NHK東京放送児童合唱団の唱歌「鎌倉」
もう6月・・・。梅雨と聞くと鎌倉のアジサイ寺(明月院)を思い浮かべる。今年もさぞ賑わうのだろう。
先日(08/6/2)、NHKラジオ深夜便を“再生”していたら、「鎌倉」という歌を放送していた。この演奏は、今までに聞いた中で、一番気に入った。全部で8番まである「鎌倉」だが、転調したりテンポを変えたり・・・、飽きさせないように?編曲者が苦労している。
少し聞いてみよう。澄んだ声の素晴らしい斉唱である。(しかし言葉が少しはっきりしないのが残念ではあるが・・・。なお、自分が持っている同じNHK東京放送児童合唱団のCDとは、違う録音だ)
<NHK東京放送児童合唱団の「鎌倉」>
小学唱歌「鎌倉」
尋常小学読本唱歌(明治43年7月)
作詞:芳賀矢一
作曲:不詳
歌 :NHK東京放送児童合唱団1)七里ガ浜の磯伝い
稲村ケ崎名将の
剣投ぜし古戦場2)極楽寺坂越え行けば
長谷観音の堂近く
露坐の大仏おわします3)由比の浜べを右に見て
雪の下村過行けば
八幡宮の御社4)上るや石のきざはしの
左に高き大銀杏
問わばや遠き世々の跡5)若宮堂の舞の袖
しずのおだまきくりかえし
返せし人をしのびつつ6)鎌倉宮にもうでては
尽きせぬ親王のみうらみに
悲憤の涙わきぬべし7)歴史は長き七百年
興亡すべてゆめに似て
英雄墓はこけ蒸しぬ8)建長円覚古寺の
山門高き松風に、
昔の音やこもるらん
「鎌倉」で思い出すことは多い。まず中学2年生の時の修学旅行が鎌倉・江ノ島だった。大仏の前で撮った写真が残っている。そして大学1年の夏に、高校の同級生と巡った鎌倉。それ以降も、度々訪れた。そして我が家の大事件は、昭和51年(1976年)6月6日。場所は鎌倉妙本寺。あれから32年か・・・。まあ、この事件の事は、ここでは書かない・・・。
何度行っても飽きない鎌倉だが、最近仏教を少しかじっているので、もし今度鎌倉巡りをしたとすると、昔の若いときの鎌倉のお寺巡りに比べて、少し意味合いが違って来るような気がする。
そのうちまた、鎌倉のお寺巡りをしたいものである。(もちろん、カミさんが付き合えば・・・だが)
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コメント
こんにちは、最近 エムズの片割れさんのサイトに出くわし 様々な雰囲気の曲を楽しませていただいております。 有難うございます。 このあいだも、毬藻の唄で書かれていたことに心騒ぎコメントしようか と迷っていたのですが、今日 鎌倉についての記事からどうしても書きたくなりました。
推測するに 片割れさんとは、同学年のようです。つい一ヶ月前、神戸の生田神社会館で高校の還暦同窓会なるものがあり、出席し盛り上がってきたところです。
毬藻の唄で書かれていましたね、大学二年の北海道旅行のこと 小生も同じとき北海道をまわっていました。シュラフをもっての貧乏旅行です。泊まりは、キャンプ場が主で 駅舎でってこともありましたね。もちろん、阿寒湖にも行き 8月 11・12日には 阿寒湖キャンプ場でテントを張っておりました。その遊覧船のなかで、ずっと流れていた毬藻の唄が、大好きな曲の一つになったのです。
北海道旅行のことは、僕にとってはめずら しく詳しいアルバムにしているのですがー ーー
11日夜
泊 阿寒湖キャンプ場
他のグループ(ギターをならしていたのもいた)にまけてなるものかと、詩吟or古歌をうたう。声がかすれてしまうほどだった。
などと書きとめてあります。
もちろん、我々の学年が日本国史上、最も人間の多かった学年ですから 同じような経験をしたものは数多いとは思うのですが、懐かしい過去がよみがえってきて うれしくなっていた訳です。
いや、同じ経験はそれだけではなかったのです。大学一年の夏休み、大学のクラブの合宿(古美術研究会)で鎌倉をめぐっていたのです。七里ガ浜に面したホテル??旅館??が合宿場でした。昭和41年の夏です。お分かりでしょう。子供のときから歴史大好き人間で、特に 義経 後南朝 好きです。地域からすると、京都 鎌倉 平泉 に目がないということですね。最近も、どうしても大塔の宮の最期の地を見たくて、鎌倉宮の土牢へも行ってきました。 というところで、今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年6月 5日 (木) 14:06
能勢の赤ひげ さん
いやはや、この様なコメントを頂くと嬉しくなってしまいますね・・・。
自分が初めて北海道に行ったのは、昭和42年8月でした。全てユースホステルでした。
今アルバムをひっくり返して見たら、阿寒湖は昭和42年8月10日の午後3時過ぎに着いて、阿寒湖の遊覧船に乗っています。210円の乗船券も貼ってありました。湖畔では、あのマリモの歌が流れていました。
次の8月11日には摩周湖に行きましたが、上天気で摩周湖がバッチリ見えました。
まさに1日違いのニアミスでしたね。奇遇・・・
大学1年のときの鎌倉は、高校のときの同級生の一人が藤沢に引っ越したので、その家を拠点に高校の仲間で近くを色々と回りました。
時間が自由になったら、昔の旅路?を再び回るのも良いですね。
このBlogも勝手気ままに書いています。ヒマな時には、また覗いて見て下さい。
投稿: エムズの片割れ | 2008年6月 5日 (木) 22:53
「鎌倉」を再生しているPJ Playarはどこで入手できますか?
