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2008年3月30日 (日)

「葬儀」について考えた

今朝は、急逝した会社の同僚(といっても一緒に仕事をした事は無かったが)の葬儀に、越谷まで行ってきた。享年51歳。くも膜下出血で3月25日の朝に倒れ、2日後の27日昼前に帰らぬ人となった。ほんの一週間の出来事である。
まさに人の死は、突然にやってくる・・・・。しかし、悲しいことに世の中は何も変わらない。会社も何も変わらない。一人の命など、まったく関係なく踏み潰して時間は過ぎていく。
でも今日の葬儀では、さすがに涙を流している同僚が何人か居た。それが救いだった。

自分なども勝手なもので、そのような事件が無いと、死について考えない。避けて通る・・。
だから案の定、今日も駅から葬儀のお寺までの道を歩きながら「しょうがないこと」について考えた。いかに「しょうがないこと」を「しょうがない」と自分で納得できるか、それが難しい・・・と。でもこれからの人生で、それは必須であるような気がする。今までの平々凡々の生活から、いつ何時、理不尽な出来事が目の前に現れるか分からない。自身の病気や親族との別れ等。その時に、「しょうがないこと」を直視出来て、それを「しょうがない」と受け入れることが果たして出来るか、自分ははなはだ疑問でなのである。

先日、カミさんから「直葬(ちょくそう)」という言葉を聞いた。松原惇子 「『ひとりの老後』はこわくない」という本に載っていた「ひそかなブームの直葬」という記事だ。曰く・・・
「葬式は自分のためにあるのではなく、遺された人のためにある。・・・・最近、私が出した結論は『お葬式はしない』である。近年、お葬式はせずに、火葬だけの『直葬』が多くなったと、葬儀関係者から聞いた。
勉強不足で知らなかったのだが、お葬式はやらなくてもなんの問題もないらしい。葬儀と葬式は別物で、火葬はしなければならないが、葬式というセレモニーは法律で義務付けられているわけではないのだ。・・・」(P188)

テキ(カミさん)は、こんな本を買って、「その時」に備え出したらしい・・。
まあ正解といえば正解だが(男が残されたほど悲劇は無いと言う・・・)、自分が死んだ時、カミさんの持論(?)で自分も「直葬」になるかも・・・?
でも最近は、それで良いように思えてきた。最近は会社でも、「密葬(?)のため香典は辞退します」という通知が多くなってきた。(これは、正しくは「家族葬のため・・・」が正解か?)
自分の場合、10年前の親父の葬式は盛大に行った。その時はそれで良いと思っていた。しかし、自分も現役引退を間近に控えて、見方が変わってきた。それは、自分の視点(価値観)から“相手にとって”に変わってきている。
だから自分の時も、いわゆる家族葬で充分のような気がしてきた。一人でも泣いてくれる人が居れば、それで良いとしようか・・・
まあ、それに、“いつ何時「その時」が来ても大丈夫なように、日々そのような生活をせよ”ということなのだろう・・・。
(しかし、段々とアタマに来てきたぞ・・・。もう「『ひとりの老後』はこわくない」という本を読んでいるカミさんは“けしからん”・・・よね?)

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コメント

平均寿命前の方と80歳の老人では全く事情が違いますが、私の場合、死んだら自宅の座敷の仏壇の前に一晩寝かしてもらい。家族葬にしてもらいます。
斎場で会ったこともない人に来てもらったり、葬儀屋に何百万円も儲けさせることは、絶対したくありません。
死後のことを心配するより、毎日を大切にしたいと思います。

投稿: toriaezu3965 | 2008年3月31日 (月) 08:50

toriaezu3965さん

そうですね。最近カミさんと良くその話をします。結局、葬儀屋さんへのお金は香典で皆さんから頂いたお金。皆さんは迷惑ですよね。そんな所に金を遣うより、遺された家族が、温泉にでも行って、故人を偲んでくれた方が良いな・・・なんてさっきも話しました。

投稿: エムズの片割れ | 2008年3月31日 (月) 20:58

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