将棋九段「内藤國雄」の面白い話
NHKラジオ深夜便(08/3/25)アンコール「人生私流」~才能と努力と運~将棋九段 内藤國雄(H20・2・9放送)を聞いた。なかなか愉快な人で、つい聞き入ってしまった。
自分は将棋はやらないが(下の息子が小学校低学年の時、将棋に負けて自転車を買わされてからのトラウマ)、将棋の世界から人生が見えてくる話で面白い・・・。以下その抄録である。
・囲碁はつかみどころが無くて分かりにくいが、将棋は「大手」というのがあって分かり易いと思って、囲碁ではなく将棋を選んだ。
・入門した「藤内」は「内藤」の逆で、昔は右から書いていたので、同じ名前だと思ったのが将棋入りをした大きなきっかけ。
・子供のとき、兄が将棋教室に通っており、自分は外で自転車の見張り役。そしたら教室のお爺さん(実は藤内先生)が声を掛けてくれて、中に入れてもらって将棋をやった。その時に相手になってくれた人が13級だったが、3番続けて負けた。それでイヤになっていたら、もう一番やろうと言うのでやったら、見事に勝った。それが嬉しくて嬉しくて、その味が忘れられなくて、将棋教室に通うようになった。後で、それはわざと負けてくれたのだと分かった。もしそこで負けていたら、将棋界には入っていなかっただろう。
・13歳でアマ13級。とても遅いスタートだったが、それから半年で初段になり、内藤先生から「なかなかのものや」と褒められてプロに誘われ、14歳でプロ6級でスタートした。
・若い頃は、うまい手を発見した時は嬉しくて、将棋はうまい手を発見した方が勝つ、つまり妙手探し、巧手探しのゲームだと思っていた。しかし段々と、うまい手で勝負がつくのではなく、悪い手で勝負がつくのだと分かってきた。確かに大山名人の将棋を見たら、悪い手をやらないように・・、敵が間違えるから・・、という姿勢・人生観。
・前にTVを見ていたら、鈴木健二アナが升田さんに「将棋って何ですか?」と聞いた。そしたら升田さんが「我慢比べですな」と答えた。大山さんならともかく、大胆な升田さんのこの言葉には感心した。つまり将棋は妙手探しでなく我慢比べ。ほとんどの将棋は悪い手をやったほうが負けている。大山名人はどうも「人間は、どんなエライ人でも必ずミスをするものだ」という人生観を持っていたようだ。だから自分が苦しくても、楽しく粘っている。希望を持って粘っているから弾力のようなものが出来て、実際に相手がミスをしたチャンスを捕らえて逆転勝ちをする。悪くなっても投げない。敵は必ずミスをするので、そのチャンスを待って逃さない、という将棋。
・将棋は勝たなければ面白くない。途中で楽しい場面があっても、勝たなければ全てが消えてしまう。女性の将棋ファンが極端に少ないのは、そのせい。女性は、将棋は負けるとツライと言う。囲碁は、自分で働いた分(陣地・石)は試合が終わった後も残る。しかし将棋は、どんなに持ち駒があっても負けたとたん消えてしまう。
・将棋は「終わり良ければ全て良し」というゲーム。人生と似ている。終盤が良くて勝てれば、つまり晩年が良ければその人の人生は幸せだ。若い頃が幸せだったので、晩年が不幸でも、まあ人生こんなものだ・・とは絶対に思わない。若いときに幸せだと、終わりの不幸はよけいにツライ。
・前に、自分が悪手で「しまった」と思った時、若い相手が2時間くらい居なくなった事がある。これは後で考えて、良い作戦だと思った。つまり、ミスを出した場面を長い間見させられている。勝負の最中で一番やってはいけないのは、指した手を反省すること。それを2時間見させられたら、気持ちが萎えてくる。勝つ一番楽な方法は、相手に嫌気を起こさせること。早く勝ちたいと、結論は急いではダメ。
・もう将棋界で50年。そろそろ引退の時期が近付いているので、最後の夢は、最後に素晴らしい将棋を指して、「なかなか良い将棋を指すな・・・」と思って頂いた所でさっと引退したい。
ラジオを聴きながらメモして行ったら、つい長くなってしまった。
それに内藤國雄九段は、特技として演歌が大好きで、(自分は知らなかったが)32年前に「おゆき」という100万枚の大ヒットがあるそうだ。まあ、三橋美智也と春日八郎が大好きだと言っていただけの事はある。
ともあれ、同じ将棋キチのウチの息子とは、だいぶん世界の広さが違うな・・・と思ってみたり・・・。まあ比較するだけムダだが・・・
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