相応で、いわゆる「いい味出している・・」演奏である。(今年の8月で、陽水も還暦さ・・・・)
<井上陽水「人生が二度あれば」>
(2007/6/27 沖縄コンベンションセンターでの録音)
「人生が二度あれば」
作詞・作曲:井上陽水父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている
そんな母を見てると人生が
だれの為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
この作品は、1972年3月1日発売。まさに「傘がない(1972/7/1)」「夢の中へ(1973/3/1)」「心もよう(1973/9/21)」が後に続く黄金期の作品だ。
しかし同世代の自分も、この歌詞には何かしみじみしてしまう・・・。オリジナルの音を聞くと、やはり今の声のほうが良いような気がする・・・。
さっきのコラムではないが、テレビで見ると飄々としているが「陽水は巨人」だな・・・(サラリーマンには風格なんぞ無いけど・・・)
さて我々は「人生が二度あれば」どうするだろう? 「こんな人生はイヤだから最初からやり直したい・・」人も居るし、「いやいや、まあ人生こんなものだろうから、これでいいや・・・」と言う人もいる・・・。
自分は?? 当然「今が最高なので、やり直しなんてとんでもない!!」(これは、決してカミさんを意識して言っている訳ではないので・・、念のため)
まあ、PCが復活したら、「心もよう」や「傘がない」についても、昔と今とを比べてみよう。
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コメント
若い頃に随分良く聞いたものです・・・
懐かしく聞きながら、ほんとに『人生が2度あれば』親孝行もっと出来たかも~・・・
投稿: 花舞 | 2008年7月24日 (木) 00:26
花舞 さん
せめて死ぬ時までに、「我が人生に悔い無し」と言えるようになれば良いのですがね・・・。サテサテ・・・?
投稿: エムズの片割れ | 2008年7月24日 (木) 12:39
井上陽水の曲は今まで毛嫌いをして聞かなかったのですが、「エムズの片割れ」様にたどり着いてから、聞くようになりました。全く食わず嫌いでした。繊細さと青年の猛々しさは私の心魂をいまだに揺さ振るものがあります。ただこの曲の題名に関してはおそらく、井上陽水自身変えたいと今は思っていると感じます。実は私は人生を2度やっているような気分です。サラリーマン生活を途中でやめて、全く違う僧籍についたのですから・・。
人生は2度でも3度でも生きれると思われます。従って陽水自身年齢を重ねた事により人生は複数回生きれると、今は思っているかもしれませんね。
【エムズの片割れより】
確かにネチッこい話し方、歌い方は自分もあまり好きではありません。しかし、「心もよう」や「傘がない」など、彼の天才ぶりは認めざるを得ません。
投稿: 普賢 | 2011年8月17日 (水) 13:46