さだまさし「檸檬」のオブリガート(副旋律)の妙・・
さだまさし「檸檬」は名曲だが、自分はその録音を3つ持っている。この編曲を比較してみると面白い。
実は、ここで言いたいのは「オブリガート(=副旋律・対旋律)の魅力」なのである。
まず1999年12月16日発売のアルバム「続・帰郷」の新録音盤は、編曲が萩田光雄である。
聞くポイントは、バックの旋律・・・。ドンチャ・ドンチャというリズムの向こう側に流れる旋律なのである。これを「オブリガート」または「副旋律」「対旋律」というらしい・・。
特に2番のバックに流れるオーボエの副旋律。これが泣けるのである・・・。(さだまさしの歌は少しダレているが・・)
<さだまさし「檸檬」/編曲:萩田光雄>(「続・帰郷」より)
「檸檬」
作詞・作曲:さだまさし
1)或の日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて
君は陽溜りの中へ盗んだ
檸檬細い手でかざす
それを暫くみつめた後で
きれいねと云った後で齧る
指のすきまから蒼い空に
金糸雀色の風が舞う
喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ2)君はスクランブル交差点斜めに
渡り乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は
青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた
愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が
舞い下りてそれをついばんでいる
喰べかけの夢を聖橋から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく
二人の波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
消え去る時には こうしてあっけなく
静かに堕ちてゆくものよ
次に一番最初の録音である1978年3月25日発表の「私花集」(アンソロジィ)というアルバムから。編曲はジミー・ハスケルである。
<さだまさし「檸檬」/編曲:ジミー・ハスケル>(「私花集」より)
特に、「ねェほら そこにもここにも・・・」というバックに流れるオーボエの旋律・・・。
そして三つ目は、1978年8月10日にシングル盤でリリースされた時の録音。この編曲は渡辺俊幸である。
<さだまさし「檸檬」/編曲:渡辺俊幸>(「昨日達」より)
この編曲が、一番副旋律が目立たないな・・・・。
しかしこの3つを良く聞くと、副旋律が全て同じである(または似ている)事が分かる。普通は、作曲者の主旋律をもとに編曲すると思われるが、どうもこの歌は3人の編曲が同じような副旋律なので、「さだまさしがこの副旋律も作曲したのではないか・・・?」と思ったのだが、どうだろう・・・?
(追:2019/12/17)
<さだまさし「檸檬」>(「新自分風土記II~まほろば篇~」より)
それとこの詩に“景色”がある・・・。なんと“カラフルな詩”であることよ・・・。
「白い石」「蒼い空」「金糸雀(カナリヤ)色の風」「快速電車の赤い色」「各駅停車の檸檬色」・・・。自分はこの「赤い色」の電車(JR中央快速線)で通勤しているので良く分かる。(ちなみに「各駅停車の檸檬色」はJR総武線である) フト、この曲のことを書こうと思ったので、今日会社の帰りに御茶ノ水駅で途中下車してみた。降りてすぐそこが聖(ひじり)橋。聖橋に入る手前にスクランブル交差点がある。そして聖橋の上から御茶ノ水駅方向を見ると、電車が通る・・・・。この歌は、こんな景色かな・・・とシャッターと切ったのがこれ。(中央線も1年前から新車両になり、赤い(本当はオレンジ色)線になってしまったけど・・)
でも「金糸雀色の風」だけは見えなかった・・・。
聖橋を渡ると直ぐ右手が「湯島聖堂」。中に入って「白い石の階段」を探してみた。どの階段も「白い」階段は無く、いつもの石色だった。でもその中で、この写真の“湯島聖堂入り口”を、自分は「白い階段」だと“認定”した。
しかし、さだまさしが作曲したのがちょうど30年前。でも聖橋も湯島聖堂も何も変わっていない。変わったのは、電車の車両と、自分の髪の毛だけ??
