中村元の「観音経」(2/13)
この連続記事は、1985年4月から9月まで、NHKラジオ第二放送で行われた全26回の連 続講義「こころをよむ/仏典」(CDはこれ)の「第18回 願望をかなえる-観音経」の部分を、『中村先生の声』と『原文』『読み下し文』、そして『中村先生の説明』を、この放送を活字化した、前田専学先生監修の「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」(これ)を元に味わっていくもので、今日はその第2回目である。
<こころをよむ/仏典「観音経」~その2>(CDはこれ)
以下、詳しく出てきますが、まとめていうと、観音さまは「七難」をまぬがれるように救ってくださるのです。
「七難」とは、火・水・羅刹(らせつ)・刀杖(とうじょう)・鬼・枷鎖(かさ)・怨賊(おんぞく)です。この七通りの災難が人間に襲ってきたときに、救ってくださるといいます。そのいちいちについて、これから説明があります。
にゃくうじぜかんぜおんぼさつみょうしゃ せつにゅうだいか かふのうしょう
若有持是観世音菩薩名者 設入大火 火不能焼
ゆぜぼさいじんりきつこ にゃくいだいすいしょひょう しょうごみょうごう そくとくせんじょ
由是菩薩威神力故 若為大水所漂 称其名号 即得浅処
にゃくうひゃくせんまんのくしゅじょう いぐこん ごん るり しゃこ めのう さんご
若有百千万億衆生 為求金 銀 瑠璃 硨磲 碼碯 珊瑚
こはく しんじゅとうほう にゅうおたいかい けしこくふうすいごせんぼう ひょうだらせつきこく
琥珀 真珠等宝 入於大海 仮使黒風吹其船舫 飄堕羅刹鬼国
ごちゅうにゃくうないしいちにん しょうかんぜおんぼさつみょうしゃ ぜしょにんとう
其中若有乃至一人 称観世音菩薩名者 是諸人等
かいとくげだつらせつしなん いぜいんねん みょうかんぜおん
皆得解脱羅刹之難 以是因縁 名観世音
もしこの観世音菩薩の名(みな)を持(たも)つもの有らば、設(たと)い大火に入るとも、火を焼くこと能(あた)わず、この菩薩の威神力(いじんりき)に由るが故なり。もし大水のために漂よわされんに、その名号(みょうごう)を称えれば、すなわち浅き処を得ん。もし百千万億の衆生ありて、金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・硨磲(しゃこ)・碼碯(めのう)・珊瑚(さんご)・琥珀(こはく)・真珠等の宝を求めんがために大海に入らんに、たとい、黒風(こくふう)その船舫(ふね)そ吹きて、羅刹鬼(らせつき)の国に飄(ただよ)わし堕(おと)しめんに、その中にもし乃至一人(ないしひとり)ありて、観世音菩薩の名(みな)を称えれば、この諸の人等(ら)は皆、羅刹(らせつ)の難を解脱(まぬが)るることを得ん。この因縁を以って観世音と名づくるなり。
「火」はわかりますね。「大水」は、洪水であったり、あるいは大きな湖のなかで漂わされるようなことが起きたとき、観音さまの名号を称えたならば、浅いところへ着くことができるであろう、というのです。インドでは洪水の場合はたいへんですから、とくに痛切に感じられたことだろうと思います。また、宝を求めて大海に入り、「黒風」、これは暴風雨のことですが、それで「羅刹」の棲(す)んでいる国に流されるようなことがあった場合でも、だれか一人が観世音菩薩の御名を称えれば、この人々はみな羅刹の難をまぬがれることができる、という。「羅刹」はもとのことばでは、ラークシャサで、鬼の一種です。「このわけで観世音と名づけるのである」。(「仏典をよむ3 大乗の教え(上)」P188-189より)
火災に遭っても、“観音さま・・”と唱えれば助けてくれる。水に溺れても“観音さま・・”と唱えれば浅い所にたどりつけられる。
・・・とここまでは良いが、次が「さすが観音さまは、我々凡夫と器(うつわ)が違う!」と思うところ。つまり、金銀などの宝を求めて海に繰り出して遭難した時でも、助けてくれる・・、というもの。これは、遭難した人は「物欲」から出ているので、“自業自得さ・・”という見方もあるが、観音さまは違う。しかも、誰か一人でも“観音さま”と唱える人がいれば、全員を助けてくれるという。
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