流れてくるメロデイをダウンロードできません。
私も、現在「山梨の唄」というHPを立ち上げようとしていますが、これだと、再生した時点でコピーできてしまいます。コピーできない再生プログラムを入手したいのですが、おしえていただけませんでしょうか?
投稿: 中澤 | 2008年11月27日 (木) 16:45
中澤さん
「PJ Playar」はココログに付属しています。つまり標準設定をすると、こう表示されます。よって、詳しい事は分かりません。でも世の中には色々とあると思いますが・・・
投稿: エムズの片割れ | 2008年11月27日 (木) 22:50
私も中学の修学旅行は鎌倉・伊豆半島の1泊2日旅行でした。七里が浜海岸で江の島をバックに撮った集合写真が残っています。
鎌倉は私も大好きですが、お寺廻りというよりは、鎌倉・三浦半島のハイキングコースを歩くのが好きですね。鎌倉では、建長寺―天園―瑞泉寺に出る、いわゆる鎌倉アルプス・天園コースと浄光明寺-源氏山―銭洗い弁天―高徳院(鎌倉大仏)へ出る裏大仏コースの二つのハイキングコースが好きで、何度も歩きました。私は気にいったところがあると、何度でも行くのが好きなのですが、一か所は一回めぐれば十分という主義の家内を説得できれば、また行きたいと考えています。
【エムズの片割れより】
自分は大仏さま背景の写真が残っています。
もう暑くなってしまいましたが、散歩に鎌倉は良いですよね。それに色々なコースがあるのですね。自分もまた行ってみます。カミさんを説得して・・・
投稿: KeiichiKoda | 2012年7月23日 (月) 09:24
海外から友人が来日したので、今週久しぶりに鎌倉を案内し、ハイキングしてきました。桜が八重桜を除くとあらかた終わってしまって、友人も残念がっていましたが、緑がたいへん美しく、とくに緑と紅の楓の対照がきれいでした。ハイキング・コースは私のお気に入りの、北鎌倉下車して亀ケ谷切通し、浄光明寺、海蔵寺、源氏山、銭洗弁財天、大仏坂切通しから高徳院(大仏)へと抜けるコースを歩きました。どこへ行っても、外国人の観光客がたくさん見かけましたが、昨今の円安の影響なのかしら?江ノ電で鎌倉駅へ戻った後、鶴岡八幡宮を案内しましたが、たくさんの中学あるいは高校生の修学旅行生と出会いましたが、最近は修学旅行は春行われるようですね!
【エムズの片割れより】
ありがとうございます。今朝の散歩で、近くの林に行きましたが、本当に“緑が萌える”とはこんな風景かと思いました。
良い季節になってきました。我々も近く、鎌倉に行ってみようという話になりました。追而。
投稿: KeiichiKoda | 2013年4月13日 (土) 06:54
小生はこの『鎌倉』が大好きです。唱歌の中でも名曲の名曲です。もう廃盤になっていますが「懐かしき小学唱歌」に収められたNHK東京放送児童合唱団の「鎌倉」は、これを越える名盤は他にありません。私は手元にあるのですが、中古で探しているのですが全く見あたりません。
「エムズの片割れ」さんにおかれてはこれを何処で入手されたのでしょうか。情報を教えて頂ければ有り難く存じます。
【エムズの片割れより】
「懐かしき小学唱歌」のCDは持っておられるんですよね。中古で探しているのは、このサイトの音源(CD)でしょうか?(個人情報は削除しました)
投稿: 西村修平 | 2014年10月31日 (金) 05:45
七年前、齢64にして初めて鎌倉を訪れ
歌のとおりに歩きました(七里ガ浜~稲村ケ崎は江ノ電でしたが)
歴史と地理を融合した歌詞を味わいつつ
歴史オタクの私としてはこの上ない至福のひとときを過ごしました
実朝の終焉の大銀杏(株のみでしたが)大塔の宮幽閉の土牢は特に灌漑深く
ただ秋紅葉の季節で雑踏でした
オフシーズンにもう一度ゆっくり巡りたいものです
【エムズの片割れより】
歌の通りに歩くというのは、面白い発想ですね。
しかしシーズン中は混むので、時期が問題ですね。
自分もそんな日が来るのかどうか・・・
投稿: 内倉功 | 2019年9月23日 (月) 20:19