とにかく、こんな風景を、よくもまあしゃれた詩に書くものだ。さだまさしは詩人だな・・・と思った。
(付録)~一緒に撮った一コマ・・・
「聖橋」・・・後ろに見える建屋群は東京医科歯科大学。3つ目の写真は御茶ノ水駅のホームから。
「湯島聖堂」
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コメント
今度はどれにしようかなあ、と、舌なめずり、よだれ垂らして、さあ行くぞ、という突撃状態です。おいしいメニューのオンパレード。思えば、平原綾香の「カンパニュラの恋」以来の、エムズの片割れ様への恋。たとえ片思いだとしても、つきあっていただける限りの恋。今日は佐田まさし「檸檬」。何度歌っただろう。うなっただろう。でも、いつもそっぽを向かれる。ほとんど毎日、湯島聖堂の脇を通り、聖橋を渡りながら、スクランブル交差点に苛立ちながら、この歌を思い、歌わない日はない。車を止め、聖堂の境内には入ったが、聖橋から下を覗いたことはない。奈落の底に、静かに落ちて行く誰かを見てしまうような恐れが、か。心なしか、橋を渡る人の誰々も、橋下から目を背けているような。いつか、下を覗いたとき、何かがぼくの歌に乗り移ってくるのだろうか。以上です。少し酔っています。ごめんなさい。
【エムズの片割れより】
最近は聖橋にも行かなくなりました。しかし年代的に色々と経験が重なるようで・・・
投稿: 三山sanzan | 2010年9月10日 (金) 20:41
ぼくもとても不思議なのです。というよりうれしいのです。今までの付き合い方では到底不可能な人間関係が始まる、人間理解が多様で深まる、というウエブの世界。エムズの片割れ様の世界。ご迷惑はおかけしませんから、うるさいようでもお付き合いください。
聖橋についてもう少し補足すると。東北道から首都高に入り、江北で5号方面と6号方面とに分かれますが、どちらも混んでいそうだと、王子北で下りて本郷通りに入ります。そして、湯島、神保町、神田橋、大手町、呉服橋、京橋、というルートでメール便の届け先に至ります。空いてれば高速の方が勿論速いのですが、このルートが好きなのは、もちろん「檸檬」のせいです。
投稿: 三山sanzan | 2010年9月12日 (日) 08:06
私もさだまさしは好きで、コンサートにも1度行きました。特に好きなのは「案山子」と「檸檬」ですが、最近のテレビのニュースで中央線の快速の赤い車体が使われなくなり、最後の運行がされたということを知って、残念に思いました。「檸檬」で私がよく聞くのは「私歌集」のアルバムに入っているものですが、「続・帰郷」の編曲はやや編成の大きいオーケストラという感じなのに、確かにさだまさしのボーカルは元気がない感じですね。オブリガートの違いというのも、比べて聴くとよくわかり、面白いと思いました。
私は大学時代、習志野市(駅名は津田沼)から御茶ノ水まで檸檬色の電車に乗り、その後地下鉄丸の内線に乗って茗荷谷の駅で降り、大学に通っていました。また国鉄(今はJRですが)の御茶ノ水駅沿いの商店街には「檸檬(レモン?」という画廊か絵の材料店があったことを覚えています。御茶ノ水駅周辺と神田の古本街にはよく通いました。聖橋を渡るときに神田川の川面を見て、「食べかけのレモンを投げて中央線の電車とすれ違うのは橋のどの辺から投げた場合か?」などと他愛もないことを考えたりしました。時代の移り変わりでいろいろなものが変わっていくのは仕方がないですが、それを歌ったり思い出したりすると、青春時代のひとコマが浮かび上がる歌があるということは素敵なことかもしれません。
【エムズの片割れより】
自分も3年ほど前にお茶の水の東方学院に通った際、聖橋の上から「どこでレモンを放ったのかな?」なんて考えました。歌詞に歌われた場所というのは、色々な場面を想像させるもの。前に「池上線」にもはまって現場検証してみたりしたものです・・・。
投稿: 水戸のミッキー | 2010年10月26日 (火) 18:47
昨日も「檸檬」、カラオケで歌ってきましたが・・・・。うまく歌えません。解釈、感情移入、など、いつもふらふらしてかちっとした流れになりません。どなたか、アドバイスお願いします。
投稿: 三山sanzan | 2010年11月 3日 (水) 08:16
はじめまして。 何故か昼休みにネットで遊んでいてここに辿り着きました。 「檸檬」は'78年にまだ中学生だった頃親戚の一つ年上の従兄の部屋でよく聞いていました。確かレコード(EP盤)のジャケットがさだまさし本人が描いた聖橋のスケッチじゃなかったですか? 何も知らない田舎の中学生でしたが、何故かこの唄が私の「東京」のイメージになりました。ビルの並ぶ本当の中心地から少し外れた、でも時間の流れとか人とか空気とか、これが私にとっての「東京」のイメージなんです。多分、大学生に憧れていたんでしょうね。 マイペースの「東京」という貧乏くさい(失礼)上京イメージではなくて...あれから私も東京に暮らすようになって30年以上過ぎて、今では海外に暮らしていますが、「檸檬」は今でも良く聴きます。何故か郷愁を誘われるというか、夢多き中学生にほんの一瞬戻れるんです(笑) ちなみに私は第一作の「檸檬」の伴奏の展開が一番ドラマチックで好きです。さだまさしのボーカルもこちらに届けようという気持ちが伝わってきますしね。 突然横から失礼しました。
【エムズの片割れより】
前に、お茶の水に行った時、聖橋から「ここから檸檬を投げた?」と物思いに耽りました。
時代を超えた名曲ですよね。
投稿: Eddy | 2015年5月19日 (火) 12:02