映画「明日への遺言」を見て
映画「明日への遺言」を見た。この映画は決して「面白い」映画ではない。舞台(場面)も、ほとんどが法廷と独居房のみ。また、ストーリーが法廷での発言で動くため、最初は付いて行くのにひと苦労。
この映画は、名古屋の絨毯爆撃の際、パラシュートで降りてきたB29の搭乗員11名を斬首処刑したB級戦犯「岡田資(たすく)中将」の法廷での姿を描いているが、自分はこの映画を見て違和感ばかりが残った。法廷での発言があまりに「文語体」。主語述語が極めて明確で、法廷での発言と言うより、まるで論文を朗読しているよう・・・・。中でも、孤児院の先生役の田中好子の言い方は、まるでラジオで“小説の朗読”を聞いているよう・・・。幾らドラマでも、法廷でのこのような“一人芝居”のような話し方には違和感を覚える。
それに主役の藤田まことがあまりにカッコ良過ぎる。発言も堂々として、セリフがあまりに正確。口語体ではない。だから逆にリアリティが無くなっている。それに、法廷で孫を抱くシーンにしても、「本当か?」とつい疑って見てしまう。法廷で、検事もいるのに、被告席に居る人が、本当に孫を抱いてそれを皆が黙って見ている??
それと、聞いていて、アレッと思った点がある。
法廷で岡田中将は「命令は自分が下したもので、責任は全て自分にある。部下はその命令に従っただけ」と主張する。・・・とすると、検事が言っていた、「パラシュートで降りた無線兵も、命令で搭乗した」だけなので、斬首された無線兵は無実で、命令を下した大統領?が責任者、という事になるのでは?
それを岡田中将は「爆撃は、明らかに無差別爆撃であり違法である。よって、爆撃に参加した者は有機的に一体となって責任がある。よってパラシュートで降りた無線兵も、捕虜でなく戦犯である。よって処罰した」・・・・とすると、岡田中将の部下達も有罪では??
最後に、裁判官が「米国法では、報復なら許されるが、これは報復ではないのか?」と問うが、岡田中将は「報復ではない。処罰だ」と言い切り、死刑の判決を受け、死んで行く。
このドラマは事実に基づいた・・・、とあるが、岡田中将が閉廷前に発言を求め、公平な裁判に感謝を述べるシーンがあるが、これも事実なのだろうか?
同じ小泉堯史監督の作品で「阿弥陀堂だより」という名画があるので、どうしてもそれと比較してしまい、つい「詩が無いな・・」ナンテ思ってしまう。
でも視点を変えると、岡田中将の一身に責任を負って部下をかばうこの姿勢は、賞味期限偽装事件などでの食品会社の社長の記者会見ではないが、自分が命令したことを「自分は知らなかった」とシラを切る世のサラリーマンなどに比べると、何と気高い志だろう・・・。
この映画が幾ら過剰演出だとしても、田中中将のこの姿勢は、世の組織の人間は誰もが見習うべき姿勢なのだろう。
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