「観音経」勝手帖-02 概要
「観音経」は、言うまでもなく5世紀の中国の鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した「『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五」を独立の経典として位置付けたもの。
「妙法蓮華経」(略して「法華経))は全部で28品(=章)あるが、その25番目が「観世音菩薩普門品」であり、それを略して「観音経」と呼んでいる。
なお、「観音経」はもともと独立した経典だったのを、法華経編纂の時に取り入れたという話もあるらしい。
この経典で教えているのは、観音菩薩(=「観世音菩薩」または「観自在菩薩」=観音様)にお願いすれば、どんな時にも、どんな所にでも助けに来てくれるという事を、述べている。
観音菩薩は、正式には「観世音菩薩」または「観自在菩薩」といい、まさに世の「助けて~という“音”」を常に耳を傾けて聞いている・・・という意、または、困っている人の所に、どこでも“出現する”という意味である。
例えば、「十一面観音」は、あらゆるところに目を配っている事を表している。(なぜ十一面なのかは別途)
「観音経」は長い経典だが、全体は「長行(じょうごう)=散文形式」と「偈(げ)=漢詩の形式)」の二つで構成されており、「長行」で説いた教えを、再び「偈」という詩の形で説いている。
良く読誦されているのは「偈文(げもん)」の方である。つまりこれは、観音経の中の「偈(=詩)」の部分を抜き出したもので、これは短くてテンポも良く(「念彼観音力」が繰り返される)、読経や写経に良く用いられる。「偈文」は、「世尊妙相具・・・・」と始まる所から「世尊偈(せそんげ)」とも呼ばれる。
内容は、全体が「観音様を信じて念じれば、どんな危機に瀕していても観音様が助けに来てくれる」という事を、色々な例を挙げて説明している。
「観音行偈」は当blogの(ここ)で聞いているので、今回は「観音経」全体を聞いてみよう。全体16分13秒の読誦のうち、11分36秒のチンと同時に偈の部分が始まる。(お経は(ここ)参照)
<「観音経」全文~高野山真言宗 川島宏之>
もちろん経典(お経)なので、いつもの手順で、誰か(「観音経」では無尽意菩薩(むじんにぼさつ))が世尊(仏=ブッダ)に尋ね、世尊がそれに答え、最後に集まった人が納得して散会する、というストーリー展開は同じ。
次回以降は「偈」の内容を見て行くことにする。
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「観音経」勝手帖-01 全文
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